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     スイカ
 
 
(4)

  加持は彼女のドイツでの担当だった。
日本人には珍しく、西欧流のレディファースト的態度+洒脱さ、女性に対して、臆面もなく赤面するようなセリフを言えるずうずうしさを持った加持は、日本人といえば、ドブネズミ色のスーツ姿の事務官か、無味乾燥な白衣姿の研究者しか会ったことのなかったアスカにとっては驚くべき存在だった。
おまけに、まめで気配りがきく。そして、思いやりがある。と来れば、いくら頭脳明晰とは言え思春期真っ只中のアスカが憧れるのも当然であったかもしれない。

  個人主義的なヨーロッパ、ドイツで、しかもハーフの彼女は、いじめられることはないにせよ、その頭脳の明晰さも手伝って、同年代の子供達と親しくしたことは殆どなかった。また、大人達は、仕事の一端として彼女に接する為、仕事仲間として以上に親しくはなってくれなかった。
彼女の方も、母の人格崩壊と死と言うトラウマを抱え、14歳にして大学を修了をしたという優越感と、誰からも受容されないという劣等感の挟間で、エヴァのテストと操縦の訓練に明け暮れていた。
 そんな彼女を見かねたのか、加持はアスカをアミューズメントパークに連れ出したことがある。
最初は”馬鹿にされたのか”と思ったものの、アスカにとってそれは、晴天の霹靂とでもいうような楽しい出来事となった。ソフトクリームを舐めながら、女性の扱いに長けた年長の男性と手を組んで(というより、アスカの方で加持の手にぶらさがって)歩くというのは、それまでにない楽しい経験だった。
加持の方は、ちょっとした気晴らしをプレゼントしようと思っただけなのに、その外出の後、アスカがそれまでになくまとわりつくようになったので、閉口していたようだったが。
いうまでもなく、加持にとってアスカは、職務上面倒を見なければならない人間ということであり、また、その軽い見かけによらず、アスカを年相応に扱う常識も充分持ち合わせていた上に、後にアスカも知ることになった理由−心の中に、既に或る女性が住んでいたこと−もあって、そういったアスカのアプローチを全く取り合わなかった。

 アスカにとって加持の存在が大事だったのは、教育担当を兼ねた立場であるからだけでなく、加持が、アスカのことを心から気にかけていることが言葉や態度の端々に表れていたせいもあるだろう。彼女には自覚が無いかもしれないし、また、彼女には残念なことだが、それは、加持の本質−人に対して真摯であること−に由来するものであって、彼女に対して特別な感情を抱いていたからではないのだけれど。

  そして第三新東京市に使徒が現れ、アスカは加持と共に日本に渡った。そこで彼女を待っていたのは、加持の前任者、葛城ミサトと加持がかつて恋人同士であったこと、また、加持は未だにミサトを想っているという事実だった。母に関するトラウマ、そしてエヴァの操縦でシンジに負けると言うプレッシャーのせいで嵐のように波立っていたアスカの精神状態に、それは追い打ちをかけるような負荷となってのしかかった。
 加持がこの世から消えたことをシンジに告げられた時、アスカの精神状態は最悪だった。それゆえに、アスカは更に心の支えを失い、弐号機とのシンクロ率の低下に拍車をかけた。心神喪失状態に陥った彼女に、弐号機に封じられた彼女の母が手を差し伸べなければ、彼女はいつまでも幽冥の淵に留まっていただろう。

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  何瞬かが過ぎても、アスカは、写真から視線をそらすことが出来なかった。
このどうしていいか判らない事態をも一瞬忘れていた。混沌とした今の諸事にあって、かつて憧れていて、いきなり手の届かぬ世界へと行ってしまった加持のことを思うのは、アスカにとって、やるせないものだった。

 無為の何瞬かがさらに過ぎた。かすかに動いた空気に気づき、アスカはようやく視線を動かした。先刻まで、うつむき、すすり泣いていた幸子が、その視線をアスカに向けていた。涙がにじんだ目に、怪訝そうな色が浮かんでいた。
アスカがそれまで眺めていた方向を見て、幸子はアスカの動揺の原因を見て取った。彼女の孫と、彼女の孫の真の意味での、そしておそらく唯一の友人であった2人の人間の写真。彼らはもう、この世にはいない。齢80を越えた彼女が、こうして生きていると言うのに。彼らは、未だ、彼女の年齢の半分も生きてはいなかったというのに。

  幸子が、再び口を開いた。
「あなたも、大切な人を亡くされたの・・・?」
その声音には、先刻までと違った、同情と思いやりの気配があった。

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