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ヤイユーカラパーク VOL53 2006.05.20
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おもな内容

西本願寺札幌別院・連続差別落書き事件

「対応委員会」が進めている(はずの)'94年から今日までの「総括書」作りに時間がかかりそうなので話し合いの日程を先送りにしてほしいという教区からの要請がありましたが、とにかく現時点までの進行状況を含めて論議したいということで、4月14日に次回日程を設定しました。

3月11日には『森』事務所で「差別落書き事件・10年の総括/学習会」を行い、1994年に一回目の落書きが発見されて以来の出来事を振り返るだけではなく、それ以前に北海道教区が置かれていた状況や教区内の人間関係、基幹運動をめぐる対立などがUさんから語られ、改めて"差別事件を起こしても何の不思議もない"当時の教区の状況を理解することができました。さらに、その後引き続いて起こされた差別事件が、ついにはMさんを死にまで追いやったこと、被害当事者には現在に至るまで何の働きかけも行われていないことなど、事件当初の教区内状況は変わることなく現在も続いていることが確認されました。新たに参加した人びとを含めて、改めて怒りを共有することができました。


4月14日の話し合いは、教区から7名(傍聴を含む)、『森』からは7名の参加でした。

直前に届いた「10年の総括」(案)は、1997年10月に当時の対応委員会が発行した(未だに未公開)『札幌別院「差別落書き」事件対応報告書』を分析・批判した内容のものでした。私たちは、当時も現在もこの「対応報告書」に対する評価は低く、さらに同報告書が教区内に開示されることも被害当事者に届けられることもなく推移してきたことを考えると、これについての検証や議論は時間と労力の無駄であることを繰り返しましたが、議論が噛み合わないままで時間になったように思います。

幾つかの課題(当面の)を提起し、次回を7月初旬に設定して委員会での作業を進めることを確認して、その夜は終わりました。


その直後(4月20日)の『中外日報』には、4月8日本山宗務所に、録音された声による差別電話がかけられたことが報じられていました。「本願寺教団は赤いエッタ教団」などと、札幌別院の落書きと同じ表現が使われたことに教団は注目しているとありますが、一体教団(基幹運動推進本部)は何か具体的な対応をするのでしょうか?