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ヤイユーカラパーク VOL52 2006.3.5
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おもな内容

食いものノート/14

自他楽写真館 平島邦生

前回、沢庵漬けに挑戦した方はそろそろ旨味が増してきただろう…。

例年、札幌では雪祭りの頃に一番美味しくなる。塩辛さが消えて、大根の自然な甘みが感じられるようになったら、寒中見舞いを兼ねて友人,知人に配って歩こう。

ところで、一年で一番寒いこの季節は味噌を仕込むのに一番良い季節でもある。近ごろは世界中の食材がそろうので味噌汁の出番も減ったが、何と言っても「手前味噌」は旨い。

そこで、もうお分かりと思うが、今回のメインディシュは「お味噌」ということになる。 「沢庵の次は味噌作りかよ…。いったい親父料理術は何やってんだ!」という声も聞こえてきそうだが、物事にはタイミングというものがある。この時期を逃すわけにはいかない。

……まずは大豆の話から。


レシピ 25 『 鬼は内、 福も内! 』

家の近くの生協に殻つきピーナッツが山のように積んである。子供のころから南京豆と呼んでいるのだから中国産であることに文句はない。だが、鬼の面が飾られているところを見るとどうやら節分用であるらしい。なるほど良く考えたものだ。これならば拾うのも楽だし、清潔好きの若い親たちにも好まれるだろう。


節分に大豆を炒ってまくのは昔からの習わしと聞く。「まず、家の周りにいる鬼たちを、しっかり追い払って、それから家の中に福を招き入れるのだ」と父は言っていた。「鬼は〜外、鬼は〜外」と怒鳴りながら、指先でつまんだ大豆を打ちつける父のうしろ姿は怖ろしくもあり、窓の外には本当に鬼がいるのだと思っていた。だが、ふり向いた父が、今度は「福は〜内」と天井に向かって豆を放りなげると、子供たちは先を争そって四つん這いになり、落ちてきた豆を拾う。小さな家だったが「鬼打ち」は家中の窓のあるところでやったので、土間に落ちた豆も必死になって集めた。後で、箪笥のすき間から出てきた豆を、取り合って食べた記憶もなつかしい。

ところが、入谷の鬼子母神のように鬼がご祭神だったり、ご本尊だったりするところでは「鬼は内、福も内、悪魔〜外」などとやっている。良い鬼を接待して、悪い鬼は改心させたりもするが、炒った大豆をまくことに変わりはない。

大豆は昔から魔よけや健康祈念などの行事によく使われている。


史実によれば、大豆は中国の戦国時代(BC400〜200年)に北方から入ってきて、異国産の豆という意味で「えびす豆」と呼ばれ、五穀の一つに数えられるようになったという。先日も「中国の東北部で野生大豆の群落が発見された」との報道があった。大豆の品種改良、食糧政策に果たす役割が期待されているようだ。

「えびす」は漢字で書けば「夷」で、「えみし」とも読む。未開の人々、荒々しい人々を指す言葉で、日本では後に蝦夷(えみし=えぞ)に転じている。「えびす豆」という命名も、異国人への恐れと共に、畑の肉とも言われる「すごい力」を直感していたのかも知れない。

BC400〜200年といえば、日本では縄文文化から弥生文化に移行する時期に当たる。  大豆も稲作と一緒に弥生時代に渡来したと聞くが、米より少し遅れて来たのかもしれない。当初は高貴な人々の食べものだったようだ。


その大豆には、我々に必要な三大栄養素のうち、タンパク質と脂肪が多く含まれている。それ故、炭水化物が主体の米と組み合わせれば理想的なバランスが保たれる。かつて、大豆の生産と消費は東アジアの米食文化地域に限定されていて、その地域にきわめて特色ある食文化を発展させている。味噌や納豆に似た大豆発酵食品も各地にある。日本でも仏教の影響で肉食が戒められた鎌倉時代ごろから全国的に栽培されるようになり、ナマグサをとらなかった坊主たちも精進料理に多用してすこぶる健康だったようだ。

