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 5.車窓の風景

  
   パドヴァ駅(!)
 

 ”えー、パドヴァ〜、パドヴァ〜、・・・線は乗り換えです・・”
・・なんていう放送は、イタリアの鉄道では流れません。他の国と同じく、列車は黙って発車し、黙って駅に着きます。(だったと思う。)
ローマからヴェネツィア迄は、鉄道の特急で移動しました。あちら(外国)で鉄道に乗ったのは、ロンドン−パリ間のユーロスターに続いて、2度目かな。

 外国の(イタリアの、というべきか)鉄道の駅は、日本のそれ以上に一寸無愛想だけど、珍しいので、例によってぱちぱちと写真を撮ってきました。
上の写真は、憧れの(笑)パドヴァ駅です。ヴェネツィアからなら、鉄道で30分。ローマ−ヴェネツィアの間にあります。いえ、パドヴァは、今回の旅の主目的の一つ(スクロヴェーニ礼拝堂のジオットのフレスコ画が)だったので、初めて着いた時は、感慨もひとしおだったわけです。
無論、このときには下車せず、後日、ヴェネツィアから出かけましたが。
・・・私の、普通の写真のほうのアルバムには、この写真の横に、”パドヴァだ! パドヴァだ!パドヴァだ! パドヴァだ!・・・・”と、感嘆符が連続しています(笑)。

車窓の風景を、少しだけご紹介します。
 


特急列車(1等車)の車内。

フィレンツェ駅
 上の写真左は、ローマ・ヴェネツィア間で乗った特急列車の一等車の座席です。新しめの車内で、シートはリクライニングがついて快適でした。日本の特急列車(新幹線とか)と同じように、特急の一等車といっても、ボックスになっている訳ではありません。でも、写っている通り、列車の真ん中辺に、プラスチック板で仕切った、一応”特等席”みたいなブースがあって、私の座った席はそれでした。実は、観光写真の項にも書きましたが、この移動日の前の晩に、荷物整理の時、腰を痛めて(軽いぎっくり腰状態で、寝返りが打てなかったり、起きあがるのに苦労したりしました。本気で、”日本に帰れるかな〜”と、不安になりました)いた所だったので、それと、このシートのリクライニングが、さすが椅子の国、という感じでエアクッションというか、座席を傾けるのなんかが、きわめて滑らかで、腰のためにはこれ以上無い、と言う感じだったので、大助かりでした。あと、ローマで泊った宿が、テルミニ駅のすぐ近く(徒歩2〜3分)だったのも、助かりました。
 右の写真は、フィレンツェ駅です。この旅行は、フィレンツェにも寄ろうかどうしようか迷って
(友達にも”どうせならフィレンツェにも行けば”と勧められた)いたのですが、日程的に無理ってことで、またの機会ってことにしました。で、途中通過した駅の写真だけ。
(でも、美術好きを標榜してて、2度イタリアに行ってて、フィレンツェに寄ったことが無いってのも、一寸妙ですよね。)
  

フェラーラ駅

ヴェネツィア・メストレ駅

 左の写真は、通過したフェラーラ駅の写真です。どーゆー都市かっていうのは、ガイドブックを詳しく読んでないので、判りません(笑)。でも、中世から続く、古都の筈です。歴史の本(例によって塩野七生さんのとか)を読んでても、良く出てきます。何より、名前の響きが好きです。
名前にふさわしい、写真が撮れたかと思って、結構気に入っています。
 右の写真は、ヴェネツィア・メストレ駅です。ヴェネツィアには2つ駅があり、一つは、ヴェネツィアに渡る直前、対岸にあり、もう一つは、ヴェネツィアと本土を繋ぐ橋を渡りきったところにあります。ヴェネツィア・メストレ駅は、本土の側の駅です。
  
  

ヴェネツィア・サンタルチア駅に着く直前。 
初めて見た、ヴェネツィア。

アッシジへのバスの通過点。ペルージャ。

 上の写真左は、ヴェネツィア・サンタルチア駅に列車が着く直前の写真です。海上の連絡橋を渡り、列車はヴェネツィアへと着きます。海上に杭を打って陸地を作った国の、海のすぐ近くまで建物が迫った町が、姿を表します。海上の杭は、船の航路(通行可能な道筋)を示しているのだと思います。ヴェネツィアは沼沢地、というか、浅瀬を埋め立てた国ですから、船の通行できる場所は限られているのだと思います。
 右は、順序が一寸後先になりますが、アッシジへの長距離バスで通過した、ペルージャの市街です。バスストップからの写真なので、あまり大したものではないですが。サッカーの中田選手が、先日までいたチームのあるところです。今は、ローマにいますけどね。

 こんなところかな。
やっぱり、旅は鉄道が面白い・・・かもしれません。飛行機じゃ、ひとっとび過ぎて、詰まらない、って感じですよね(便利だけど)。
 

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