前号での報告以来、教区・教団との間では、何ひとつ進展をみないまま今日に至っています。教区には2003年中の話し合い、2004年1〜2月の話し合い、3月の年度末までの話し合いを再三求めましたが、「基推委員会の日程が整わない」等の理由で実現しませんでした。
教団の運動本部からも、その後何の回答もありません。教区・教団ともに、「やりたくない」「やる気もない」のが明らかです。教区基推委宛に、次の要旨の文書を発信しました。
『11月5日付で教団基幹運動推進本部からの「回答」を受信しました。しかし『ヤイユーカラの森への回答』となっている同書は、一読して明らかに私たちの問いに対する「回答」にはなっておりません。
8月21日の話し合い席上で何度も本部の部長に指摘したように、『札幌別院「差別落書き」事件 対応報告書』(1997年10月30日)は、私たちが教区・教団に問うた事柄について何の回答も示されたものではありません。
また、事件発生後『ヤイユーカラの森』と約束した、「対応委員会」が回答するという点についても、論旨が不鮮明なまま強引に結論へと結びつけている内容であり、「回答」にはなり得ておりません。
したがって、私たちはその旨を教団に指摘し、再度誠実な回答を求める文書を発信いたしました。
貴教区基推委は過去、中央基推委員会に二度にわたり『「ヤイユーカラの森」からの問いかけに、誠実な対応を求める建議』を提出しております(2000年11月、2001年11月)。教区が、教団は『ヤイユーカラの森』に対し誠実に回答すべきと考えておられることに、私たちは敬意をはらって参りました。そこで、今回の教団からの「回答」を同封いたしますので、現時点において教区基推委がこれについてどのようにお考えかを、明らかにしていただきたいと思います。
基推委で検証・論議された上での結論を文書、あるいは次回の話し合いの席で、お示しください』
再三の催促に対して、次回話し合いの日程を「4月中に、新年度の委員会が話し合いを持つということで、日程の調整を行ないたい」という連絡と、上記文書に対する回答が届いたのは、3月末のことでした。
『昨年11月20日付にてご要望を頂いておりました、本山より貴職あてに届けられております「回答」(昨年11月5日付)につきましては、去る3月23日の当教区基幹運動推進委員会常任委員会において、「あくまでも本山として答えられている以上、教区基推委がこれについて議論をする立場にはない。」「現時点での本山の見解であり、これに対して教区が意見を述べることはできない。」などの確認がなされましたので、教区基推委としてはこの「回答」に対して意見を述べるにはいたらないこと、ご報告致します』
いやはや、教団は「教区の自主性を尊重」と言い、教区は「本山の見解」だからと言い、都合に合わせて己が立場を守ろうとする……。これが、親鸞聖人を宗祖と仰ぐ宗教集団の実態です。しかも、上意下達のピラミッドは毫も揺らぐことがありません。
差別落書きにはじまり、昨年の自坊への落書きへと続く数多くの差別事件の被害者である大乗寺のご住職が、ご自分のホームページに掲載されている「住職の日記」に、ある日次のように記しています。ご了解を頂いて、転載します。
大乗寺HP『住職の日記』より
「基幹運動」って、なんだ?
この運動に深く関わってきて、後悔の念が最近わき上がってくるのをどうすることもできないでいる。
「宗門あげての運動」などと、表現されてはきたけれど、そういう実態はほとんどない。基幹運動どこ吹く風と生きている僧侶はごまんといる。門信徒にも浸透してはいない。中央で言われたコトを真に受けて真剣に取り組んだら、手痛い苦渋を味わうこともある。
どこの世界もそうなのだろうが、教団もまた「表と裏」の二重構造で動いている。タテマエの「基幹運動」をまともにやると、裏からの逆襲が待っている、そんな感じがしてならない。まるでアナコンダだ。
僧侶になってからの四半世紀、私は基幹運動に人生をかけてきた。失望を何度も味わった。苦渋もなめてきた。けれども、一縷の光を、基幹運動に見てきた。いや、見ようとしてきたという方が、正確かも知れない。
しかし、私は蜃気楼を見てきたのだろう。実態のない夢を見てきたのだろう。そう思えば、少しは気が楽になる。まあ、夢を見ることができたことを、良しとしなければならないのかも知れないが、その事に気がつくまでに随分回り道をしたものだ。
十年も前に当時の基幹運動本部事務局長に言われたことがあった。
「人権回復を期するなら、弁護士に相談したほうがいいですよ。それが、長い間運動に携わってきた者としてのアドバイスです」
基幹運動に携わってきた人のことばとも思えなかった。なぜ、運動にまかせなさいと言えないのかと不審に思った。けれども、十年たってようやくわかった。いたいほどわかった。「基幹運動」が人権を回復することなどできないのだ。その事を、多くのひとはわかっていない。私もわかっていなかった。鈍すぎた。
基幹運動が例えば差別被害者の人権回復をはかることができるようになるためには、運動の質が変わらなければ所詮無理なことであろう。そして、運動の主導者が変わらなければ、結局はタテマエの運動で終わるのだろう。
今日の基幹運動は、行政の運動である。総長が基幹運動本部長、教務所長が教区基幹運動推進委員会会長、組長が組基推委会長になることになっている。宗務員として禄をはんできたひとが、必ずしも基幹運動のエキスパートではない。組長が必ずしも、基幹運動に熱心なひとばかりではない。基幹運動のリーダーを選ぶという意識で組長が選ばれる組がどれほどあるだろうか。教務所長でいる間は、「宗門の指示」によって運動を進めていても、やめた途端にご自分が進めてきたはずの基幹運動を、ぼろくそに言う元・教務所長を何人か見てきた。如何に、本気で取り組んでいなかったかを傍証してあまりある。
組織の上から下への指揮系統の運動になっているが、下からすいあげていくシステムが、ほとんどない。差別の被害を受けてみて、その事がよくよくわかった。札幌別院「差別落書き」事件の対応報告書が、差別被害者の手元に届けられない。私のことが書かれているはずであるが、私は未だに読んではいない。報告書を求めたことがあるが、結局は送られてくることはなかった。こんなことは、世間でも通用しないだろうに、それが堂々と通用してしまう「基幹運動」なのだ。残念きわまりないが……。
昨日の対応委員会に出席して、いよいよ思いを強くした。同朋運動のなんたるかを、わかっていない。よほどの覚悟を持って方向転換しない限りこういうなかから、「人権回復の方途」が生まれてくることは、きわめてむつかしい、と。それどころか、「対応要綱」の完成すら、危うい。いま必要なのは、徹底した論議ではないか。視点の違いを放置して、どうして「対応要綱」を完成させることができるであろうか。
「対応要綱」完成の日を、私の命日にさせないために、最後の力を振り絞って、私は向き合う。生産的な場ではないが……。
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