魚菜王国いわて

ディズニーの著作権意識に対する疑い

宮崎駿さんの「千と千尋の神隠し」が、アメリカで、何か賞をもらいました。
で、報道によれば、ディズニーの「白雪姫」に匹敵するとのこと。
日本向けのリップサービスだと私は思いますが。

今日は、そのディズニー批判を少し。
ちょっと前に、大岡哲さんの「日本経済を考えるヒント」を紹介しました。
買って読んだ方はご存知だと思いますが、手塚治虫さんの「ジャングル大帝」の記述部分に、アメリカの著作権意識に対する疑問を私は感じました。
長文引用です。
大岡さん、お許しください。

ディズニー・アニメの「ライオン・キング」が、日米でミュージカルとなって好評ロングランである。この「ライオン・キング」は、1994年にウォルト・ディズニー社が5,500万ドルで製作、アニメ映画として世界的に空前の大ヒット。アメリカ国内の劇場収入3億1,300万ドル、米国外で4億5,400万ドル、ビデオが5億2,000万ドル、ライオン・キングのぬいぐるみなど「ライオン・キング・グッズ」が、なんと30億ドル、これだけでもおおよそ5,000億円の収入。さらにエルトン・ジョンの美しいサウンド・トラックは1,100万本売れたと報じられてたのを数年前に読んだことがある。なんと50億円あまりのコストで製作したものが、その100倍以上の大儲けということになる。
私も「ライオン・キング」が封切りされてすぐ、わが家の小学生にせがまれて家族と一緒にサンフランシスコ郊外の自宅の近所の映画館に出かけた経験がある。ポップコーンを食べながら観ていたが、「どこかで観たような、よくある筋立てだなあ」と感じた。小さい子供のライオンが家族を亡くし。意地悪を受け、苦労しながらも立派な王者となっていく話だ。たぶん、イソップ童話のような普遍的な物語を下敷きにしているのかとも考えた。しかし、思いおこせば、「鉄腕アトム」で有名な手塚治虫の「ジャングル大帝」にそっくり。手塚治虫ファンである子供たちは、「ライオン・キング」に感動する一方、「ジャングル大帝」とストーリーが同じようだと感想をもらした。家内も「ライオン・キング」はよくできているが、「ジャングル大帝」を真似したか、少なくとも強い影響を受けていると分析した。他方、手塚作品に今一つなじみのない一般のアメリカ人家族は、新鮮で素晴らしい作品として絶賛していた。
しかしながら、当然、日米でその類似性から「ライオン・キング」の独創性に疑問が呈された。アメリカでも日本のアニメに詳しい人は、一様に「これは剽窃したのではないか」と指摘し、日本サイドからも抗議の声が挙がった。だが、ディズニー側は、当然こうした見方を否定。弁護士団を組織してこれに対応した。一方、わが国では、手塚治虫の遺族まで巻き込んで、非難抗議の動きが高まった。しかし、結末は「手塚治虫もウォルト・ディズニーを尊敬し、ディズニー・アニメにあこがれ、これに追いつくようにとがんばってきた。もし、ディズニーにアイデアを盗まれて、真似をされてしまったとしても、これは光栄なことと考える」という手塚治虫の遺族サイドからの見解から、この問題は急速に収まってしまった。
(「日本経済を考えるヒント」p122)

大岡さんは、日米の考えの違いを書くにあたって、これを題材に無形物に対する権利意識の違いも論じています。
権利意識の強いアメリカで、鈍感な日本人を相手に、無理やり主張を通すなど、ちょっと著作権を主張する意識を疑います。
はっきりするのがアメリカだと思ってましたが、この著作権の分野でもアメリカを見損ないました。
やはり、すべてはカネのため、でしょうか。
もし、「ジャングル大帝」がアメリカでメジャーであったなら、おそらく「ライオン・キング」は、世の中に出ていなかったに違いありません。

