魚菜王国いわて

利用される学会員

学会の人格攻撃
創価学会の世界には独特の論理がある。「辞めるか辞めないかは、自分で決めることではない。任免は池田大作会長の意思であり、勝手にやめるのは、不遜の極みだ」というものだ。
(「お笑い創価学会 信じる者は救われない」p57)

これは、竹入元公明党委員長が、1998年、朝日新聞紙上で、「秘話・55年体制のはざまで」と題した回顧録に載せた文章です。
確か、自民党の議員たちは、「辞めるか辞めないか(進退)は、自分で決めることである」と言っていましたよね。
その自民党と公明党が組んでいるというのは、気持ち悪いですね。
回顧録は12回掲載され、これに対し学会側は、公明新聞(公明党機関紙)や聖教新聞(創価学会機関紙)で、「天下の変節男」「欺瞞の天才」「畜生以下の非道」「泥棒野郎」「銭ゲバ」「ヘビ」などと、竹入氏のことを呼んでいます。
竹入氏の回顧録は、ただ単純に公明党の内部を批判したものではないというもので、このことを記したおおもとの山田直樹さんの論文「創価学会・公明党 竹入元委員長攻撃の狂気」(前掲書p94?、初出誌は「文藝春秋」1999年1月号)を読めばわかります。
さらに、竹入氏への人格攻撃は続きます。

「最近判明したことですが、竹入の女房の兄弟が二人続けてガンでなくなった。まさに地獄の形相だった。悪にみいられた竹入、そして女房は地獄に落ちる」(要旨)
婦人部幹部会等での幹部らの発言である。
(前掲書p106)

普通こんなことを言いますか?
まだ、あります。
藤原弘達さんの「創価学会を斬る」は、創価学会や公明党が著者や版元、書店に圧力をかけ、出版妨害に遭いました。
これは、共産党の「赤旗」がスッパ抜き、日の目を見ています。
この藤原さんは、1999年に亡くなっています。
その他界した日のことです。

充子夫人によれば、その日、夜中じゅう、「おめでとうございます」という電話が続いたという。
「週刊新潮」の2000年3月30日号で彼女は、1969年秋に出た「斬る」をめぐる出版妨害を振り返りながら、「あの時は段ボール箱に3箱以上の嫌がらせの投書が来ましたし、警察がうちの子供に警備をつけなくてはならないほど脅迫が相次ぎました」
(前掲書p121)

思わず読んであっけにとれらました。
いや、私の周りにはほとんど学会員なんていませんから、私が知らないだけでしょうが、こんなことは日常茶飯事に起きていることかもしれませんね。

公明党は政党ではない
竹入元委員長の言葉を冒頭に掲載したように、このことからすでに池田独裁党であることがわかります。
すでに他界した創価学会ウォッチャーの一人、内藤国夫氏の発言を、佐高氏はこう書いています。

「そもそも、公明党には『立候補システム』がない」と内藤は指摘する。30年経っても、それは変わらない。上御一人(かみごいちにん)の任命制だからである。
また、公明党は批判されることが特に嫌いな政党で、議員も部外者の批判にヒステリックに反発する。「批判恐怖症とでもいうのか、自分たちほどその真意が理解されず、つねに誤解され続けているグループはないと信じこんでいる」とも内藤は断じている。
(前掲書p131)

創価学会をはじめ、公明党に至るまで、上部への批判が許されない組織では、その構成員に考える力がなくなっていると言われ、また、それにともなって、判断する力もなくなっているといいます。
最悪の場合、良い悪いの判断が、“先生”に反するか否かの判断に置き換えられている、と言えるのでしょう。
佐高氏は、次のように、公明を批判しています。
再び引用。

公明党が政教分離しているかどうかなんてじつに簡単な話なんだ。公明党の人たちに、「あなたは池田大作」を批判する言葉を吐けるか」という質問をすれば一発ですよ。彼らにそんなことはできないわけだ。政党人が批判できない人物を持っている、しかも全員。そんなものが政党であるはずがない。
いちばん力を持っている人物を批判する自由がないというのは、なんの自由もないのと同じことなんだ。
(前掲書p137)

財務と選挙でボロボロにされる学会員
学会用語の「財務」とは?
この本では、ヤクザの「上納金」に例えています。
まあ、寄付金のことでしょう。
その集金システムも、池田“先生”への忠誠競争をあおるという手法を、上手に用いています。
引用するのは、元信者の手記(「池田学会 イニシエーションの恐怖」)で、湯野重さんの書いたものです(前掲書p184?、発出誌は「文藝春秋」1996年3月号)

