魚菜王国いわて

核廃棄物

核廃棄物は、原子力発電の廃棄物のほかに医療廃棄物もあるが、ここではエネルギー問題の一翼を担っている原子力発電のゴミを考察してみる。
原発のゴミは、一般に高レベル放射性廃棄物と低レベル放射性廃棄物に分けられている。

まず、高レベル放射性廃棄物についてであるが、これは話にならない猛毒で、この世のものじゃないくらいスゴイ。
アメリカが日本に投下した原爆の死の灰よりひどい。
できたての廃棄物のガラス固化体1本には、セシウム137という放射能で比べると、広島原爆で放った量の100倍の放射能が含まれている。
これをそばで1分間浴びれば被爆量は200シーベルト。
2000年「原子力安全白書」では15シーベルトで神経系の損傷による死、100シーベルトで急性中枢ショック死が保障されている。

100万キロワットの原発を1年稼動させると、このガラス固化体が30本できる。

原発の使用済み核燃料は、今まではフランスに送って再処理してもらっていた。
それが、このガラス固化体に濃縮され、徐々に送り返されている。
全部で2200本返還予定だが、このゴミ置き場は、まだ決まっていない。
「青森県の六ヶ所村がそうだ」という人は間違っている(私もそうだと思っていた(^^;)。
六ヶ所村は、一時保管場所に過ぎない。

この廃棄物を地中深く埋設することを地層処分という。
地層処分についてのフォーラムが岩手県でも開催され、2001年12月22日付「岩手日報」で記事になっている。
それに対する私の投稿をここに載せておく。

 本県では環境首都を目指す一環として、ダイオキシン生成抑制に積極的である。家庭でごみ焼却に対する論議も環境問題に対する関心の高さを示すものである。しかし、原発の産する放射性廃棄物についてはどうであろう。
  二月二十二日付けの特集記事「エネルギー・フォーラム」の内容を県民はどう捉えたであろう。高レベル放射性廃棄物とはどういうものか、それすらわからない人がほとんどである。
 高レベル放射性廃棄物つまり死の灰はキャニスターといわれるステンレス製の円筒容器にガラスと一緒に固化されたもので、キャニスター一本には広島型原爆の約三十発分の死の灰が詰まっていて、三十秒間そばにいるだけで即死するほどの猛毒だと言われている。厄介なことにその放射能の寿命も地球の寿命に近いほど長い。それが二〇〇一年四月末現在四六四本、青森県六ヶ所村に搬入されている。さらに海外から二千本以上が搬入予定とのこと。
 これらの地層処分で「人工バリア」という言葉が出ているが、この人工バリアも残念ながら腐蝕する。その耐久性試験を岐阜県で行われそうになったが、当然反対運動が起きて取りやめになった。つまり、試験を行うということはそれだけ人工バリアの耐久性に難点があるということで、絶対ではない。放射性廃棄物が地下水脈に漏れ出し、これが水の循環で地表に現れた時に深刻な放射能汚染を引き起こす。岐阜県では物質移行試験も行われている。これは漏れ出た廃棄物がどのように動くか地下の状態を調べるもので、つまり漏れ出すことをすでに想定していることを意味する。現時点では地層処分は非常に危険であると言えるだろう。
 原発を含めた各施設の事故の起こる確率は決まっているとアメリカでは報告されている。つまり一定の確率でチェルノブイリ級の事故は起こるのである。そして各施設が多くなればなるほど、その確率は高くなる。二〇〇〇年十一月十九日、六ヶ所村で再処理工場の使用済み核燃料の貯蔵プールで、冷却ポンプが一時停止する事故があった。冷却が止まると核燃料が溶け出し、臨界・爆発につながる可能性が大きいと言われている。隣県で取り返しのつかない事故がおきたらどうであろう。本県も全滅である。 このことを踏まえて広域に被害の及ぶよな施設が隣県に建設されるような場合は本県がそれを非難することは当然の権利である。下北の東通村に新たに原発が建設されようとしている。少なくとも知事には苦言を呈してもらいたい。問題の重大さはダイオキシンの比ではない。
 核エネルギー問題を考えると、結論は原発の全否定である。電力不足は産業界にはマイナスであるが、地球上を放射線で汚染されるよりはずっとマシである。今回の高レベル放射性廃棄物の地層処分の記事は、県民がどれほど核廃棄物について知識があるか試しているようにも見える。ぜひ核エネルギー問題の本質に対しても知識を深め、議論してもらいたい。

