HOME > 油絵で描く「奥の細道」

油絵で描く「奥の細道」

点描画「奥の細道」時空旅

芭蕉の足跡をたどり、荘厳な光景を光の点で

02.png 1947年、私は山形県米沢市に生まれた。山形大学卒業後は市内で美術教師となり、日本芸術院会員の菅野矢一先生に師事しながら絵の道を探究。退職前の8年間は中学校長として卒業生850人の似顔絵を描き、卒業生の親にプレゼントした。2008年の定年退職後は創作に専念している。
 松尾芭蕉の「奥の細道」の旅を油彩の点描画に描く―。画家の私がそんな構想を抱いたのは2000年のことだった。1689年3月に江戸を出発し、日光、仙台、山形、福井などを経て岐阜・大垣に終わる芭蕉の足跡をほぼすべて歩き、現地にイーゼルを立てて制作するという計画だ。

暑き日を海にいれたり最上川

mogami.png

 00年5月、写生に出かけた私は、思わず息をのんだ。蛇行して走る最上川はまるで太陽を目指し、泳ぎゆく巨大な竜のようで、天と地、水と大地が黄色に染まる荘厳な光景が広がっていた。

荒海や佐渡によこたふ天河

sado.png

 新潟県出雲崎町で仕上げた一枚は、日中に描いたほかの作品とはおもむきが違う。月夜の海があまりに美しく、ほとんど真っ暗な海辺で筆を握ったからだ。

あらたふと青葉若葉の日の光

nikkou.png

 日光の杉並木では巨木の間にたたずむうちに、かなたに続く道が時空を超越した存在に思えてきた。芭焦が見た風景が時を超え、目の前に現れたような心持ちだった。そこで事前の木々の影を過去に見立て、道の中間の日だまりを現在、奥の木漏れ日を未来の象徴として描いてみた。

五月雨をあつめて早し最上川

mogami02.png

 最もよく通ったのは地元の山形である。最上川は何度も描いたモチーフだ。舟形町の猿羽根峠から見下ろしたり、河岸に陣取って白糸の滝と共に描いてみたり。様々な姿をとらえた。

仕上げは必ず現場で

top.png

 最初は数枚の小品を描き、これを基にアトリエで100号のカンバスの下塗りをする。仕上げは必ず現場。
現地に立つと体を風が吹き抜け、川のせせらぎや小鳥のさえずりがこだまする。絵を描くというよりも、草むらの朝露や石畳のコケをきらめかせる日の光を「拾いに行っている」のだ。
 全行程をほぼ踏破し、73点を完成。芭蕉の旅を描き、ちっぽけな自分自身は大自然の一部にすぎないとつくづく思った。人生は出会いと別れの繰り返し、たえず旅をしてるようなものだ。だからこそ人の命は輝き、生き抜くことは素晴らしいのだと実感している。

title.png