スクラップから世論を……『日本の外交は国民に何を隠しているのか』
新聞を読んで、切り抜く。習慣とさえ言えないほど習い性となっているその結果、切抜きが溜まる。とくに長旅の後、智子さんが切り抜いてあった記事を読んで、不在中に何があったかを見るのも一仕事である。けれども、毎日新聞を繰って記事を読むのと、スクラップされたものを読むのでは、同じような内容の記事を読んでも印象がまるで違うように思う。その瞬間の“喜怒哀楽”を感じることなく、どこか“醒めた”感覚で“読み解いて”いるのだ。ニュースばかりでなく、いわゆる解説記事の類にしてもその感があるのだから、やはり新聞はリアルタイムで読むべきものなのだろう。
その点では新聞もテレビ(あるいはラジオ)も同じようなものなのかも知れないが、厳然たる違いは、「残る」ということだ。テレビニュースの必要部分を“スクラップ”することは至難の技(というか、努力)なのだから、これは新聞の最大のメリットである。記事(ニュース・解説・論説)が、発信されたままの形で残ること……。その重みを再認識させられたのが、河辺一郎著『日本の外交は国民に何を隠しているのか』(集英社新書/2006,4,19)だった。
河辺さんとはピースボート49回クルーズでダブリン〜ニューヨーク〜日本(2005,7,9〜7,22)を一緒に旅した(『森』ニュース・51号)。ほとんど連夜の酒飲みに付き合わせ、深夜気がつくと彼の肩を枕にしていたという悲惨な体験まで強いた、省みて忸怩たる思いで頭が上がらない好人物である。そんな縁で、刊行早々本書を手にすることができた。
国連問題と戦後日本外交を専門としている河辺さんの講座の何回かを船上で聴いていたので、本書の内容も初めて知ったわけではない部分もあるが、新書版という読みやすい形と文体の本書を読んで、改めて考えさせられることが多かった。
日本の慢性的な国連分担金滞納にはじまり、イラク戦争を巡って出現してきた国連改革論、国連常任理事国入りの目的、イラク戦争支持と自衛隊派遣、経済制裁と拉致問題から国連分担金の負担率まで、戦後――とりわけ最近20〜30年間に「日本」がやってきたこと、やらずにきたことが整理されて提示される。そのほとんどが、我々市民(と括ってしまうが)が漠然と感じながら過ごしてきた不安や疑問、怒りの根源を明らかにしてくれるものとなっているのである。
我々と河辺さんの違いは、国連文書やメディアの論評を細かく検証することによって「日本」と「日本人」の姿を明らかにし、論理的な評価を下していることである。“学者の仕事なんだから当たり前”と言えないことはないが、"市民の仕事"を考え直すための提起が学界からなされたと考えるならば、その意味は大きい。「何のための学問・研究なんだ!?」と憤慨される学者たち(私でいえば、社会学や文化人類学に関わる)が多いなかで、とても貴重な存在と言っていいだろう。
国連文書はともかく、メディアの展開する文脈は、我々の日常とともにあった。新聞の論説や解説は勿論、報道記事にしても「何を」「どう」書いているのかは、日々配信され、検証しうる材料として提供されている。しかも、それらは「残ってきた」のだ。
本書に引用されている数多くの新聞記事とそれに類する文章群から、我々はもっと深刻にこの国の現実――不正義と虚言に満ちた――を読み取らなければならなかった。9.11前後の反テロ言説や自衛隊派兵、イラクでの日本人拘束・殺害から傭兵拘束など一連の事件にしても、我々は一定の批判を抱えながらも政府・外務省やメディアの発信する一方的な情報に操作されてきたのではなかったのか? そして現在は、拉致を含むいわゆる「北朝鮮問題」にそれが収斂されているのではないか?