     参考・引用
       原発のゴミはどこいにくのか
         創史社
       脱原子力社会の選択
         新曜社

これを投稿する前、岩手日報へ電話をし、「エネルギー・フォーラム」の記事について問い合わせた。
電話で対応した人は、このフォーラムに出席した人ではなかったが、一応、高レベル放射性廃棄物について聞いてみた。
私の半分の知識もない。
記事の見出しは「今こそ処理方法の議論を」だが、「議論の前にまず知識を!」と私は言いたい。
知識なくして議論は成り立たない。
記事中に「公募」という言葉が出ているが、高レベル放射性廃棄物や地層処分の実態を少しでも知っている人なら、「公募」という言葉を笑うに違いない。
処分場所に応募する自治体があるわけがない。
しかし金の力は恐ろしい。
財政の悪い自治体は受け入れようとするという。

これらのことは、投稿の引用文献「西尾漠著「原発のゴミはどこにいくのか」(放射性廃棄物についてはすべてこの本から引用)に詳しく書いてあり、私も、初めて廃棄物の実態を知った。
この本は、昨年5月に出版されたばかりであり、原環機構(原子力発電環境整備機構)が間もなくフォーラムを行ったというのはあまりにタイミングが良すぎる。
原環機構のやり口を正面から批判した本が一般に知れ渡る前に、世論を操作したかったのではないか、と私は疑っている。
高レベル放射性廃棄物受け入れ問題を抱えているのは、北海道幌延地区、岐阜県東濃地区、岡山県内陸地方であり、いずれも、さまざまな研究所の誘致や既に核燃機構などの研究所がある。
無断試験(実験)も取りざたされており、地域住民は、もちろん反対である。

低レベル放射性廃棄物は、海外で高レベルに分類されているくらいの放射性廃棄物も含まれているという。
法律の分類上そうなっているらしい。
この低レベル放射性廃棄物こそ、六ヶ所村の埋設センターが、最終処分地である。
しかし、その杜撰な管理は開いた口がふさがらない。
搬入される前の廃棄物は、原発サイトにドラム缶で保管されており、すでにその時点でドラム缶が腐り、中身が出ているという。
これを補修して運んでも、また、ポタポタ漏れるものもあるらしい。
また、雑固化体の埋設場所を二号埋設施設と言うらしいが、この場所のコンクリートがひび割れていて、そこにモルタルを塗りつけて補修していたとのこと。

恐ろしくなってくる。

原発も、いずれ寿命または事故で使い物にならなくなれば廃炉となる。
これを一基解体するだけで、50万トンの放射性廃棄物が発生する。
原発が動いているだけで続々と毒を生み、止まった順に次から次へと大量に毒を出す。
いずれ、この維持管理費は、電気代に転嫁されるという。
どこが経済的だ。
こんなバカな話はない。
今すぐ原発は止めてもらいたい。
さまざまの理由を付けて原発を推進しようとする人の土地に、低レベルでいいから管理をお願いする。
なんなら高レベルでもお好きなように!

なぜ、原発は東京などの都会に作られないのか?
それは危険だからだ。

関連施設も危険だから、田舎に追いやられる。
都会の電力が足りないから、東京は、地方に金をばらまいて、安全と便利さを買っている。
「東京都の電源のために原発建設とそのゴミ処分場を受け入れてくれますか?」と石原都知事に聞いてみたいものだ。

電力会社は原発利権を手放して、トヨタやホンダのように積極的に家庭用の省エネ自家発電装置でも開発すべきだ。
自らがあらゆる代替エネルギーへの産業転換すれば、原発利権などいらなくなり、国民からも批判を受けなくて良い。

それを仕向けるのが政治の役割なのだが、政治家は利権に群がるから無理か。
たとえ、経済が後退しても、本当に原発を肯定する人はいないだろうから、国民も我慢するだろう。
現に、アメリカのカリフォルニア電力危機が起きて、それでも人々は生き長らえている。
不便でも人間は死ぬことはない。
しかし、猛毒の中では生きられない。
そこのところを原発推進者は考えるべきだ。
  
さて、ここで、カリフォルニア電力危機について触れたい。
この出来事を笑った日本人もいるかもしれない。
しかし、これは、この地の進取の気性が生んだ感動的な物語に、不運が重なっただけの話である。
私たちは、笑うことはできない。
以下は、すべて長谷川公一著「脱原子力社会の選択」からの要約となる。