山口市に創価学会文化会館が完成した時にも、建築のために財務をした家内は会館に呼ばれ、そこで幹部にこんなことを言われました。
「十年後には、あんたたちはお金をいっぱい懐に入れて、札束を切って歩けるような身分になるんだよ」
私たち夫婦はこれまで一千万円以上の財務を行ってきました。学会の中では、いかに多くの財務をするか否かで信心の強弱がはかられます。学会員たちの座談会の中では常にそんな話が交わされているのです。
(前掲書p190)

この心理作用は、「池田大作解読」で紹介したように、割に合わない、多大な犠牲を払った場合に、その犠牲を擁護する、というセールス心理調査の結果をみても、特に女性に効果大なのでしょう。
湯野さんの手記では、選挙時の悲惨だった体験も書いています。

風邪で夫婦両方とも寝込んでしまっても、選挙活動は容赦なし。
しかも幹部であったため、学会員の指導ための家庭訪問、さらに「聖教新聞」の配達まであり、寝る暇がなかったといいます。
寝込むほどの風邪とは、それほど重い風邪なわけで、実際に「ここまでせんといけんのですか」と、さらに上の幹部に質しても、「湯野さん、それは信心だからネ」と相手にされない。

ホント、「ここまでせんといけんのですか」と言いたくなる気持ちはわかりますね。
まさに命懸けの選挙です。
学会員は、どうも「信心」という言葉に弱いようで、「信心が悪い」と言われれば、自分で考えることなく、幹部の言うことを鵜呑みにし、日々の生活から仕事まで幹部の指導によって決められていく、と湯野さんは振り返っています。

おもしろいのが、「水のイニシエーション」。
それは、池田“先生”が一口飲んだ水の入ったコップを有難がってみんなが回して飲むというもの。
飲めば、池田“先生”に対する忠誠なわけで、それに鈍感だと、さあ、大変!
湯野さんにその大変が起きてしまいました。

池田がふいに私に飲みかけのコップを差し出すので、何だろうと考えていたら、池田はプイと横を向いて歩いていってしまいました。いま考えると、あれは飲め、という意思表示だったのでしょう。私は、知らず知らずのうちに、池田のイニシエーションを拒否してしまったのです。
(前掲書p201)

学会員のみなさん、気をつけてください!(笑)。
湯野さんの家族は脱会し、それでも日蓮大聖人の教えに近づくことはできる、と断言しています。

損をしている学会員
一般に創価学会に入信する人は、真面目な、あるいは純真な人が多いようです。
そうでなければ、騙されたとしても、これほど忠誠することなどないはずです。
冒頭からもわかるように、創価学会の人格攻撃は目にあまるものですが、この防波堤になっているのが、末端の学会員。
さまざまな批判が載る雑誌は、できるだけ他の一般人の目に触れないように、買い占められるとか。
それは、学会員の自腹です。
創価学会批判も得意分野だった「噂の真相」の買占めで、岡留編集長は売り上げが増えるから悪くはない、と言ったとか言わなかったとか。

学会批判を掲載した雑誌社に、広告を出している会社がたくさんあるわけですが、今度は、そんな会社に圧力をかける。
その圧力の実力行使として不買運動が起これば、消費者としての学会員にとって、本当は、その商品を良いと思って使っていても、それも使えなくなる。
これは「その商品を使いたい」という欲望の否定になるわけです。
このから、創価学会の特徴である「欲望の全面肯定」は、池田大作個人だけのものである、ということがわかります。
ホント、末端の信者は大変ですネ。

しかも、湯野さんの例は深刻を極めます。
「休みたい」という生命維持の欲望まで、否定されているからです。
そもそも池田に取り入ってもらうという「欲望」を満たす前に、死んじゃったら意味ないですよね。
「欲望の全面肯定」のはずが、「信心」のため、ほんの小さな個人の「欲望」は否定され、自分の思考・判断を失い、さらに財務でカネが奪われ、時間が奪われ、しかも批判の防波堤にならなくちゃいけない。
ホント、「信じる者は救われない」。
学会員は、このことをしっかり考えるべきです。

最後に、「創価学会」でGoogleでWebを検索してみますと、1番目に「創価学会公式ホームページ」、2番目が「創価学会による被害者の会」で、あとは不気味なほど創価学会の各支部が続きます。
2番目の「創価学会による被害者の会」では、ヤフーの個人情報流失事件で逮捕された4人のうち、2人は創価学会の幹部だった、ということが載っています。
これは驚きです。
ヤフーBBに加入している方は、創価学会の折伏や選挙には気をつけましょう!

以下二つは、検索の上位に出た学会問題のサイトです。
創価学会独立独歩(←リンク切れ)
創価問題新聞
(2004年5月18日)



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