このところ女たちの動向が怪しいらしい。女たちが、深く静かに潜行して「ある計略」をめぐらしていると言うのだ……。この国では、近ごろ怪しいことばかり起こっているし、男たちはこれまでも怪しいことばかりやってきたのだから、いまさら「女たちが怪しい」と云われても、何のことやらさっぱり分からぬ御仁も多かろう。
そこで吾輩が(*)見聞きしたかぎりの説明をつけ加えておく。それは、団塊世代にまつわる事柄である。マスコミが「2007年問題」として数年前から取り上げているのでご存知の方も多いだろう。いわく「働き手の大量喪失」、「高度に養われた技術が継承されぬまま失われてしまう心配」などなどである。
一方で若者の就職難が問題になっているのに「なに言ってんだ〜」と考えるのは吾輩くらいらしく、企業にとっては死活問題らしい。団塊世代の仕事を穴埋めするには、若者を十人雇っても足りないと頭を悩ましている経営者もいるという。団塊世代とは、それほどにすぐれ、それほどに素晴らしい人々であるらしい。
ところが、来年から次々と定年退職を迎える団塊世代を待ち構えているのが、じつは、妻から夫への三行半だというのだ。「みくだりはん」は江戸の昔から、夫が妻に対して一方的に突きつけた離縁状のことだから、ここにきて時代は明らかに変わった。
団塊世代の男たちが抱えたこの現実の落差はいったい何なのだろうか…。寝食を忘れて会社に忠誠を尽くしたのに、会社は老後の面倒は見てくれない。どんなにおだてられても結局のところ使い捨てになる。家族のために必死で働いてきたのに、今度はその家族からも見放され、良くて「濡れ落ち葉」、運がなければ土壇場で三行半がまわってくる。
ほぼ同じ世代に属する妻たちにもさまざまな事情はあろうが、平たく言えば、やっと子供たちが自立したのに、仕事ばかりで家庭を顧みることのなかった夫のためだけに、再び「一日三度のご飯支度をするなんて真っ平御免だ」ということのようだ。
来春に施行される老齢厚生年金分割制度に基づいて「夫が受け取る年金を分け合って、老後はもっと自由に暮らしたい」というのが本音のようである。
なにも吾輩はこの場を借りて、離婚を思いとどまれなどと云うつもりはまったくない。ただ女も男も、もっと真剣にこれからの身の処し方を考えたほうがいいと思う。熟年離婚はすでに時流に乗っているし、出来ちゃった結婚と同じで珍しいものではない。
世間には、早く別れたほうがいいような夫婦だってたくさんいる。それでも吾輩には、離婚さえすれば自由で楽しい老後が送れるとはとても思えないのだ。そう考える人は、かつて「結婚さえすれば楽しい生活がおくれる」とでも考えていたのだろうか。そしてそれは、二人だけの「共同幻想」にすぎなかったのだろうか……。
料理とは何の関係もない滑り出しに「またか……」と思われる方も多かろう。それでも、今回はあえてここからスタートする。第一回にも書いた通り、親父料理術はいつだって現実的な対応からはじまるのだ。
(*)今回から一人称を「吾輩」にする。理由もなく威張りたがる男の姿は滑稽で面白く、何だか強そうに聞こえる「拙者」を使ってきたが、予想以上に女性の評判がよろしくない。本来はどちらも自分のことをへりくだって云う言葉なのだが……。
漱石先生にあやかって読者の一人でもふやしたいという下心もある。
「……吾輩は、オヤジである」。
マスコミが無責任な話題を提供しているのではないかと考えて、事実関係を調べてみた。厚生労働省の人口動態統計によれば、戦後、右肩上がりだった離婚率は03年にピークを迎え、04年には、バブル経済の崩壊で離婚率が少し下がった十二年前と同じくらいまで減っている。ところが昨年のデータでは、団塊世代の多くが含まれている同居期間25〜30年のグループの離婚率は前年比で一割以上減っている。「離婚する人が減ったのだから良かったじゃないか」とも言えるが、他のグループの平均的な離婚率減少の前年比は5%以下だから(同居期間1〜2年のグループだけは微増)その差分が一時的に離婚を控えている人々の数と見られているのだ。ちなみに年金分割の改正案導入が決まったのは03年6月だ。だから、その翌年からの統計がそこだけ急に変化したことと関係ないとは言い切れない。
今すぐに離婚すれば、夫の年金は裁判でも起こさないかぎり夫に有利になる。だが来年の四月まで待てば「正々堂々と分け前がもらえる」。それが現在の一時的な離婚控えの理由であると推測されている。
今はもう、完全に社会システム化された家族制度の中で、妻と夫の役割分担はそれぞれ対等な価値をもつだろう。だから、年金だって夫だけがその所有権を主張するのには無理がある。むしろ法の施行は遅きに失した。