とまあ、ここまでは硬化した話ですが、実際に「ライオン・キング」を見てみると、ストーリーに飲み込まれて、著作権など、どうでもいいような気持ちになります。
アニメの背景は、人間が全くでないことを除けば、「ジャングル大帝」を同じであり、主人公のシンバは、レオと同じ設定で、王国を守るわけです。
ディズニー側が、手塚作品に影響された、と素直に認めれば、何の問題もなく通るでしょう。
大岡さんが言われるとおり、日本人は、著作権に対しては鈍感であり、よく言えば、寛大です。
いつまでもディズニー側がこつぱれば(宮古弁)、製作にあたった人たちは、後々、心の中で後悔するでしょう。
どうやっても、歴史や事実は変えられませんから。

アニメファンは「な〜んだ、そんなの昔の話」と言われるでしょうが、そうでない人は、「ライオン・キング」を見てみましょう!
(2003年3月26日)

加筆
大塚英志さんの「物語の体操」という本を読みましたが、その中で「ジャングル大帝」のことに触れていて、こちらとしても参ってしまいました。
引用します。

そう言えば何年か前、ディズニー映画『ライオン・キング』が手塚治の『ジャングル大帝』からの盗作ではないか、という声がまんが関係者の一部から上がったことがありました。しかしよく考えてみれば『ジャングル大帝』がディズニーアニメ『バンビ』の模倣というか借用というかそういった側面が少なからずあることは手塚治虫のファンにとって周知のことです。
(大塚英志著「物語の体操」p49)

安易にお詫びします(笑)。
私は門外漢のアホでした。
このような盗作疑惑になりそうな問題を、大塚さんは先ほどの引用文のすぐ後に、次のような記述をしています。

だからといってそれが手塚治虫の価値を下げるものでは少しもありません。むしろ手塚治虫とディズニーの間になされた「盗作」のキャッチボールはある意味では物を作るという行為の理想形とさえ言えます。無責任な言い方ですがディズニーアニメを模倣することで出発した手塚治虫にとってディズニーに「盗み返されること」は作家として本望だとさえ言えたはずです。そういえば大友克洋がかつて、まんがの世界で盗作だなんだと言い出したらまんが家は全員手塚治虫の盗作じゃないか、といった意味のことを言っていたのを目にした記憶がありますが、それは決して間違ってはいません。
(前掲書p50)

大塚英志さんは、文学を学問しています。
いや〜、文学って、副島隆彦さんは、かなりバカ扱いしていますが、この「物語の体操」を読んで、「10へぇ〜」でした。
またまた引用します。

物語を抽象化していくと表面上の違いが消滅して「同じ」になってしまう水準があり、それを「物語の構造」と呼ぶ、ということだけを覚えてくれれば今は充分です。
(前掲書p60)

「物語の構造」には、実は、一定の法則があるのだと。
その法則性を、いろいろの他の文献から引用し、説明しています。
そして、その法則とは、大塚さんいわく、「行きし帰りし物語」、つまり、抽象的に行って帰って、という行動において、主人公が「成長」する、という構造が大多数を占める、ということのようです。

いろいろなストーリーを当てはめてみると、確かに多いですね。
これでは簡単に「盗作だ!」なんて言えなくなってしまいます。
この加筆からは、話が横道に行ってしまいますが、せっかくですから、高橋源一郎さんの解説の一部分を引用しておきます。
カッコイイので(笑)。

もっとも簡易で、かつ原始的な「物語」とは、子どもが大人になる「物語」、成長する「物語」だ。もっというなら、どこかに「行って帰る」ことによって主人公が変化する「物語」だ。それ以上の「物語」を、人間は発明しなかった。作り出す必要がなかった。いまと違う自分がありうることだけが、人に生きうることの可能を教えるのである。その意味で、その意味だけ、「小説」や「文学」に意味があるのだ、とぼくは考える。
(前掲書p229)
(2004年4月28日)



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