力の伴わざる正義は無力なり
正義の伴わざる力は暴力なり
 
   宗 道臣(そう どうしん)
Column

少林寺拳法の特徴
 
 拳禅一如
 力愛不二
 守主攻従
 不殺活人
 剛柔一体
 組手主体
 
道場での心得
 
 脚下照顧
 合掌礼
 作務
 服装
 態度
 言葉
 
修行の心得
 
 修行目的の確立
 修行の順序
 基本を学ぶ
 理を知る
 数をかける
 修行を片寄らせない
 体力に応じて修行する
 永続して行う
 
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2010/09/26
生涯これ修行なり
 最近、年甲斐もなく柔軟運動に目覚めた。遅すぎる感はあるが努力している。前後の開脚は完全に出来るのだが、左右の開脚は床に顔をつけるのが精一杯なのだ。しかし次の日になると、床に顔を持っていくまでが一苦労。どうして次の日は元に戻ってしまうのだろうかね。そこにいくとお相撲さんは凄いね。あの股割りは感動ものだよ。うん、努力しよう。
 
 そういえば、いつぞやテレビで偉いお方が言っていたが、50歳からのあり方が長寿遺伝子のスイッチを入れる鍵だとか。何でもスポーツを心がけることが重要であるそうな。そうだよね。この歳にもなると、スポーツ知らずの同世代は「カタカタ」か「メタボ星人」だ。そう考えると私の場合は「少林寺拳法」をやって来て良かったのかな。
 
 ところでテレビを観ていると“元”スポーツ選手が良く出ているが、ころころ太ってしまった人が意外に多いね。「過去の栄光に酔いしれて“メタボ腹”」ではいけませんな。「止めてしまったらただの人」なのだよ。武道界でも大きな勘違いをしている者が沢山いるが、数年で初段を取っても、同じ年数を休んだらただの人なのだよ。分かるかな。心技は日々進化しているのだ。昔やっていたという事で、大見栄を張っている輩は特に論外であるな。引退して後進の指導に当たるだと?一緒にやれ。そもそもスポーツ化した武道にぶら下がっているから、引退などという言葉が平気で出てくるのだ。良いかな。武道とは、単なるスポーツや趣味ではないので“引退”など有り得ないのだよ。年季が入れば入るほど磨きがかかるものなのだ。 
 
 私は少林寺拳法連盟本部に行ったとき、本部就きの高段位の先生の相手にもならなかった経験がある。70歳過ぎても現役拳士とは流石ですね。 

2012/4/28 筑波にて
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