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 4.”お約束”の観光写真
 

 
 ヴェネツィア リアルト橋
 

  旅行では、いろいろな名所旧跡を回ります。
やっぱりそういう場所は、”やっぱ見事よね〜”とか、”きれいだ〜”とか思う事が多いものです。
(”きれい””見事”だけ、あとは詰らん、ってのもままありますが。)
でも、それはやっぱり、旅の記憶の結構大きな部分を占めているもので、旅行の骨組みみたい感じもあります。
今回撮ってきた、名所旧跡の写真を一寸ご紹介します。

 まず、上の写真は、ヴェネツィアのリアルト橋です。ヴェネツィアの町を大きく蛇行して貫く、交通の要でもあるカナル・グランテ(大運河)の、丁度中ほどにあります。ヴェネツィアが商業と交易で真に栄えていた時代には、ここが経済と商取引の中心だったそうです。屋根のある商店が2列に立ち並んだ中と外側に、通路があるような形の、不思議な形の橋です。何か、印象的です。
 昔読んだ、森川久美という人のマンガに、ヴェネツィアの女元首(ドージェ)の話があって、その登場人物の一人のセリフ(錬金術師で怪しげな(ホントはとても真面目でいい奴で、私はそのキャラがお気に入りだったのですが・・・名前を忘れてしまった。不覚・・・))にこういうのがありました。
「リアルト橋のたもとで、来ない女を待ってたよ」
この話では、この錬金術師は、この”女”(貴族の振りをした、どこかのスパイかなんかだったような気がしますが)に嵌められて、濡れ衣を着せられかけていたのだと思いますが、とりあえず、そういうセリフを登場人物が吐く位有名な橋、ということ。
 あ、それから、これも蛇足ですが、ヴェネツィアの元首に女性はいませんでした。だから、森川久美さんの作品は、全くのファンタジーです(結構リアルっぽくて、破茶目茶で面白かったけどね)。
長い金髪の、男性の纏う長衣を着た、男名前(ヴァレンチーノ)を名乗る女の元首(ヴァレンチーナ、女名前で呼ばれると怒る)とか、その友達の軟派な(くるくる巻き毛の)画家が、聖母の絵のモデルに娼婦を使って、町の実力者にお目玉食らって騒動になったりとか。(なんか、いかにもありそうな話ですよね。)
 

 閑話休題。話が逸れました。
 


サンマルコ寺院と広場。夜。

デュカーレ(元首)宮
 左は、ヴェネツィア、夜のサンマルコ寺院と、その前のサンマルコ広場のカフェです。
昼に見る、絢爛豪華な眺めも良いけれど、こういう夜のシーンもまた良いです。
右は、デュカーレ(元首)宮。共和国時代のヴェネツィアの政治の中心であった宮殿です。
内部は、往時の栄華を現して、絢爛豪華な装飾に包まれています。宮殿がこのように豪華絢爛に彩られたのは、何も共和国を構成する貴族達が奢侈と栄華を好んだためではなく、共和国の、威勢と権威を外国の使節らに示す為の、いわば外交上の技術の一種としてでした。
 ヴェネツィア派と呼ばれる画家たち(ティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼ、ベッリーニ)の絵が壁や天井を飾り、数々の評議会等の間(木造の椅子が壁際にずらっと並んでいる)が並びます。僭主の支配による衰退を、一度も許さなかった、また卓越した外交手腕を持っていた現実主義の商人たちの国の、政治の中心です。窓やバルコニーの装飾が、かつてヴェネツィアで特産だったレースのようで、デコラティブできれいです。
(デジカメで気まぐれに撮った写真なんで、いまいちぱしっと決まってる、という感じでなくて、申し訳ないですが。)
 

お次は、ローマです。
 


スペイン広場。花盛り。

トレビの泉。
 スペイン広場とトレビの泉です。他に説明が要らないってのが何かなって感じもしますね。
スペイン広場は、ツツジの花盛りで、とっても綺麗でした。10年以上前、学生の頃に来た時より、綺麗になってたかな。(整備もされていたみたいだし。)

