魚菜王国いわて

宮城県宮崎町(スローフード)

今日は、得意の、著作権侵害の新聞コピーします(笑)。
2月1日付「岩手日報」夕刊「青春.jp」からです。
岩手日報のサイトで、この記事があったら、リンクしようとしたのですが、ないんですよ。
で、あるのといえば、全国紙と同じ内容のものが多く、どうせ地方紙なんだから、地方のものだけ、ネット上では掲載すればいいのですが。
だって、全国のニュースは、どこのサイトでもやってますから。
たまにですけど、いい取材をせっかくしても自分のものにしてない、そんな感じを私は受けます。

前にも書きましたけど、コピーの簡単なPCのブラウザ上に、記事を載せといて(表現がおかしい?)、コピーするなって方が間違い。
コピーが著作権侵害というのなら、コピーできない技術でも作ったらどうですかね。
それもセキュリティの一つでしょうに。

新聞報道の知識がみんなに広がれば、それほど喜ばしいことはないんじゃないかな、新聞社にとって。
それなら、いい記事は、その日が過ぎたら、コピーしまくってみんなに配布したほうが世の中のためになりますよ。
はい、前置きが長くなりました。
新聞で読まなかった人は読んでください。

「アケビのみそいため」「コゴミのごまあえ」「イチジクのつくだ煮」・・・。広い体育館に置かれた大テーブルの上に色とりどりの料理が並べられた。ざっと四百皿以上。
午前十時、皿にかけたラップが一斉にはがされると、館内においしそうな香りが広がる。「つまみ食いは勘弁してください」。実行委員の大声が飛ぶ。見学者たちは「ちっちゃいころによく食べだっちゃねえ」「子どもたちにも見でもらいだいね」などと談笑しながら、料理と、紙に書かれたレシピを見比べた。
どれも地元でとれた食材を使い、それぞれの家庭で作っている料理。誇らしげに見つめる地域の女性たちー。2002年11月2日、宮城県宮崎町。1999年から毎年続いている「食の博物館」(01年までは「食の文化祭」)の風景だ。
「暗いうぢから準備してけるおばちゃんたちがいっぱいいる。見返りなんか何にもないのに」。仕掛け人の宮崎英明(33)はそう言いながら、一皿ずつカメラで撮影した。
宮城県北部の山沿いにある宮崎町は人口約六千三百人。大型スーパーやコンビニはなく、町民の大半は野菜などを生産。特産品もない過疎の町と自他ともに認めていた。宮崎は、そんな町の専業農家の長男として生まれた。高校時代にデザインに興味を持ち、東京や遠い欧州にあこがれた。ふるさとの町には関心がなかった。「あれがない、これがないというマイナスの先入観ばっかりで、いいどご(所)が全然見えでながった」
東京の大学のデザイン科に進み、92年、広告代理店に就職した。あこがれの職業のはずだったが、日々の仕事は「空虚にこなす」だけ。「長い間愛され、使う人と近い関係でできるデザインってないのかな」。そんな思いが募った。
大学院に入り、特産品開発やイベント企画などの地域デザインを勉強。96年、宮崎町商工会の活動にかかわって、地域おこしに汗を流す同級生らの熱気に触れた。97年から1年間、特産品開発のための調査をし、町の各家庭に多種多様な漬物やモチ料理、山菜料理などの食文化が残されていることに驚いた。
「山、川、野山の木の実や山菜の豊かさ、保存食の技術の深さ・・・」。
生まれ育った土地なのに、再発見の連続。「すげえどごだなあ。まんざら捨てだもんじゃなぞ」
民族研究家、結城登美雄(57)とも「カネをかけて新しい特産品を作るより、町のことを住民に知ってもらうことが先決」と意見が一致。食の博物館の発想が生まれた。
最初の年、町内全戸に出品を頼んで回ったが、反応はいまひとつ。「どれだけ集まるのか、心配で・・・」
当日、宮崎たちが待つ体育館に、早朝から町の女性たちが次々自慢の料理を持ち込み、結局、世帯数の半分を超える八百皿が並んだ。
初めて見る光景。「圧巻だった。レシピに書かれた名前を見て、一人一人の母ちゃん、ばあちゃんの顔が浮かんだ」。ある主婦は当日まで出品を確約できなかった理由をこう話した。「畑に聞かないと、何が作れっか分がんないでしょ」
食の博物館は、イタリアで始まった「スローフード」(地域の伝統的食文化)の日本版の試みといえる。昨年12月、農水省の「地域に根ざした食生活推進コンクール」で最優秀賞を受賞した。「協力してくれた人たちの力が結集した成果。感謝を込めてみんなに贈りたい」と宮崎は言う。
(2003年2月1日「岩手日報」夕刊「青春.jp」)

そのあとの記事は、住民意識の変化を書いていますが、省きます。
美しい記事ですね。
この宮崎英明さんのような方は、ものすごい希少価値の人間だと私は思います。
このような行動を取るきっかけは、常にいろいろ思考をめぐらしていた結果、つかんだものでしょう。
そして、その機会を逃さなかった。
同じような行動を似たような境遇の人に取れと言っても、無理というもの。
それほど難しい行動です。
このような思考、行動が誰にでもできるのなら、過疎なんて問題とは言えなくなるんですが。
スーパーもコンビニにもない、そんな町に今の若者、いや40から50代の人たちだって、いられるのかどうか?

スローフードについてですが、この記事は要約してこう書いているのでしょうが、私は正しくないと思います。
日本スローフード協会のサイトを訪ねてみてください。

http://www.slowfood.gr.jp/

スローフードはファストフードに対する造語で、ファストフードによりファストライフ(つまり時間に追われる生活)が加速された、とされています。
まあ、ファストライフがファストフードを求め、その需要に答えるべくマクドナルドなどが誕生した、というほうが正解かもしれません。
ファストフードは、食文化の均一化、画一化をもたらし、食文化の多様性を否定していきます。
それに反対する運動が、スローフードの運動でしょう。
そういう風にスローフードを解釈するほうがいいと思います。
ここまでは、スローフード協会サイトに書いてあります。

私的にもっとこれを考えれば、これは岩手県の「がんばらない宣言いわて」に通じるものがあります。
そう、スローライフ。
ファストライフ化した現代で、いろいろな社会問題を解決するには、ファストライフでは無理だ、スローライフを見直そう、という考えで、しかも地方は独自の方向性を見出して、都会とは違った生活をしていこうという考えを伴い、それを推進するには、地方分権、そしてそれを実行するためには財源移譲も獲得しよう、というように、実は、増田県政は一貫した政策を施しています。
地産地消」もその流れであることは当然であり、それゆえ、スローフードの日本版とも言われます。
もっと考え進めれば、スローフード運動は、アメリカの単一種押し付け政策の否定につながります。
人口6,000人余りの小さな過疎の町が知らず知らずに、大国アメリカのアグリビジネスの一画を崩そうとしているわけです。
こう考えれば、政治、社会のことを考えるのもおもしろいでしょう。
小さなことでもいろいろとつながるんですね。
(2003年2月5日)



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