現在、世界生産量の半分を占めているアメリカの大豆栽培は、搾油目的で1920年代に始まったのだから、その歴史はまだ100年にも満たない。

主な参考資料

    ・ 「大豆の科学」 山内文男  朝倉書店

    ・ 「大豆の絵本」 国分牧衛  農文協 

    ・ 「大豆−その特性と食べ方」 小林正明  建帛社


レシピ 26 『 大豆のおへそ 』

丸くて硬い大豆を水にうるかしておくと(注)なんだか急に艶かしい姿形になってくる。それはただ、枝豆だったころの形態に似てくるだけの話なのだが、死んでいたものが急に生き返ったようでいつも不思議に思う。

そもそも、枝豆が大豆の未熟種子であることを、かつての拙者は知らずに食べていた。大豆は種子として完成しているからこそ、あのカチカチの状態でもちゃんと生きていられるのだろう。植物だからウンコをしないのは当然としても、飲まず食わずで何十年も生きのびる「力」がいったい何処にあるのだろう…。

まあ、そんなことは「くだらない」と言ってしまえばその通りで、誰も気にはしない。だが、「人智学」の創始者R・シュタイナーが著書『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』の中で、「一粒の種が、やがて芽を出し成長する全過程を、明確に思い描く」修行法を紹介しているから、そこにはオカルトの真髄も封印されているのかも知れない。


ところで、大豆に臍(へそ)があるのをご存知だろうか。大豆は無胚乳種子に属していて、胚乳部分を食べる米とは違い、我々が食べているのはほとんど子葉部分だ。大豆を蒔くと、タネがそのまま土の上に顔を出してくるように見えるのはそのためである。

臍は、大豆がまだ莢(さや=人で言えば子宮にあたる)に納まっていたころ、莢に種実を固定して養分を吸収していたところである。そしてひとたび大豆が水分を得ると、臍のすぐ下の所から下胚軸が伸びて幼根が育つ。つまり「豆もやし」になる。しかし、もしもそれが土の中なら、土中の根瘤(こんりゅう)菌が根に進入して根瘤を作り、その根瘤が空気中の遊離窒素を同化して、養分を莢まで送りこみ、また新たな種子を形成する。

つまり土壌に根瘤菌さえあれば大豆を育てるのに肥料はいらないのだ。それを知らずにせっせと肥料をやっていたころは、草丈や葉ばかり大きくなって大豆の収穫は少なかった。昔の農家の人たちが「あぜ豆」と呼んで田んぼの畦に播いていたのはそのためなのだ…。

 注・「うるかす」は北海道の言葉で『水気を含ませる、湿らす』の意。東京弁の潤かす(ふやかす)の意味でも使うが、むしろ潤す(うるおす)に近い。


実習の手引き その17 『 手前味噌の仕込み方 』

自分の自慢をすることを「手前味噌」という。さっそく始めよう。

今回は最初なので大豆は1キロ。これで4キロの味噌ができる。味噌は一年ほど寝かした方が旨くなるので毎年量を調節すればいい。もう、市販の味噌には戻れないから……。

材料

大 豆1キロ (できるだけ国産の新しいもの。外国産は油脂分が多い)
米 麹1キロ (スーパーでも売っているが、見つからなければ米穀店にあたる)
 塩 500g (自然塩を使う。「赤穂の天塩」など……)

用意する道具

大豆をつぶすためのバットか大きめの鍋にスリコギ又は木べら(フードカッターやマッシャー、挽肉器があれば手間が省ける)。大豆を煮るなべ。ラップ、落とし蓋。 保存容器(ホウロウやプラスチック樽)。重石は3〜4キロ(二等分できると便利)

