力の伴わざる正義は無力なり
正義の伴わざる力は暴力なり
 
   宗 道臣(そう どうしん)
Column

少林寺拳法の特徴
 
 拳禅一如
 力愛不二
 守主攻従
 不殺活人
 剛柔一体
 組手主体
 
道場での心得
 
 脚下照顧
 合掌礼
 作務
 服装
 態度
 言葉
 
修行の心得
 
 修行目的の確立
 修行の順序
 基本を学ぶ
 理を知る
 数をかける
 修行を片寄らせない
 体力に応じて修行する
 永続して行う
 
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2012/12/01
武の道を究める
 武道の語源とは、武の文字の成り立ちが示しているように「二つの戈(ほこ)を止める」ということを意味しています。即ち「二人の争いを止める」ことですね。世に武道と名のつくものは沢山あります。しかしながら、果たして語源が意味する真の武道の在り方を実践している団体がどれ程あるのか疑問を感じてしまいます。数ある大会の中に「競技種目」として組み込まれてしまっている現代武道。やはり競技の名がついてしまった時点で、単なるスポーツと同じであると言わざるを得ないのではありませんか。
 
 近年、確かに武道における実戦的技術が失われつつあることは否めません。戦国の世でもあるまいし、ある意味仕方の無いことだとも思えます。しかしながら、日々の修練が競技のためだけに存在しているとしたら誠に残念なことです。聞けば大会二ヶ月前ともなると、ひたすら演武の練習のみに没頭する少林寺拳法の所属もあるようです。確かに良い結果をもたらすことは、何事においても素晴らしいことでしょう。しかしながら、武道としての修行成果が大会の結果だけに結びついているとしたら実に勿体無いことですね。
 
「真の武道」
 
技を磨くことによって心身を鍛え、不正や悪と戦うことのできる自信と勇気と行動力を持った人間をつくる道である。よって勝ち負けを競うべき性質のものではないのである。

2012/4/28 筑波にて
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