少林寺拳法の技術には「剛柔一体」という特徴がありますが、果たしてどれ程の拳士が実践しているのか甚だ疑問である。法形重視のあまり、「剛柔一体化されている法形」の練習そのものを剛柔一体の実践と勘違いしているように思えてならない。言い換えれば、「剛法は剛法技」「柔法は柔法技」「剛柔一体は剛柔一体技」というような三つ巴の練習をしているのでは?ということである。
本来、剛柔一体とは剛法の中に柔法があり、柔法の中に剛法があるべきなのです。それを総括して初めて剛柔一体として成し得るのです。近年、映画のように上手な演武を見かける機会も多い。一見、見事に技の流れが完成されているようにも思えます。しかし何かが違います。やはり技の習得に際しては、剛柔一体としての大きな落とし穴には落ちないようにしてほしいものです。
少林寺拳法の柔法習得は非常に難しいです。掛からないことを得意になっている拳士を見かけることがありますが、「誘導、そして掛かることも勉強」なのです。相手を見て技の掛かり具合を変えたり、形式だけの抵抗や身を任せきった投げ技を練習したりしていては無意味なことです。技術習得に際しては努めて真剣に向き合うようにしましょう。
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