魚菜王国いわて

森林を破壊する文明(安田喜憲著「森と文明の物語」)

古代文明が森林を破壊してきた事実を、環境考古学から説明した安田喜憲著「森と文明の物語」を紹介したいと思います。

最初に、著者について。
安田喜憲(やすだよしのり)氏は、現在、国際日本文化研究センター教授であり、1980年、自然科学と人文科学(?)の学際的領域として環境考古学を提唱しました。
世界各地の文明の盛衰を、環境変動との関わりにおいて調査研究し、地球環境への提言は高い評価を得ています。

環境考古学は、花粉分析から行われています。
花粉は、スポロポレニンと呼ばれる、化学的にたいへん強い化合物で構成された膜を持っています。
それゆえ、花粉が、酸化分解やオゾンの影響を受けない湖底や湿原のようなところに落下すると、何百万年でも腐らないで残り、もとの形を保ったまま、土の中で永遠に眠り続けます。
地層は、より下のものほど古い年代ものであるという地層累重の法則と、放射性炭素同位体測定法とをあわせて考察し、どんな種類の花粉がどれくらい含まれているかを見ることによって、過去の森の変遷を明らかにすることができます。
植物の分布は、気候や土地の条件に強く支配されていますから、森の変遷を明らかにすることによって、気候や地形の変化も読みとることができるようです。

古代文明の栄えた地域を流れる川といえば、ナイル川、チグリス・ユーフラテス川、インダス川などが挙げられますが、オロンテス川周辺でも、同じように高度な文明が栄えたようです。
オロンテス川は、レバノン山脈に水源を持ち、シリア北部を流れて、トルコのアンタキアで地中海に流れ出ます。
この地域には、レバノンスギというマツの仲間の針葉樹が鬱蒼と茂り、たくさんの森を形成していました。
しかし、この周辺の文明地域では森が少なく、レバノンスギの争奪でさまざまな争いが起こったこともあって、最後には、レバノンスギは絶滅寸前にまで追い込まれます。
現在は見事なハゲ山に囲まれて、たった直径200メートルの森しか残されていません。

ギリシャ世界をみますと、ミケーネ文明、ミノア文明とも、森林破壊が原因で、文明は滅びました。
ギリシャの地で「オリーブ革命」が起こったのは、この森林破壊がもととなっています。
各文明の隆盛によって人口が増大し、その人口を養うため、森林を切り崩して耕地を作り、その結果、燃料としての木の価値、材料としての木の価値がものすごく高くなりました。
人口増大が、その需要をさらに押し上げた結果、森林はあっという間になくなった。
土壌は流失し、養分は失い、土地は、耕作に適さない土壌となってしまった。
そこで登場するのがオリーブです。
オリーブは、表層土壌の発達の悪い、ガラガラの岩が剥き出しになった荒地でも、生育できる作物だからです。
ですから、ギリシャ文化が石の文明と言われているのは半分誤っていて、実は、この文明の起源は、木の文明、森の文明です。
この森林消失の間に、資源争奪の戦争が多数あったことは言うまでもありません。

地中海には魚がいないそうです(少ないというのを形容したのだと思います)。
それは、豊かな森林が失われ、豊かな土壌が全部海に流れてしまい、あとはプランクトンを育てるような栄養分を含んだ水が地中海に流れなくなったから。
海を守るためにも、森林は絶対に必要である、ということを歴史は示しています。

大航海時代になると、大海を越えて森林資源の争奪戦、または、耕地確保のための森林破壊が地球規模で起き、現在も続いています。
これによって先住民、黒人奴隷の悲劇も起きました。

キリスト教的世界観の下のヨーロッパ社会では、人間の自然支配を肯定しました。
一方、日本の農耕社会の地域システムの核となった鎮守の森は、神の宿る所とされ、時には森そのものが神とされたこともありました。
ここから森への畏怖が生まれ、日本の森が維持されてきた一つの理由となっています。
この自然に対する見方の違いは、動物観の違いにも表れています。
中世の説話や絵巻物に、動物がしばしば登場します。
ヨーロッパでは人間が動物に変身し、しかも、動物に変身した人間は化け物となって、恐怖の対象となりました。
ところが、日本では、動物たちが人間に変身し、鶴の恩返しのように、しばしば人間に幸福をもたらすものとして描かれています。
日本の農村の地域社会は、古来から自然と共存してきたと言ってよいでしょう。

イースター島の悲劇(「イースター島の教訓」についてはこちらを参照)はあまりにも有名ですが、モアイの像に関することもこの本には書かれています。
ミノア文明の繁栄したクレタ島やこのイースター島のように、島の生命線は森です。
その生命線を食いつぶした時に、文明は崩壊しました。
この島を、地球に置き換えて考えても同様でしょう。
それほど森林は貴重です。

日本の森林は、まだたくさん残っています。
が、日本の総人口を賄うだけの森林であるとはとても思えません。
さまざまな批判の的となっている外材依存の恩恵があるから、日本の社会が維持されているといっても過言でないでしょう。
この本を読むことは、自らのライフサイクルを考える良い機会だ、と私は思います。
また、人口が増えすぎて資源を食いつぶすわけですから、政府の行っている少子化対策というのはどうもおかしいように思います。
人口が減少しても、社会を維持できるシステムを構築するほうが重要ではないでしょうか。
(2002年6月8日)



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