選挙以後……
9月11日の衆院選をはさんで、まあ、実にいろいろのことがあった。我々にとって一番身近な(はずの)鈴木宗男の一連の動向については、公示日前のHPに若干書いておいた。
≪(8月)18日、出先から帰って広げた夕刊(北海道新聞)一面に、「鈴木元議員 新党『大地』旗揚げ」の見出し。なにやら胡散臭い名前だなぁ……と思って読むと、「アイヌ民族多原氏擁立」とある。ななな〜にぃ!?
記事には確かに「アイヌ民族の大学院生多原香里氏(32)が、比例代表道ブロックで出馬」とあった。
鈴木宗男といえば、現職議員だった2001年7月の講演で「私は(日本は)一国家一言語一民族といっていいと思う。北海道にはアイヌ民族というのがおりまして、嫌がる人もおりますけれど、今はまったく同化されている」と語り、ウタリ協会などから抗議が集中した人である。ウタリ協会の抗議には、当時の理事長に適当なことを言ってうやむやにし、他に対しては無回答・無視を通した。その理事長が直後に職を追われたのは、この事件が原因だった(バックナンバー/37号に詳しい)。
鈴木の言う「アイヌ民族が加わることが新党の理念と一致する」は、百万歩譲っても成り立たない説明なのだ。
大学を卒業し、国連人権高等弁務官事務所でインターンをしたこともあるというのだから、満更馬鹿とは思えないのだが、今回については馬鹿なことをしている(しようとしている)としか思えない。
何より、アイヌに対する背信行為である。「アイヌ民族」を名乗ったからといって、「アイヌ」になれるわけではないのだ。≫
予想通り、北海道比例区で鈴木は当選し、国会へ戻った。民主党や公明党まで巻き込んで"なんでもあり"の選挙戦だったが、策士の思惑通りの結果である。「たった一人の政党――勿論政党要件を満たしてはいない――議員に何が出来る?」という常識的な疑問は、彼には意味がない。「何でも出来る!」のである。だからこそ、彼の支援者は減ることがないのだ。
その鈴木議員の議会活動は、政府に対する「質問主意書」攻勢で始まった。まずは因縁深い外務省に、次々に「質問主意書」が襲いかかった。メディアが取り上げるほど露骨な攻撃の中に、「アイヌ民族の先住権に関する質問主意書」というのがあったので、探して読んでみた。
平成十七年十月三日提出 質問第七号 (163・特別国会)
アイヌ民族の先住権に関する質問主意書 提出者 鈴木宗男
1 先住民族に関する日本政府の定義如何。
2 日本国が参加している先住民族に言及した国際条約、国際協定にはどのようなものがあるか。すべて列挙されたい。
3 2の国際条約、国際協定の中で署名を終えているが、批准していない文書があるか。ある場合は列挙されたい。
4 アイヌ民族は先住民族かどうか、政府の認識如何。
5 「先住民族の権利に関する国際連合宣言」に対する日本政府の対処方針如何。
6 アイヌ民族の先住民族としての権利を確立すべきと考えるが、政府の考え如何。
7 北方四島ビザなし交流に、アイヌ民族枠を設けるべきと考えるか。政府の見解如何。
右質問する。
これに対する答弁書――外務官僚が作成したのであろう――は、以下の通り。
平成十七年十月十一日受領 答弁第七号
内閣衆質一六三第七号 平成十七年十月十一日 内閣総理大臣 小泉純一郎
衆議院議員鈴木宗男君提出アイヌ民族の先住権に関する質問に対する答弁書
1について
「先住民族」については、現在のところ、国際的に確立した定義がなく、また、日本国政府としての明確な定義はない。
2及び3について
「参加」の意味するところが明らかではないが、我が国が締結している条約その他の国際約束及び日本国政府が署
名したもののいまだ締結していない条約その他の国際約束の中に、「先住民族」の用語に言及したものはない。
4及び6について
アイヌの人々が、アイヌ語や独自の風俗習慣を始めとする固有の文化を発展させてきた民族であり、いわゆる和人と
の関係において、日本列島北部周辺、取り分け北海道に先住していたことについては、歴史的事実として認識している
が、「先住民族」の定義をめぐる現状が1についてで述べたような状況にあることから、アイヌの人々が「先住民族」であ
るか、また「先住民族」の権利が具体的にどのようなものであるかについては、結論を下すことができる状況にはない。
5について
御指摘の宣言については、国際連合の場において、議論が行われており、我が国としても、基本的には、人権の保護
に資するものとして、可能な限り早期に採択されることが望ましいと考えている。
7について
我が国国民の北方領土への訪問を旅券・査証なしで行うことについては、「我が国国民の北方領土への訪問につ