カリフォルニアの州都はサクラメントシティーである。
1989年6月6日、住民投票でサクラメント電力公社ランチョ・セコ原子力発電所の閉鎖が決定した。
天安門事件の年である。
14年間稼動してきた原発が、住民投票で閉鎖されるのは、世界でも珍しい事態である。
1960年代に、国際原子力機関の設立者ストラウスが発言した「原発のコストは安すぎて測れないほどだ」という言葉に象徴されるように、原発ブームがアメリカで起きて、サクラメント電力公社でも、ランチョ・セコ原発一号炉を1967年に発注した。
当時、原発のゴミは無視されており、「クリーンで安くて安全な」原発神話を、疑う者もあまりいなかった。
しかし、これが悲劇となる。
この原発は、1975年4月から運転開始となったが、運転開始前からすでにトラブルが発生しており、その後も、ものすごいトラブルだらけで、閉鎖するまでの稼働率は39.2%、実に40日に1回の割合で止まったという。
しかし、当初、これほど事故が起こるとは誰も予想しておらず、2号炉の建設計画がすでに立てられていて、建設債券発行が住民投票にかけられていた。
賛成55%反対45%で承認されたが、この45%の反対は、サクラメントで、初めて消費者による反対運動の起きた証でもあった。
1976年1月の理事会で、サクラメント電力公社は二号炉の建設を断念することにした。
経営者側から、次の断念理由のレポートが提出されている。
  オイルショック後のインフレで建設費が高騰した
  核燃料のコストが高騰した
  稼働率が見積もりの80パーセントを大幅に下回っている。全米平均でも60パーセント程度。
その年の6月、「カリフォルニア州エネルギー委員会は、連邦政府が高レベル放射性廃棄物処理に関する実証的な技術が存在すると認めるまで、いかなる原子力施設の新設もしない」というカリフォルニア原子力安全法を可決、発効した。
ゆえ、カルフォルニアでは、今後、原発が作られることはない。
全米でも、1978年を最後に原発の新規発注はない。
1979年に同型炉のスリーマイル島2号炉の炉心溶融事故が起き、それだけでものすごい衝撃であったが、1986年にチェルノブイリの原発史上最悪の事故が起き、世論は完全に反原発へと向かった。
しかし、現ブッシュ政権は、原発推進を掲げた。

ここで注釈を加える。
史上最悪と書いたが、チェルノブイルも及びもつかない核惨事は、既に1957〜1958年に旧ソ連で起きている。
これは原発事故によるものではない。
「地下に貯蔵された放射性廃棄物が爆発し」たとされている。
しかも、それは低レベル放射性廃棄物という。
爆発によって廃棄物が飛び散り、1千平方ロ以上が汚染された。
これは当時、ソ連の放射性医学研究所放射線分子生物学研究室室長のメドヴェージェフがイギリスに亡命し、1976年にイギリスの科学雑誌「ニューサイエンティスト」で暴露した。
しかし、欧米の原子力研究者、CIA、米ソ両国は否定している(理由は簡単!)。
言論の自由、出版の自由は尊いもので、西側のマスコミは、次々とその証拠を見つけ出している。
その最初の一人、トウメルマン博士は次のように語っている。
「スベルドロフスクから約100キロメートルのところに“ここより30キロメートルの間、決して停車せずに最高スピードで走り抜けること”という道路標識があり、見渡す限り、壊れた家の煙突だけがあり、全く何もありませんでした。スベルドロフスクの周囲は極度に放射能を帯びていました。」
これが「ウラルの核惨事」で「キシチムの大惨事」とも言われる。(立花隆著「同時代を撃つ?」

この大惨事を意味するものは深刻である。
まず、低レベル放射性廃棄物が爆発するということ、低レベル放射性廃棄物で大量の死者が出たということは、決して字の通りの低レベルではないということ、そして、事故が本当はどういう事故なのか、という情報を米ソが明らかにしないこと(つまり、本当に、低レベル放射性廃棄物が爆発して起きたのか?ということ。もし、これが本当なら、私たちは死神と同じ布団に寝ていることになる)


