中学2年生のいじめによる自殺報道番組を観た。滋賀県で起きた5年前の事件だったが、ひどい話である。当時の担任との生活ノートには、生徒の明らかなSOSが記されていたにも係わらず、「どうしたの?何があったの?頑張れ!」というアドバイスはないだろう。生徒の明確な意思表示に対して「何があったの?」はお粗末過ぎる。その時点でことの重大性を認識し、学校全体の事案として対処すべきであった筈である。
よく生徒からの相談に「頑張れ!」という教員がいるが、頑張れという言葉は他人事の意味合いが強い。「自分で何とかしろ」という響きがある。運動会の応援じゃあるまいし、相談者に対するアドバイスに「頑張れ!」は禁句だろう。
長年学校に勤務していたが、学校及び教育委員会はある種閉鎖的な世界である。誰かが犠牲にならないと機能しない世界といっても過言ではない。その上隠蔽体質だから始末が悪い。やはり事ある時は、利害関係のない第三者委員会を立ち上げ徹底的な原因究明を図るべきだろう。そうでなければ被害者が救われない。
いじめによる自殺は「殺人」事件ではなかろうか。凶悪事件が低年齢化している今日、未成年者保護法に疑問を感じています。
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「いじめなんかするなよ。拭い切れない過去を背負って生きるほど辛い人生はないぞ。いじめるなら仲良くする努力をしろ。そうすれば一人友達が増えるんだぞ。そうすれば毎日がその分楽しくなるんだぞ。よく考えてみろ」
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