いて」(平成三年十月二十九日付け閣議了解及び平成十年四月十七日付け閣議了解)に従い、領土問題の解決を含
む日本国とロシア連邦との間の平和条約締結問題が解決されるまでの間、相互理解の増進を図り、もってそのような
問題の解決に寄与することを目的として、北方領土に居住していた者(これに準ずる者を含む。)、北方領土返還要
求運動関係者、報道関係者及びこの訪問の目的に資する活動を行う専門家であって、内閣総理大臣及び外務大臣が
適当と認めるものにより、実施されることとしている。
アイヌの人々についても、これに該当すれば、内閣総理大臣及び外務大臣の了解を得て、旅券・査証なしで北方領土
を訪問することができる。したがって、かかる訪問について別途アイヌの人々のための枠を設ける必要があるとは考え
ていない。
いやはや、大笑いである。質問1〜6の「政府」を「鈴木宗男」に代えて訊かれたら、先生はなんと答える? 選挙公約にアイヌの先住権を掲げ、アイヌの候補者を引っ張り出し、当選後も「北海道の地方政党」を標榜しているのだから当然といえば当然の所業だが、先生、その前にやることがありませんか?
2001年7月の発言に対して、私たちは次の点に回答することを求めた。
@ 「民族」についての、あなたの認識。
A 「同化」についての、あなたの見解。
B 「アイヌの復権活動」についての、あなたの見解。
私たちはじめ(ウタリ協会理事長以外)一切の抗議や質問に答えなかった鈴木が、臆面もなく上掲の「質問主意書」を提出するには、その前にまずそれらの問いに答えることが必要であったろう。40年前のことならいざ知らず、わずか4年前のことなのだ。19年前の中曽根発言はいまだに引き合いに出され、テレビ映像まで放映されているのである。
外務官僚の作った通り一遍の「答弁書」――その内容を、誰よりも正確に予測していたのは鈴木本人だろうが――が出たことで、「選挙公約は果たした」と考えているのかどうかは分からないが、これ以上の醜態は見たくない。
「質問主意書」の中には「サハリンの石油・ガスを北海道までパイプラインで送る」というものもあった。ムネオの面目躍如といったところだが、それでは「先住民族の権利」を云々することは到底できまい。
さてさて、選挙……。「何も語りたくはない」というのが、大方の心境だろうし、私自身もそうなのだが……。“刺客”“くの一”なんて言葉が連日飛び交い、TV局が仕掛けたワイドショーのための選挙かと思われるほど、国を挙げて“田舎芝居”に打ち興じた一大イベントだった。仕込みに掛かった700億円の元は、充分取れたことだろう――国民以外は。
そして80人を超す"小泉チルドレン"なるものの出現。「私に対する質問なら、もっとレベルの高いものにしなさい!」と吹く官僚出身女性から、昔流行った「♪酒が飲めるぞ〜!」を思い出させるボンボンまで、話題には事欠かない。暴言・失言を発する代表格だった人間に言動を厳しくチェックされるというコントまがいも、まぁ、一寸の我慢で済んでしまうだろう。さすがにピンクのスーツが流行り出さないあたりは、世の女性たちのセンスまで狂ってはいない証左か?
この中から誰が政界で生き残っていくのかは分からないが、このヒットラーユーゲント(歳こそ食っているが)もどきには、不気味さとともに哀れを感じてならない。自らも含めて大方が思っている“使い捨ての駒”は、これからどうしていくのだろうか?
1994年に採択された衆議院議員選挙制度「小選挙区・比例代表並立制」のツケを、今回しっかり払わされたわけで、当時の社会党はじめ連立与党の犯した大きな誤りが、民主・社民などを圧殺したことになる。法案に対して青票(反対票)を投じた小森龍邦議員(当時)などの予測は的中し、その集大成が今回の選挙だった。あの時から、今日の国の姿は定まっていたのだ。“二大政党政治”という幻影が消え、体制翼賛政治の再現である。
勝ちに驕った宰相の、ヒットラーかスターリンを思い起こさせる党内粛清ドラマや、チルドレンたちの愚にも付かない日常を、テレビ画面を通して楽しんでいる国民。その間に進められる憲法改悪や、沖縄のみならず日本全体の米軍基地化、増税プラン……。
以前、秋の東大演習林を案内しながらMさんが「キノコを見分けるときに、味がおかしい、口に入れて刺激臭がある、だから毒だと判断するな。毒キノコはおいしいんだ」と教えてくれた。「毒キノコがおかしな味をすれば、誰も食べない。毒キノコはおいしい。だから、たくさん食べて死んでしまう」と。メディアの言いなりに、あるいは権力の思惑通りに現在の状況を楽しんでいるうちに、この国の中に毒が回り、やがて死に至るのではないか? すでに解毒剤が効かないところまで、状況は進んでいるのではないか?
