力の伴わざる正義は無力なり
正義の伴わざる力は暴力なり
 
   宗 道臣(そう どうしん)
Column

少林寺拳法の特徴
 
 拳禅一如
 力愛不二
 守主攻従
 不殺活人
 剛柔一体
 組手主体
 
道場での心得
 
 脚下照顧
 合掌礼
 作務
 服装
 態度
 言葉
 
修行の心得
 
 修行目的の確立
 修行の順序
 基本を学ぶ
 理を知る
 数をかける
 修行を片寄らせない
 体力に応じて修行する
 永続して行う
 
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2011/10/10
技の実用性
 最近、少林寺拳法の練習風景を見ていて思うことがある。
すべての所属拳士が「そうだ」とまでは言わないが、果たして「絶対に負けない練習を意識していますか」という疑問を感じてしまうのである。確かに少林寺拳法は戦うことが目的ではない。勿論、勝敗に拘るものでもない。しかしながら現在の練習風景を見ていると、どうしても変化に乏しい感が否めないのだ。
 
「技の基本構成を、応用力につなげることを怠っていませんか」
と問いかけをしたくなる。
 
恐らく怠っているのではなく気づかないのだろうね。
突き蹴りへの体重移動が現実に出来ないと使えない。また剛柔一体を念頭において、常に運用しないと剛法と柔法の一体は有り得ない。これらは当たり前のことだ。組織力も大きく泰平の世ともなると、「何かが欠けてしまう現象」とは実に嘆かわしい限りである。また逆小手,突天一ひとつとっても、級拳士と三段拳士の違いが速さと上手だけでは技に進歩がない。要するにまったく同じでは変化がないので良く考えてみよう。
 
高段位の受け方は、打払い系より半月受けや掬受けが実に面白い。剛柔一体の近道かもね。また打撃系は、肘打ちや膝蹴り,体重をのせた鈎突き(段突き)等が実用的だね。まぁ賛否両論もあるだろうが、技術向上に期待して常に実践されたし。

2012/4/28 筑波にて
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