この国の戦後社会は、炊事、洗濯、家事、育児のすべてを妻が引き受けることを前提として成り立ってきた。もしも、女たちがみんなでそれを拒んでいたなら、戦後の復興は、もっと別の形になっていただろう。当然、経済成長はこんなには進まなかっただろうが、今では、深刻なまでに失われてしまった「人間同士の触れ合い」というものを大切にして、女も男も、子どもや老人も、それぞれに助け合い、昔この国にもあったように、質素ながらも心豊かな暮らしを営める国を建設できていたかもしれない。女たちがすべてを引き受けてしまったので、男たちはふたたび「日の丸にっぽん」の企業戦士にならなければならなかった。先の世界大戦の時も同じだが、男たちを戦場に送り出した責任の一端は女たちにもある。だが、今ここで女と男の責任を論じたり、引き返すことのできない時代の流れを、あれこれセンチメンタルに考えることに何の意味もない。……話を元に戻そう。
吾輩は厚生年金を軍人恩給のようなものだと理解している。それでも自営業やフリーで仕事をしてきた者が受けられる国民年金は満額でも月に六万五千円だから、厚生年金受給者はかなり恵まれているとも思う。
とは言っても、一時的に離婚を控えていた妻たちが満を持して来春以降に離婚した場合、妻が受け取れる年金は夫の厚生年金全体の半分ではない。正確に言えば、厚生年金の「報酬比例部分の半分以下」なのである。それも婚姻期間内の分に限定されるから、平均すれば八万円ぐらい、月々十万円の年金を受け取れる人はそれほど多くはないようだ。
老婆心(?)で言うのだが、自分の財産がたくさんある人は別にして、この豊かな消費社会に慣れ親しんできた「普通の人々」が、晩年を年金だけを頼りに一人で暮らしていくのは並大抵のことではあるまい。若いうちならば経済的自立を目指すこともできるだろうが、ともに団塊世代となれば、この市場経済中心の社会の中で、長年の主婦生活体験からどのような道を開くことができるだろうか。
妻たちの我慢はすでに限界に達しているのだろうが、離婚相談を長年経験してきた女性が「これまでずっと我慢してきて、我慢をするのは得意なのだから、もう少しだけ我慢して、夫が先に死ぬのを待つほうが得だ」と説くのを聞くと妙に納得する。女の老後は男のそれより十年長い……。しかも、もし夫が先に死ねばそれはもっと延びる可能性がある(事実関係は確認していないが、夫が死んで元気になる女性は多い)。逆に、六十を過ぎて妻に先立たれた男の「五年生存率」は低くなる傾向にある。
師匠(*)も吾輩も東京下町に生まれ育った。したがって、育った環境による共通点はかなりある。言葉を一つとっても「ひ」と「し」の区別ができなかったり、いわゆる標準語とはかなり違っている。子供のころは、人間関係までお上品な(?)山の手の住人たちが、まるで異邦人のように見えた。下町の人々は、大正、明治を飛び越えて、江戸時代の町人の暮らしを色濃く引きずっているようなのだ。昔の落語に出てくる熊さんや八っつぁん、ご隠居さんやおかみさんがそれぞれの「自分」をさらけ出して生きている。大人同士の取っ組み合いの喧嘩もあれば、女房に逃げられた亭主の話や、色恋沙汰の噂までが子供の耳にも入ってくる。どこの家も表向きは亭主を立てているが、家の采配を振るっているのは、亭主よりもよく働き、家事、育児のすべてこなす「おかみさん」である。そのくせ、女には何の権利も与えられていなかった。男が男だという理由だけで虚勢を張り合う滑稽さ。女が女であるという理由だけで、社会的権利や人権まで無視される理不尽さ。そんな人間模様を子ども心に感じながら、二人はそれぞれに育ってきた。
師匠とは二十三歳のときに出会った。はじめから妙に馬が合ったのは、やはり共通するバックグランドのせいだったのだろう。親しくなって一年ほどたったある日のこと、二人で山登りに出かけた。新宿発の始発列車はとても空いていて気持ちよく、窓から入ってくる風に吹かれながら二人だけの会話を楽しんでいるうちに、吾輩はふと「結婚しようか」と、口に出して言った。それを聞くと師匠は、「うん、やろうやろう。やってみようよ」と、実に嬉しそうに返事を返してきたのだった。吾輩は「結婚とは『やってみる』ものなのか」と一瞬ひるんだが、師匠はウムをも言わせずに言い切っていた。
「駄目だったら別れりゃいいんだし……」と。
二十五歳で結婚した。その前年に一年だけ勤めた広告代理店で社長を殴って首になり、仕方なく「フリー写真家」になっていた。ふり向けば四十年の歳月が流れている。仲は良かったがケンカもよくした。「別れ話」は初めから日常会話になっているのでケンカの最中にはしない。たいていのケンカは翌日にどちらかが謝るか、あるいは互いに反省しあって落着する。多分、三分の二くらいは吾輩の方が先に謝っていただろう。師匠はいつだって真正面から正攻法でかかってくるのでかなわないのだ。
新婚生活も「甘い生活」とは縁がなかった。はじめの頃はトイレで吾輩が小用を済ませた後に便座を下ろすかどうかでさえケンカになった。結局は「男だって日に一度は腰掛けて使うのだから」という師匠の説得と、「どちらの方が美しく見えるか……」という提案を、互いに検証しあって吾輩が折れた。
