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2006.09.20 |
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「2003年北海道教区 差別ハガキ投書・差別落書き事件 対応委員会」と『森』との話し合いは、7月24日に行なわれました。教区対応委員会から7名、傍聴4名が、『森』からは5名の参加でした。
事前に対応委員会がまとめた「12年の総括――1994年札幌別院差別落書き事件〜2003年差別ハガキ投書・差別落書き事件から学ぶために」(草稿)を受け取り、各人がざっと目を通していたので、そのテキストを元に話し合いを進めました。私たちとの話し合いの前に委員会は、Uさんから総括書に対する意見を聞く時間を設けており、2時間半にわたって問題点を指摘された後に私たちと2時間の話し合いですから、大変な1日だったようです。そのせいなのかどうか、覇気の感じられない応答に終始しました。
12年間に起きたさまざまな事象(差別事件)に対する論評が、傍観者的(あるいは評論家的)な立場で書かれていることや、全体の主語がないことなど、『森』への「回答書」(2000年)へ到る話し合いの場で繰り返し指摘されてきた点が再び指摘されます。一体教区(少なくとも「対応委員会」)のなかで、あの「回答書」はどう位置づいているのでしょう?
「目次」を眺めるとそれなりの内容が列記されているのですが、各項についての本文中にそれらの問題についての"総括"は書かれていません。この12年間教区内で何が行なわれ、何が行なわれてこなかったのかが詳述され、さらに"何故行なわれなかったのか?"が検証されなければ"総括"とはいえないでしょう。
本文(23ページ)の前半部分について、問題点や認識の違いを指摘して、この日の話し合いを終えました。次回までにどの程度核心に迫る記述ができるのか、委員会での議論や検証作業が真摯に行なわれることを期待するしかありません。それにしても、欠席委員の数が多すぎるのが気がかりです。
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