「国」が「国」たり得るのは、対「外国」との関係においてであろう。したがって、いかなる「外交」がなされているかが、この国の現在を計り、この国の在りようを展望する最大の指針であるはずだ。そのことを、我々はあまりに知らない。知らな過ぎる。
対米追随、対米従属と言われてきた日米関係は、外務省(外務官僚)が米国の思惑や方針と異なる行動をとることによって、米国離れの道を歩き出していると河辺さんは指摘する。しかも、国内向けに「国連至上主義」を喧伝してきた日本が、その国連を無視し、乗り越えようとする動きさえ見せているというのである。我々が右傾化・反動化と感じ、危惧している政府・与党(あるいは、一部の野党も含めて)の動きは、外交政策によって裏付けされているのだ。
『しかも日本の行動は米国の枠すらはみ出し始めており、それは強制行動の分野にまで及んでいる。そしてそれを支えているのが世論である点で、まさに日本にファシズム的な状況が生まれていると言えよう。加えて右派が米国保守派への働きかけを強める一方で、リベラルは自国を問わないままで国連改革、すなわち世界のあり方の変革を求めている。これでは大東亜共栄圏を唱えたことと変わらない。しかもその日本は巨大な影響力を持っている。現在の日本はすでに国際的不安定要因となったと言っても良い』 (本書「おわりに」より)
まさに日本の外交は国民に隠されている。河辺さんによれば、政府も知らないことが多いだろうという。闇の帝国(?)の官僚たちは、我々をどこへ連れて行くのか?
スクラップを読み解いて、実効ある世論を作りあげなければならない。
そして、スクラップから幾つか……
あまり気は進まないが、触れないわけにもいかないだろうと……。
<道新/2005,7,14>
『アイヌ民族の伝統的生活空間
〜「イオル」再生 来年着手 /国交省 白老で先行実施』
《アイヌ民族の伝統的生活空間「イオル」の再生構想について、国土交通省は13日までに、2006年度から事業化する方針を固めた。胆振管内白老町を当面の「先行実施地域」に定め、既存施設を活用した拠点施設設計費や、伝承活動に必要な植物の育成費などを来年度予算案で概算要求する。これによりイオル再生構想は、発案から10年を経て実現する見通しとなった。》
<道新/2006,2,14>
『アイヌ民族の伝統的生活空間/イオル」再生事業
〜文化伝承へ特区申請 ― 衣服原料の植物栽培/ドブロク製造/サケ捕獲…』
《胆振管内白老町で新年度から先行実施するアイヌ民族の伝統的生活空間「イオル」の再生事業の計画案が13日、まとまった。 アイヌ民族の衣服や住まいの原料となる植物を栽培、採取できるように構造改革特区法に基づいて「イオル特区」を申請するなどアイヌ文化伝承を目的とした規制緩和の活用を盛り込んだ。》
「アイヌ文化振興法」(1997年)を産み出した「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会」の提言に基づいての措置だが、いかにも奇怪な代物である。
そもそも「イオル」というものの定義が、よく分からない。学者や研究者で「これがイオルです(イオルでした)」と説明してくれる人を、私は知らない。学者や研究者がどう考え何を言おうと、そんなことはどうでもいい、「アイヌにとっての定義さえあればそれがイオルである」ということだってできる。しかし、誰がそれを言えるのか?
1978年か79年の『ヤイユーカラ・アイヌ民族学会』大会で、「イオルとは何か?」をテーマにしたことがあった。各地のエカシやフチが元気だった頃で、山本多助、葛野辰次郎、栄貞三エカシなども参加していたのだが、博識・雄弁なエカシたちの中から「そうか、これがイオルなのか」と得心させてくれる説明を聞くことはできなかった。
栄エカシがチョークを手に板書しながら、「昔のことは判らないけど……つまり、オレラが住んでるとこよ」と図示したのは、集落を取り囲む漠然とした空間に過ぎなかった。本州の「入会地」や「入会権」のことなども話されたが、結局はイオルの姿を明らかにすることはできず、その復権や奪還(?)に到る道筋を考えることも出来なかったのである。
かくいう私自身も「イオル」という言葉を使うことがある。アイヌ史やアイヌ文化の講座のなかで、「かつてアイヌの共同体が生活する上で、必要な物資を調達できる環境がコタンを取り巻いて在った――それをイオルと呼んでおきます」という表現である。「それらコタンや地域のイオルの境界がどうなっていたのか、実態はよく分かりませんが、共同体(コタン)の崩壊・消滅とともに、イオルもまた消えていってしまった……云々」と。
さらに「イオルを領土と考えたい」と言うこともある。ウエペケレやウチャシクマにあるアイヌの地域抗争――十勝アイヌと日高アイヌなど――が、イオルを巡る抗争だったと考えるならば、カナダやオーストラリアにおける“オーラル・ヒストリー”同様に、アイヌはこの地の歴史的な領有権者足り得るはずだと。
「『旧土法』による給付対象国有地は、既にない」というのが、戦後に給付申請をしたアイヌに対する国の回答だったと聞く。しかし、対象地は今もある。長年の農林政策によって荒廃した国有林に手をつけずとも、見事に保全されてきた旧帝国大学(北大、東大、京大、九大)の広大な「演習林」は、給付の対象になり得る一級の候補地だった。1997年に『旧土法』が廃止されるまでは……。
「イオル=領土」とする考えや論調を、寡聞にして私は知らない。しかしそうでないならば、今「イオルの再生」などと言うことに、何ほどの意味があるのだろうか。「アイヌ民族の伝統的生活空間=イオル」とし、その「再生事業」を行なうという。「空間の再生」って何だ? 再生前のその空間は、死んでいたのか?