作り方

夏も熟成させるのでカビ対策が重要。まず一番大きな鍋に湯を沸かして小物類を煮沸。次にその湯を使って保存容器を熱湯消毒し、水気をふき取って乾燥させる。調理用のエタノールアルコールをスプレーすればさらに安心だ。しかし、あまり神経質になって黴菌(ばいきん)を毛嫌いしても、味噌だって黴菌(麹カビ)の力を借りて作るのだ。カビが生えたらその部分を少し削りとってから、再び容器の内側をきれいにふき取ってやれば良い。


仕込みをする前日:大豆をさっと洗ってから約4リットルの水に浸して一晩うるかす。(大豆は2.5倍くらいにふくらむので大きめのなべを使うこと)。

@  十分に吸水した大豆をそのまま火にかけ、沸騰したら、軽くプツプツするくらいに火を弱める。最初はアクを取りながら、指で挟んで軽くつぶれるくらいまで煮る。(新鮮な大豆なら2、3時間。長くて5時間くらいで煮える。)。

A  その間に、塩と麹を手で細かくほぐし、両手で揉むようにしてよく混ぜ合わせておく。

B  大豆が煮えたらザルなどで水を切り、熱いうちにバットにあけてマッシャーなどを使ってつぶす(できるだけ均一になるように)。

C  そこにAの塩と麹を加えてしっかりと混ぜ合わせる。

D  それを少しずつ手に取ってボール状にし、左右の手でぶつけ合いながら空気を抜く。

E  それをまた保存容器の底に叩きつけるように押し込んで平らにならす。

F  すべて押し込んだら容器の内側をペーパータオルなどできれいに拭き取る。(この時も調理用アルコールを吹きつけておけばなお安心)。

G  ラップで味噌の表面を覆って空気を遮断し、落とし蓋を置いて重石をのせる。ほこりが入らないように新聞紙などで覆い紐で縛って、室温7度〜10度の場所に置く。(低温では発酵が進まず、高温では酸っぱくなる)

一ヶ月後に天地返しをするが、落とし蓋の上に水が上がっていれば順調に発酵が進んでいる証拠。上下をよく混ぜ合わせてからまた元通りにしまう。この時、重石を半分にする。その後は天地返しを二ヶ月ごとにくり返せば、夏にはもう食べられるだろう。 (気温が上がってきたらできるだけ風通しの良い涼しい場所に保管したい)。

発酵食品はみな生きものだ。育つ時期や環境、気象条件によっても違ってくる。美味しい味噌を毎年作って出荷している百姓の山城・田中夫妻(大滝村)が仕込む味噌は、この時期にはいつもガンガンに凍っているそうだ。雪解けとともにやっと発酵が進みだし、初夏に最初の天地返しをして、その後二度の天地返しを経て出荷する。

付録・鉄火味噌の作り方

鉄火味噌はゴマ味噌、ゆず味噌と同じ「なめ味噌」の仲間で、酒にもご飯にも合う。

「手前味噌」で作れば手放せない一品になるので紹介しておく。

材料

                
大 豆1カップ。
ゴボウ100g(洗って皮をこそぎ、大豆と同じ位の大きさに切って水につけておく)
赤味噌200g、砂糖 100g、酒  70ccを合わせておく。
胡麻油大さじ1

@  大豆(1カップ)をフライパンで転がしながら炒る(火力は豆を見ていれば分かる。強すぎれば焦げるし、弱すぎると時間がかかる。食べて美味しくなればOK)。

A  小さめのフライパンか雪平鍋を熱してから胡麻油を入れ、ゴボウを炒める。     (別に細かく刻んだゴボウを最後に少し加えて軽く炒めておくと味噌にコクが出る)

B  ゴボウに火が通ったら弱火にして、赤味噌・砂糖・酒を合わせたものと炒り大豆も加えて好みの硬さに練り上げればできあがり。好みで刻んだ赤唐辛子を加えてもいい。

              

以上。今日はこれまで!

味噌の仕込みは暖かくならないうちに早めにトライしよう! 美味しくできた味噌は、また、自慢しながら少しずつ分けてあげる。なんと言っても手前味噌なのだから……。

<次号に続く>