別れる機会も何度かあった。別れて暮らした時期もある。近ごろは少なくなったけれど「ケンカ」も「別れ話」もいまだに続いている。すでに独立した息子には「毎日ケンカできるくらい仲がいいから安心しろ」と言っているが、夫婦だって突きつめれば赤の他人だ。その二人がひとつ屋根の下で日々一緒に暮らすのだから当然である。
いま、師匠と吾輩のあいだには世間で語られるような「愛」はない。二人にあるのは、それぞれの打算と、お互いの相手に対する少しばかりの思いやり。そこに「私は私、あなたはあなた」という互いの認識がかぶさっている。
打算というのはやはり経済的な理由が大きい、二人ならどうにかやっていけるが、それぞれに独立できるほどには財産も収入の当てもないのだ。「宝くじが当たれば別れられる」という話も出るが、買ったことがないのだから当たるはずもない。
ある日、教育現場に「愛国心」を持ち込もうとする動きに二人で腹を立て、「愛」について語り合っていた。そのうちに話が少し脱線してきて、「そう言えば、二人ともまじめに『愛しています』と、言い交わしたことがないね……」ということになり、吾輩が「それでも、結婚するときには『愛している』と思ったんだろう」と突っ込むと、即座に「あの頃はただ、盛りがついていただけよ……」と返事が返ってきた。「ウム、確かにそうだった」。二人のあいだには初めから『愛』はなく、ただ、互いの打算によって深く(?)結ばれているのだ。吾輩は心から同意して低くうなった……。
(*)しばらく師匠のことを書かなかったので途中から読まれた方のために説明しておく。すでにお分かりの通り、師匠はパートナーでもある。料理はすべて彼女に教わったので、この連載を書くに当たり、わが「愛」をこめて師匠と呼ばせもらっている。
ここまで書いた原稿を読み返してみて、何でこんなことを書いているのだろうかと思う。寄り道や脱線は毎度のことながら、度を過ぎれば迷惑だろう。編集人の光範さんはこの原稿を没にするかもしれない。吾輩は「愛なんかなくても一緒に暮らしている奴もいるぞ!」とでも言いたかったのだろうか……。だからと言って、読者が離婚を思いとどまる必要もないし、また、誰もそうするとは思わない。
「幸せ」とは、人それぞれの心の中にあるものなのだろう。アイヌのおばあちゃんが語る「何を欲しいとも、何を食べたいとも思うことがないくらいの幸せ」はいまも吾輩の理想だ。ヒマラヤの王国ブータンの言葉では、「幸せ」とは「私の心が好き」という意味だという。いつの日か、吾輩にもそう思える日が訪れたなら、そのときこそ、心から人を愛せるようになれるだろう。
熟年離婚を考える人たちにも、現実をしっかり打算して、幸せな老後を過ごしてほしいと思っている。親父だって、いつまでも空威張りをしてはいられない「現実」を踏まえて、新しい暮らしに向かう努力をしなければなるまい。
「さあ、さあ、張った張った。張っていけぬは親父の頭、張らなきゃ喰えない提灯屋……」。この、訳の分からぬセリフを今回のレシピに取り上げたのは、博打場の掛け声を、縁日で面白おかしく語る香具師の口上を思い出したからだ。男が男だという理由だけで威張っている姿ほど滑稽なものはない。自分の身の回りのことを自分でできないのなら幼児と同じだ。いままでは会社のためにしてきた努力を、今度は自分の日々の生活を築くための努力に変えて、気持ちよく暮らしてほしい。
女たちにも伏してお願いする。逃げることばかりを考えないで真剣に相手と向き合ってほしい。一度は愛した相手だもの欠点ばかりではないだろう。我慢も限界に達しているのだろうが、それぞれの真実をそれぞれに出し合って、互いに正面から見つめあわなければ、これまでの人生をすべて否定的にしか捉えられなくなる。言葉は悪いが、拉致されて一緒になったのでもなければ、当然相手だけの責任ではないだろう……。
今回はこんな状況だから「実習の手引き」を休講する。次回までのあいだは連載第二回の「はじめの一歩」を繰り返し復習していただきたい。忘れてしまった方は、インターネットで『ヤイユーカラの森』のホームページを検索すれば、ニュースレターのバックナンバーが紹介されているはずだ。
次回は思い切り楽しくデザートやお菓子作りに挑戦したい。では又……。
それぞれがそれぞれの立場で真剣に生きておられることを吾輩も充分に承知している。このようなふざけた文章を腹立たしく思われる方もおられるだろう。編集人がこの原稿を掲載してくれたとしても、その内容を支持してくれた結果ではない。文責はすべて筆者である吾輩にある。ご批判、感想などをいただければお答えしたい。
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