魚菜王国いわて

「日本経済を考えるヒント」を読んで

この著者は大岡哲さんです。
あれ?どこかで、と思われる方は、このサイトを隅から隅まで読んでおられる優良読者です。
以前、岩手日報に掲載された、この方のコラム「不良債権問題の虚実」を、私は取り上げたことがあります(削除しちゃいました)。
実は、この方からメールを頂き、その時、いよいよ著作権の苦情かな?と思いきや、違いました。
そんな心の狭いお方ではなく、助かりました。
しかも、今日の題名の本を紹介してくださりまして、非常にうれしかったです。
その感想をいよいよ書きます。
なお、このような引用のやり方は、すでに本人の了解をとってありますので、珍しく堂々と書きます(いつも堂々と書いてますが・・・)。
丸善ライブラリーです。定価は780円プラス税金

最初にびっくりしたことから。

何と、当サイトと同じ趣旨の文章がたくさんあったことです。
原点となるものが、一見見過ごしがちな疑問、それから導く思考などにあることは、もうホントに当サイトと似ています(大岡さんには失礼かもしれませんが)。
そして、私だけが異端ではなかった、と安心しました。
ゆえ、重複する内容は書きません。
この本は7章からなり、ネットビジネスから、アメリカと日本の比較、住環境、学校など多岐にわたっています。
アメリカと日本の比較では、私と違うなあと思うところも結構ありますが、そこは頭を切り替えて読むと、勉強になることもたくさんありました。

まず最初に日本社会の萎縮性と言ったらよいのでしょうか、かつ、学歴社会の原因の一つと言ってもいいと思います。
それを表す文章を引用します。

やるべきは、「よくない会社」をつぶれないようにみんなで支えることではない。競争社会で生き残れない人を延命させることではない。世の中、敗者を出さないように努力することではない。社会的弱者には別途の救済が考えられるべきであり、敗者は敗者にならなければならない。もちろん、敗者にも再チャレンジのチャンスが与えれるべきことは言うまでもない。日本には、なかなか敗者復活戦の機会がないのである。一度、敗者になると永遠に敗者の烙印を押される。これでは、うかうか敗者になることもできない。わが国の社会には、生き生きとしたすがすがしい勝利と敗退のメカニズムが内蔵されていないのである。
(「日本経済を考えるヒント」p76)

この指摘は本当ですよね。
稀には復活する人も美談として出てきますが、まず、敗者復活戦はない。
失敗すれば立ち上がるのに、ものすごい努力と才能が必要。
そして、世渡り上手でなければ。
この前、誰だったか、国会で、この敗者復活の制度を政府に提言していた議員がいました。
アメリカの制度を例にして。
「勝ち組み」と言われる人たちも、このあたりを考慮して、何か復活制度を提案してもらいたいですね。
だって、「勝ち組み」だって、いつ敗者になるか、わかりませんから。

アメリカ批判大好きの私ですが、アメリカには、たくさん学ぶところがあります。
それは政治思想という分野ではっきりしています(副島学問)。
私は、アメリカのグローバリズムが嫌いなだけです。

第三章のアメリカン・ビューでは、アメリカの良い点を書いてあります。
念のために、アメリカと日本の比較は、第三章だけではないことを付記しておきます。
次に挙げるのは、アメリカの企業規模についての文章です。

他方、米国の現行の力は、産業界への影響という意味では日本よりずっと弱い。米国の銀行の数は一万数千行もあり、行員10人あまりの小さな銀行もある。「零細多数」なのである。そして、個人マネーを吸収する金融機関としての銀行の地位は非常に低い。個人でも小切手を常用して、電気代から水道代などの日常のさまざまな支払いを行う米国では、銀行は決済口座管理機関としての色彩が強い。企業は株式や社債を発行して資金を調達する。人々は、銀行に預けないでこれに投資する。株式で資金運用する。こうした投資を扱い、資産運用業務を行う証券業の経済的役割の重要性は大きく、社会的地位も高い。
(前掲書p109)
大国アメリカが中小企業の国だというと、驚かれるかもしれないが、実際そうなのである。具体的に数字を示そう。米国には企業が2,100万もある。このうち、99.94%が中小企業。アメリカの企業はほとんですべて中小企業と考えていい。大企業はたったの1万4,000。1,600社に1社の割合だ。一方、日本はどうだろう。会社事業所は650万。しかし、このうち大企業が6万ある。アメリカの4倍あまり。全体の1%が大企業。100社に1社の割合だ。
これらの数字から、二つのことがわかる。第一は、米国の企業数が、日本に比べてずっと多いこと。経済規模に比しても、人口に比しても会社数が多いといえるだろう。第二が、米国は大企業が少なく、ほとんどすべて中小企業であること。まさに、中小企業が圧倒的。言い換えれば、アメリカ人は気軽にどんどん会社をつくって事業をやっていく。だから、会社の数が多いということになる。わが国では、会社を興して企業を立ち上げようというと、なんとなく大それたことということになり、どこかの企業の勤め人の道を選ぶのが普通だ。それもなるべくなら、大企業。個人が中心になっての会社設立などという「徒党結社」の類には、抑制的なのが日本の社会であった。
(前掲書p186)