つまり、「アイヌ民族の生活空間の再生」では、現在のアイヌにその「空間」の領有や占有を認めることになり、大層まずいことになる。そこで「伝統的生活」として「これは過去のことですよ」と確認させたうえで、「空間の再生(?)」をやろうということである。巨大なジオラマをでっち上げようというのだ。
このテーマパーク建設構想に、自治体や一部アイヌが目の色を変えるのは、金と利権以外に目的はない。わずかばかりの金と優遇措置のために、再び三度、アイヌは自らが持っている(はずの)権利を奪還する道から外れていくのである。
そして……
<道新/2006,3,22>
『アイヌ伝統文化保全へ植物調査〜札幌市 新年度から/儀式や衣食住用 19種』
《札幌市は新年度から、アイヌ民族の衣食住や儀式など、伝統文化の継承に欠かせない植物の保全に向け、市内の植物の自生地の調査に初めて取り組む。調査結果を踏まえ、将来的には国の「イオル再生事業」への指定を目指し、アイヌ文化の伝承に努める考えだ。》
いやはや、「サッポロよ、お前もか!」である。
「伝統文化体験」や「儀礼」に必要な素材を公有地(市有・道有・国有)で調達し、逮捕され、「市・道・国がこの土地の地権者である根拠を示せ。その根拠が正当でないならば、この土地は依然としてアイヌのものであるから、逮捕は不当である」と法廷で戦うアイヌがいないものか……。
<道新/2006,3,30>
『被差別の視点で人権救済〜アイヌ民族ら市民会議 法制度を提言へ』
《差別される側の視点から人権救済制度の創設などを求める「人権の法制度を提言する市民会議」(通称・人権市民会議)が30日、東京で結成される。女性、障害者、在日外国人、アイヌ民族、被差別部落などの団体の代表らが年内に提言をまとめ、国や都道府県に法整備を求めていく。》
ウタリ協会理事長が世話人として参加しているが、現在も続いている「西本願寺札幌別院差別落書き事件」に到る過去数度(大きな問題だけで)のアイヌに対する差別事件に、一貫して「われ関せず焉」と関与を拒否し続けてきたのが同協会である。果たして「他人の褌」でなら相撲を取る気になるのだろうか?
そして、最後はお笑いを……
<道新/2006,3,12>
『祈りの場 代替地必要〜アイヌ文化保全対策委 平取ダム建設へ報告案』
《日高管内平取町に建設される平取ダムのアイヌ文化に与える影響を調査する「アイヌ文化環境保全対策調査委員会」(辻井達一委員長)は11日、同町二風谷の沙流川歴史館で最終会合を開き、水没予定地にアイヌ民族の「祈りの場」が含まれ、その代替地確保が不可欠とする最終報告案を提示した。(中略)辻井委員長は「3年間の調査は膨大だったが、一定の成果は得られた」と指摘。早急に最終報告書をまとめ、今月下旬に同町に答申する。》
「チノミシリ」と名づけようと名づけまいと、先人が祈りの場としてきた場所には、その場であるが故の理由があったはずで、「聖地」たる所以があったのである。その「場」を他に移して、何か意味があるのだろうか?
そこを「アイヌ民族の生活に密着する民族の誇りと癒しの場」と定義したのであれば、「ダム建設は中止すべき」と答申するのが普通だろう。少なくとも「アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される社会の実現を図り」と書かれた法律の趣旨に沿おうとするならば、そうなるはずである。つまり「あれ(アイヌ文化振興法)は建てまえだから……」ということですか?
沖縄・読谷のリゾート開発のために移転させられ、浜辺の一隅に建てられたコンクリートの集合墓を思い出す。家一軒建てるより高価ともいわれる伝統の亀甲墓が、沖縄人にとってどれほど大きな拠りどころになっているかを聞いていた私には、その集合墓は正視できないくらい痛々しく映ったのだった。
聖地の移転は笑えないが、そんな提言をでっち上げた委員先生たちの頭の中は、笑っちまうしかない! のである。
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