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     スイカ
 
 
(5)

 「あー、やっぱり暑いですよねー」
杖をつきながらゆっくりと歩く幸子に付き添って、ホームの向かいにある、古い寺の境内を散歩しながら、アスカは思わず言った。確かに、つば広の帽子をかぶっていても、照りつける陽光で焼かれた地面から立ち上る熱は、防ぎようも無い。
「仕方が無いじゃありませんか、アスカさん。それに、こうやって暖かければ、少なくとも凍えて死ぬ人はいないでしょう。こんな世の中ですからね、他の国のように、人が凍えて死ぬことを心配しないでいいだけいいのじゃないかしら」
幸子の言葉に、アスカは思わず微笑んだ。
「そうですね。・・・優しいんですね、幸子さん」
「そりゃあ、そうですよ。もう、人が死ぬのは沢山ですからね」

  あのあと、幸子は口数少なく、アスカがあの3人とどういった知り合いなのかを尋ねた。
アスカは、いつになく素直に、加持への憧れと、彼がNERVとゼーレの抗争に巻き込まれて(自分から首を突っ込んだという気配もあるが)死んだことを話した。加持に、ミサトという恋人がいたことも。彼らが、NERVと言う組織の中で彼女に最も深く関わっていたことも。
幸子になら、全て打ち明けられる気がした。いや、むしろ、聞いてもらいたいと思った。
全て聞き終わった後、幸子は、別段慰めの言葉は発しなかった。
ただ、アスカにこう聞いた。
「私に用意してくださった施設というのは、どこにあるんですか? 是非、連れていって頂きたいわ」

 そして彼らは、簡単に荷物をまとめ、紺背広の運転する車で、ホームへと向かった。用意された部屋に落ち着き、後の荷物は後日送るから、などと事務的なことだけを伝える紺背広の言葉を聞いた後、幸子はアスカに言った。
「出来たら、時々、遊びに来てくださいな。またいろいろと、あなたのお話を聞きたいわ」
アスカは少し迷ったが、素直にはいと答えた。この身寄りの無い老女の頼みを断ることは、アスカには出来なかった。また、アスカも、この人にまた話を聞いて欲しいと思っていた。

  あれから、2年近くが過ぎようとしていた。季節は、相変わらず夏のままだが、最近では少し季節が戻って、以前よりはやや気温が低めにはなっている。だが、NERV基地の周辺であろうと、ここへ来ようと、年がら年中セミが鳴いているのには変わりない。

 道沿いに細長い寺の境内の地面は、白く乾いている。所々にある植え込みも、葉が白んで、水を欲しそうな様子だ。境内の両端と真ん中辺り、3箇所にあるお堂の全てにお参りするのが、幸子の日課になっているらしかった。
「少し動かなければ、体がなまるし、それにぼけてしまいますしね」
年の割に、目から鼻に通るような聡明さで、ボケなど感じさせない幸子のこんな言葉には、アスカは思わず笑ってしまいそうになるが、笑うと珍しく幸子が心外そうな顔をするので、真面目な顔を作るのにいつも苦労する。ただ、やはり年には勝てず、物忘れはするようになっているらしかった。
 「シンジさんはお元気ですか」
世間話程度に、アスカはシンジやマヤの話をしていた。リツコに関わった彼らの話は、幸子には興味深いらしかった。
「ええ、相変わらずぼちぼちやってるみたいですよ。相変わらず煮え切らない感じですけど」
「あまりきつく当たっちゃ可哀想ですよ。アスカさんは賢いから、たいていの人がお馬鹿さんに見えてしまうんでしょう」
「うーん、そうかなあ。そうでしょうかねえ」
そこで並みの日本人らしく”そんなことないですよ”と、心にも無い謙遜をしないところが、ドイツ育ちのアスカらしい所である。だが、そんなことはさておき、幸子は、シンジとアスカが仲が良いような様子を話すと、どうも喜ぶらしい。少しばかりうっとうしいが、まあ、幸子が喜ぶならと、アスカは放っておいている。
 幸子は、マヤのことにも興味があるらしい。彼女が彼女なりに一生懸命、リツコの残した仕事に取り組んでいることを聞いて、全面的に肯定はしないものの、暖かい気持ちを持って彼女に関する話を聞いているらしかった。
 だが、その他のNERVに関する話には、幸子は全く関心を示そうとしなかった。むしろ、話を聞くのを嫌がっているらしかった。幸子にとっては、NERV組織内部の人間に関して許容できるのは、アスカとマヤ、そしてその周辺の僅かな人間だけらしかった。

  杖をつきつきゆっくり歩く幸子に付き添って、アスカも白い境内を歩く。既に真ん中のお堂には参拝した。残っているのは、敷地の端の本堂だけだった。
年齢の割にはしっかりした足取りの幸子の脇を、アスカも歩いていく。先ほど、正中さんが切ってきてくれて美味しく食べたシンジのスイカも、もうあらかた、汗になって出てしまっていそうだ。幸子のこの足取りでは、あと20分位は散歩にかかるだろう。
 アスカはもう一度つぶやく。
「あー、暑いですねー」
「・・・ふふふふふふふふ」
幸子はそれにはもう答えず、年齢に似合わない艶やかな声で含み笑いをした。アスカの一言一言を、心底面白がっているらしかった。
中天からやや傾きかけた陽が、それでも充分にじりじりと照りつける中、幸子とアスカはのんびりと、境内を歩いていった。

−完−

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