くしゃくしゃした毎日を送っているとき、九州で麻生総務大臣が「(日本は)一国家、一文明、一言語、一文化、一民族〜云々」と発言した。広島であった集会を終え、三原市のホテルにいたときに、福岡の共同通信記者からの電話で聞いたのである。「又か……!!」
帰札してから本人と総理大臣宛てに「公開 抗議・質問状」(今号に別掲)を送ったが、鈴木宗男宛にも「麻生発言に対して、あなたはどう思うか?」を訊いてやらねばなるまいと思っている。
シンディ・シーハン
今年の8月6日、テキサス州クロフォードのブッシュ大統領私邸へ向かうシンディ・シーハンという女性が、ブッシュの牧場の外で警察に引き止められた。カリフォルニアから来たシンディは、休暇中のブッシュに会って「なぜ彼女の息子がイラクで殺されたのか」を聞きたいというのである。敷地内への立ち入りを禁止されたシンディは、道路脇にテントを張り、ブッシュが牧場にいる間中ここに居続けることを決めた。
彼女の息子ケーシー・シーハンは、2004年4月4日バグダッドのサドルシティで、所属部隊がロケット型推進手榴弾と小火器による襲撃を受け死亡、24歳だった。
1年以上が過ぎてからシンディがこれを始めたのは、最近のブッシュが「イラク、アフガニスタン、およびテロとの戦争で命を無くした我が国の男女は、崇高な使命、無私の使命のもと死亡したのである」と発言したのに刺激を受けたからという。
シンディは言う。「今では私たち皆がそれは本当ではないと知っています、だから私はジョージ・ブッシュに聞きたいのです。私の息子はなぜ死んだのですか? 息子がそのために死んだという崇高な使命とは何なのですか?」そして、「私は、ブッシュ大統領に息子の名前や家族の名前を更なる人殺しの正当化のために使って欲しくないのです、息子の名前や犠牲や名誉を更なる殺人の正当化に利用しないで欲しいのです。一人の母親として、どうして私が今経験していることを、イラク人であれアメリカ人であれ、他の母親にも経験して欲しいと望みますか?」「それに、私が彼に言いたいのは、息子の犠牲を讃える唯一の方法は、今すぐ部隊を帰還させることだということです」と。
彼女の行動はマスコミを通して全米に伝わり、ネットを通して全世界に広がった。支援者たちがクロフォードの牧場前に集まり、やがて巨大なテント村が出来上がったが、その様子もまた全米に報じられていった。ブッシュと家族(おそらく)が、黒いガラス窓を閉め切った車で牧場から出入りする様子も映し出されていた。
もちろんブッシュ支持者たち(あるいは単に反動的なアメリカ人)による妨害行為や嫌がらせ、警察からの脅しもあった。しかしシンディは、「もしクロフォードで私と話すために彼が出てこなければ、彼を追っかけてワシントンに行きます、そして彼の庭にキャンプを張ります」と、いたって意気軒昂だった。
「ブッシュ政権を危機に陥れるかもしれない」という声が聞こえ始めたとき、ハリケーン・カトリーヌがニューオリンズを襲い、ブッシュはワシントンへ逃れ、被災地の"視察"へと向かった。彼は内心ホッとしていたのではなかろうか?
その後シンディは(言葉通り)ワシントンへ移り、ホワイトハウス前での座り込みを続けていた。彼女と支援者たちが座り込みから引き抜かれ、逮捕される様子がテレビで映し出されたのが、私が彼女のことを知った最後だった。
世界を変えるのは、彼女の行動に代表される"運動"ではないだろうか? アメリカを、世界を変えるための指針が、そこにはあるのではないだろうか? だから、日本のメディアはこれを取り上げなかったのではないだろうか……?
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