6. 日本の国のあるべき姿




 ボクが小さい時、親さまたちは、「無駄遣いはするな」「モノは大切にしなさい」「早寝早起き」など、生活態度に厳しかった。他所の国は知らないが、これが日本人の標準だったと思う。そのボクと同世代の人間たちは、「ガソリンが高い」「電気料金が高い」などと不平ばかり言う。ガソリンなどは高くてもよい。今までが安すぎたのだ。だいたいにして、自家用車を所有することなど贅沢なのである。資源もなく人口の多い国ならば、あらゆる物価が高くて当たり前なのだ。
 日本人は、倹約しながら真面目に生きていく種族である。何もないのに「よこせよこせ」などと情けない話など聞きたくもない。資源がないなら、ないなりに、政策を施し、ライフスタイルを変え生きていけばいい。

 東洋の奇跡とさえ言われた高度成長は、日本人の真面目気質に支えられたと考えてよいと思う。資源のないちっぽけな国が、ここまで発展したことは、ある意味尊敬されるし、世界の資源小国にとっても、この事実は希望でさえあるかもしれない。さらに、成長に相まって、さまざまな公害にも対処してきた歴史もあり、その点でも、環境技術は世界の先を行っているはずである。あらゆる生物にとって、生息環境が大事であるように、人間にも生息環境は大事である。遺伝的視点では、生殖環境と言ったほうがいいかもしれない。環境技術を磨き、それを世界中に売り込めば、利益と敬意を獲得できる。そして、省エネ技術を発展させながら、資源節約的ライフサイクルを日本で追求し、「ニッポン人=倹約」というイメージを世界中に植えつければ、これでまた尊敬される。今後、国は、環境技術と省エネ技術の開発に、特にカネを注ぐべきである。

 大量消費は国益ではない。
消費抑制、資源節約、環境保全を基礎とした社会システムを構築し、世界に広めること。
これが資源小国日本の国益である。そこに、無理な資源利用を促進する核発電の入る余地などない。
廃棄物を最小限に押さえ、持続可能な資源利用を追求することこそ、本当の国益なのである。




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