パンテオン内部。主祭壇(?)。 

ラファエロの墓。
 これも10数年前に学生の頃に行ったときに入りそびれた、パンテオン(万神社)に行ってきました。(前日の夜、トランク詰めてて腰を痛めたのに、タクシー駆って、”這いずってでも行くぞ〜”ってな感じで。おまけにその日はヴェネツィアへの移動日だったのに・・・私って、元気(というより、旅行中は火事場の馬鹿力状態が続くと言うか、一人旅で日本にちゃんと帰らなきゃと言うんで根性が座ると言うか・・・)。)
 左はその内部の主祭壇、右はラファエロのお墓です。ラファエロは私の大好きな画家の一人です。
 

 お次は、アッシジ。
 


聖フランチェスコ教会。バスからの眺め。 

聖フランチェスコ教会
 アッシジには、バスで入りました。ローマから、2時間半。ペルージャ(サッカーの中田選手が、先日まで居たチームのあるところ)経由。「地球の歩き方-イタリア編-」の、読者のコラムで見て。
鉄道と違って、乗り換えも無いし、アッシジのバス停車場に直接着く(鉄道だと、駅からバスに乗らなくてはならない)ので、便利でした。バス停留所は、聖フランチェスコ教会の近くにあったし(一応、街の外っぽい所だったけど)。
 聖フランチェスコ教会は、町の西の端にあり、とても大きい修道院です。左の写真は、行きのバスから眺めた聖フランチェスコ教会。上に突き出してる部分が、右の写真の、教会の主部です。
教会は、小高い丘の上に築かれた街の、西の端の大きな部分を占領しています。
右は、この教会の上層、正面です。とても大きな教会で、上部と下部の2層に分かれていました。築年代はほぼ同じ(14世紀半ば)ですが、下部の方が天井は低めで、暗めでした。上部は、天井は高く、大きな教会で、ジオット作の聖フランチェスコの生涯を描いたフレスコ画で全て覆われていました。また、下層の更に下に、聖フランチェスコのお墓がありました。いずれも、熱心な信者さんたちがたくさんお参りしていて、自分としてはなるべく邪魔をしないように見学した積りです。
でも、始終ざわざわしていて、しょっちゅう、修道士さんたちが、”静かに!”という意味の言葉で注意していました。聖フランチェスコのお墓では、(洞窟のような割と狭い部屋の中心に、大きな黒い柱のようなお墓があるのですが)お墓のすぐ外側にある柵に、本当に額づく(というか、額をつける)言う感じで、ひざまづく感じで祈っている女の人も居ました。お墓の前にも席が設けられていて、沢山の人が祈っていました。聖フランチェスコ派の総本山で、巡礼の目的地だと思うので、特にそうなのかもしれませんが、本当に、生きている祈りの場なのです。
 また、お土産物屋さんや、教会の中などにいる、縄の帯の、黒い修道衣を着た修道士さん達を見て、”こんな人生もあるのね”なんて、変に感慨にふけったりしました。少なくとも、この修道士さんたちの人生は、日本のお寺さんの住職さんの人生とかとは、一味違いそうです。

聖フランチェスコ教会。大城砦からの眺め。

小城砦と、街の裏手の城壁。
 さて、アッシジの街は、上に書いたように小高い山と言うか丘の上に、東西に長い楕円に近い形で広がっています。街の北側の方が高くなっており、そのてっぺんに近いところには、城砦(大城砦)と、街の周りを巡る城壁が築かれています。上の写真左は、その大城砦からの聖フランチェスコ教会の眺めです。後ろに広がっているのは、トスカーナの野です。トスカーナの平野を見下ろして、この教会は建っている訳です。
 右は、大城砦から少し下った地点から見た、街の東側の小城砦と、城壁です。

 こんなもんかな。
 デジカメの写真は少ないんで、スキャナが使えるようになったら、普通のカメラで撮った、良さそうなのを足すかもしれせん。

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