魚菜王国いわて

漁協合併

今朝の報道では、2007年度末に岩手県下の漁協が全部合併し、「県一漁協」になるらしいです。
来年度末までには、宮古漁協は重茂漁協と合併します。
田老漁協は小本浜漁協、田野畑漁協と。
数日前からこのことは知っていたんですが、公表されるまでは一応控えておきました。

宮古、重茂、田老、小本浜の4漁協は、県下でも有数の優良漁協で、地元漁民のためを考えるなら、単独でやったほうがいいのです。
大きくなればなるほど、地区の意見というものは通りにくくなりますから。
しかし、お国の指導のもとに、各自治体などの合併が勧められており、漁協合併も例外ではありません。
その背景には、財務状況が最悪の漁協がたくさんあり、その救済を図るための合併。
すなわち、合併の大まかな推進理由は、困っている漁協をみんなで助けよう、ということです。

「万人は一人のために、一人は万人のために」

これは、漁協の何かのスローガンとなっていて、確かに素晴らしいスローガンです。
しかし、これが曲者でして、じゃあ、「一生懸命頑張っている者が、怠け者まで助けなきゃならないのか?」という普通の疑問が湧き上がってきます。
「財務状況の悪い漁協、すなわち倒産寸前、あるいは倒産していてもおかしくない漁協の責任というのは、どこで追及されるべきか?」という問題もあやふやなままです。
それらの漁協内では、責任の押し付け合いをやっている、という噂も聞きます。
合併させられる優良漁協は、当然、嫌なわけです。
その辺に漁協合併が進まない原因があります。
このまま責任追及なしに合併すれば、その合併漁協の役員の責任も非常に軽いものとなるでしょう。
それでも役員報酬はしっかりもらっている。
組織が巨大になればなるほど、負債を抱えたときの責任は、誰も取りません。
せいぜい辞めるくらいのもので、その例は国会が良い例です。
このように責任の軽い役員ならば、誰だってなろうとするでしょう。
ですから、合併するに際し、負債の大きい組合は必ず責任追及はしなければなりません。

私は「負債の責任を全部かぶれ」と言っているわけではありません。
「まったくの“お咎めなし”というのはおかしいんじゃないか」と言っているのです。
これは、すべての団体、企業に言えることですが、全部負債を償えというのは死ねといっているようなもので、たとえ責任を追及されるべき人がいくら頑張っても、償えないものは償えません。
逆に全額免責なら、みんな会社経営をやって、うまい汁だけ吸おうとしますから、その免責分をどれぐらいにするか、ということを考えるべきです。
そうすれば、先ほど書いたような無責任役員は生まれなくなるでしょう。

本当は、全部そうなんですが、負債が大きくならないうちに、潰すところは潰して、新たな漁協を作るとか、あるいはその地区の近隣の漁協に加わるとかしていれば、こんな大合併などしなくてもよかったのです。
潰すということは、経営側はタダでは済みませんし。
それを半端に助けようとするから、取り返しのつかないくらいに負債が大きくなるんです。
また、金を借りる側の免責というものをしっかり設定していれば、失敗しても、その責任分を償えば、当事者はやり直しができるわけです。
これこそ、敗者復活戦のできる社会と言うことができるでしょう。
やり直しのできる社会というのは、逆に考えれば、おのおのが失敗を認めやすい状況が生まれ、その失敗による負債も大きくならずに済むことにもなります。
当然、不正隠しも少なくなるでしょう。
今の敗者復活戦のない社会では、一度の失敗は致命傷ですから、みんな隠すんです。
非常に暗い社会ですよね。
一生緊張して生きていかなくちゃならない。
これじゃ、頭がおかしくなります(この敗者復活戦のない日本の社会の指摘は「日本経済を考えるヒント」に書いてあります)。

ということで、漁協合併には私は反対です(前からそうですが)。
合併するなら、限定免責付きの責任追求がなされることが絶対条件です。
(2004年2月19日)



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