アメリカは「中小企業」大国だったんですね。
そして、、最初にあげた敗者復活からの関連付けで、次のように書いています。

わが国は敗者復活戦が非常に少ない社会なのだ。これでは、うかうか店じまいということはできないし、逆にまたリスクを冒して新しいことをやってみようなどというベンチャー精神も起こりにくいだろう。
日本は米国に比べ、事業を起こす自由度も少ない、そして事業を閉じる自由度も少ない国、まさに活力の発揮しにくい社会といえるだろうか。
(前掲書p187)

日本は合併大規模化が盛んです。
私は、大規模化による体力強化とは?と問い、ああだこうだと書いて否定して、小規模乱立多様化を勧めています(「人間社会の多様性」参照)が、この大岡さんの敗者復活の文章も、見事に「中小」の良さを書いています。
私としては、もう大喜びでして。
喜んでもどうなるわけでもないですが。

第六章に「都市と地域と環境と」があり、これはまた重要ですが、長くなりますから明日にします(本当は眠いのです)。

あと、必読は「比較優位」の原則です。
これは買って読んでください。
これについてはいろいろ見方があると思いますが、大岡さんの文章は人柄が見えるというか、いやアメリカ的というのでしょうか、あるいは「人間は違って当たり前、その違いこそ社会形成に役立っている」。
あれ、違うかなあ。
何書いているんだろ?
まあ、読んでみてください。

最後に、この本の趣旨である文章を紹介します。
一番最初の「序にかえてー考えざるべからず」の抜粋です。
この本は、題名こそ「経済」が付いてますが、経済とは数字ばかりを見るものではないと暗に言っています。
私は、次の文章を最も強く皆さんに捧げたいです。

どうも最近の日本人は考えるということをしないようである。もちろん従来も、さほど考えるということをしたわけではないかもしれない。そもそも思考などというのは、日本人は不得手なものかもしれない。しかし、逆にいえば今こそ考えなければいけない時代がやって来た。考えなければやっていけない時代なのである。
「言われなくてもよく考えているよ」という人もいるだろう。しかし世の中のことを「○○○ってなんだろう?どうしてだろう?ほんとうかな?ちょっとおかしいんじゃない?どうしてそうなるのだろう?なぜなのだろう?どうしたらいいのだろう?世界ではどうなのだろう?歴史的にはどうだろう?これからどうなるのだろう?」と自分の頭で考えているだろうか。頭と心で理解し納得しているのだろうか。細かい数字や言葉の意味を問うているのではない。解説本を読めというわけではない。学者のように考えろといっているわけではない。こうしたものはわれわれの求める本質とは遠いことが少なくない。いつも額に皺をよせて思案にふけるべきだというのではない。机に向かえと言うのではない。難しい本を読んで考え込めと言っているのではない。電車の中、場合によってはトイレの中、歩きながらでもいい。寝床でもいい。役人も政治家も経営者もサラリーマンも学生言うに及ばず、主婦でも、おじいちゃんでもおばあちゃんでも、子供でもみんなそれなりに一人一人折りにふれ、考えることをしなければなるまい。
(中略)
日本が失ったものがあるとすれば、それは人それぞれが、自分を、日本を、そして世界をよく考えることからしか生まれまい。もし、日本を嘆くのならそこからの出発しかあるまい。安逸なる閉塞や満ちたりた冷淡の中で人々は、考えることをしないようである。従って理念に徹する精神に乏しく、ただ情勢に流されて行く。「一国文明の進不進はその国人の考へると考へざるとに由るなり」(中江兆民)と言う。日本人が考えないということは、日本に進歩はないということ。
(前掲書「まえがき」)
(2003年2月10日)



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