魚菜王国いわて

経営の大規模化が本当に良いのか?

以前紹介した零細な町工場と高弥建設とのひどい関係から、大企業と銀行のあり方を書いてみます。

大手企業のつけまわし
高弥建設は、ご存知の通り(倒産)になり、債権者は半ばあきらめているのではないでしょうか?
高弥建設には、海洋土木事業もあり、これはいわゆる公共事業専門です。
海洋土木部門は、確実に建設費用を回収できるわけですから、特に事故などがなければ、恐らく業績は悪くなかったと思います。
海洋土木事業は、だいたいは台船、曳き船、警戒船の3隻1船団でやっていて、これら機械類の修理、オーバーホールは、地元の町工場がやっているわけです。
その町工場が、以前紹介した零細な町工場であり、問題の高弥建設に売掛をたくさん持っているようです。
それも宮古で一番あるらしく、最も被害を被った零細事業者です。
もし、高弥建設の海洋部門が独立採算でやっていたなら、こんな売掛金は無かったでしょう。
しかし、東北最大手のゼネコンですから、すべて連結で、リゾートやら何やらの赤字事業のツケが、優良部門に回された恰好になります。
建設会社自体は、どこにしわ寄せが行こうと関係ないのでしょうが、被害者にとってはいい迷惑です。
しかも、その町工場にお世話になっている漁業者にもしわ寄せがきます。
万が一、町工場がつぶれたらどうするのでしょう?
この町工場は宮古だけでなく、下閉伊全域の漁船の面倒をみています。
もうオカのツケを海に回すのは止めてもらいたいです。(オカの賃金上昇は漁師を十分苦しめました。「賃金上昇は何を招いた?」参照のこと)(←ファイル消失)。

この優良部門を相手にしてきた町工場には、大企業側は、少なくとも、一番最初に買掛金を支払うべきであり、銀行に対する債務は後回しにすべきです。
同じ金を貸したことには変わりはないのですが、銀行は金貸しのプロ、一方、町工場は、機械のプロであって、金貸しのプロではありません。
どう考えても、高弥建設を放置してきた銀行側にも、責任の一端はあります。
ゆえ、銀行側は、一歩下がるべきです。

といっても、無いものは仕方がないですね。

そこで、町工場側にも、銀行側からの借り入れがあるのでしょうから、その借り入れ先と高弥建設の債権のある銀行が一致する場合は、銀行側は、町工場側の債権を放棄するべきです。
このようにはっきりしている場合は、銀行も誠実に対応してもらいたいものです。

経営の大規模化で体力をつける、とは、このように内部の資金をいろいろな部門に流用できるということであり、倒産という事態になった場合は、このような悲劇が起きます。

地方には地方の価値観を
自治体合併はどうでしょう?道州制はどうでしょう?
合併で何をしようとするのか?というビジョンが全く示されておらず、ただ自治体の大規模化をすればいいというものではありません。
内部構造を変えないで合併しても、赤字体質は何も変わらず、逆に利益誘導は増えると思います。
その証拠に、地方ほどもう道路はいらない、もうインフラ整備は十分だ、という謙虚な声は未だ聞こえてきません。
そろそろ、東京は東京、岩手は岩手、宮古は宮古、というような考え方をし、すなわち田舎が都会と同じような生活を求めるというような考えは止めたほうがいいと思います。
統治組織の赤字悲劇は、債券で見かけ上、緩衝されていますが、最後には増税で倍増します。
(2002年12月29日)



反グローバル(多様化・小規模化)関連

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