カリフォルニアに戻る。
ランチョ・セコ原発が閉鎖されるまで、サクラメント電力公社の総裁は、めまぐるしく変わった。
しかし、それが原発を止めた原因ではない。
また、先にあげた両事故も、実は直接的な原因ではない。
原発を止めたのは、超「草の根」運動だった。
チェルノブイリ事故直後にランチョ・セコ原発の危険性を深刻に受け止め、批判的な活動を始めたサクラメント市民はせいぜい20〜25人程度だった。
最初の反対運動からの組織「安全なエネルギーを求める市民たち」で、常時いたのは、だいたい15人ぐらいだったのだから、ものすごい少数である。
あるとき、ブラックマンという幹部が、やはり超「草の根」活動をしていたコピー屋の女性と知り合い、それから急展開した。
その彼女の知り合いに弁護士や環境運動家がいて、必要な専門家が揃いだした。
やがて、運転継続派と即時閉鎖派という対立軸ができるまでに「草の根」は成長し、ランチョ・セコ原発閉鎖要求の住民投票へと進んでいく。
当時、この問題は全米の関心ごとで、住民投票は全米の原子力産業の行方を占う様相を呈していた。
両派の支援は全米規模となり、1988年6月7日に第1回住民投票が行われた。
この時、この原発は1985年12月以来停止しており、「試験運転再開」か「即時閉鎖」で投票され、「即時閉鎖」は否決され、「試験運転再開」可決された。
その差は、わずか1%であった。
運転再開された原発は、その後も運転実績は悪く、再度、住民投票が実施された。
「運転継続派」はこのキャンペーンで58万ドル投じている。
結果は冒頭のとおり、原発閉鎖決定。
住民投票にはサクラメント電力公社の意思を縛る法的拘束力はないのだが、試験運転の結果が悪く、再度の投票で、電力公社は信任されなかった。
住民投票の投票率は、通常の選挙よりも10パーセントも高く、これは、明らかに住民の意思である。
それゆえ、この決定に、公営電力は従わざるを得なかった。
結果、ランチョ・セコ原発運転の負債のうち、2.4億ドル分を1997年以降の電気料金に上乗せが予定されている。
ちなみに、5億ドル分の負債は、回収不能として帳消しとした。
原発廃炉の費用が、どれほどになるのかの問題はまだ未解決である。
ゴミ(使用済み核燃料)は半永久的に残るのだから、膨大な費用となるだろう。

1990年、ディビッド・フリーマンがサクラメント電力公社の総裁となってから、この公社はよみがえり、世界の電気事業者をリードするモデルになる。
まず特筆すべきは、ディマンド・サイド・マネジメント(DSM)だ。
電力需要を増やさず、そして電力設備を増やさずに、設備稼働率を高めて経営効率の改善に努めるという考えだ。
ピーク電力の抑制(例えば夏場の冷房消費電力など)で、余剰発電設備を持たなくてもよくなる。
これは、ピーク電力を考えて発電所を増設している現状を、逆に考えたものだ。
フリーマン総裁のすばらしいところは、基本的な方針DSMに従って事業を遂行していくことにある。
その需要抑制策の一つ「緑のエアコン」計画がそれで、省エネ用の植樹のため50万本の木を無料配布した。
もっとすごいこともやっている。
旧式の多電力消費型の冷蔵庫やエアコンの買い替えキャンペーンである。
買い換えた人には報奨金が支払われ、なおかつ、その人は電気量が安くなる。

電力公社側はその省エネ分、発電負担、設備負担が減るから、報奨金を支払っても割に合うのだ。
このようなことを、日本の電力会社はできるだろうか?

さて、フリーマン総裁は1994年に勇退している。
その後、彼はコモ・ニューヨーク州知事によって、ニューヨーク電力公社の会長兼最高経営責任者に招聘され、2基の原発を閉鎖しようとしたが、州知事選でコモは敗れ、共和党のパタキが当選した。
フリーマンは最高経営責任者の地位を奪われ、カリフォルニアのようにはできなかった。
筆者の長谷川氏は、「原発閉鎖はカルフォルニアの住民の進取の気性によって、実現できたものだった」と述べている。

サクラメント電力公社ができるまでも曲折があった。
そもそも電力公社とは、消費者所有の電力会社である。
それを妨害する勢力が民間電力会社であった。
サクラメント電力公社は1923年創設であるが、PG&E社が抵抗もしくは妨害して、送電を開始したのは1946年末なのだ(なんと23年も営業できなかった)。
公社設立のきっかけも、サクラメントの住民投票である。
この公営電力の出現で電気料金は下がり、配送電設備の更新拡充が行われ、消費者にその恩恵がもたらされた。
ちなみに、PG&E社のお膝元サンフランシスコでは1911年以来80年以上も、公営電力の設立に抵抗している。
サクラメント電力公社の歴史は、巨大な独占資本PG&E社との戦いであったがゆえ、サクラメントシティー住民の強力な意思が、ランチョ・セコ原発の閉鎖、ひいては今日の省電力やクリーン電源確保への取り組みへと導いたのだ。

この後、半導体産業の隆盛で電力が足りなくなり、電力危機が起きた。
しかし、皮肉なことに、今は半導体不況である。



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