コンテ7
2017/08/22
四国の炭鉱
地元の人に従って行動しよう!
あわ〜スタイル」「いしにっき」「気ままに訪問記」などもご覧ください。
徳島炭山
徳島炭山
場  所  徳島県勝浦町(生比奈村)
鉱  種  石炭
稼働期間 明治元年〜昭和24年
鉱業権者 日本鉱発〜石原産業
備  考  読者のN氏より

1.索道跡の広場             2.下の坑口への通用路
  

3.みかん畑に散らばる石炭      4.上の坑口があった場所
  

5.採取した石炭は県内最大の大きさ  6.お疲れ様!(2011年2月)
  

 戦後間もなく戦地から戻ってきた人に仕事を与えるため、また不足している物資を補うため、この炭鉱が開発された。しかし、質が悪いためにわずか数年で閉山した。この辺りはみかん畑が多く、昭和30年頃にみかん1個が500円もしたという。それで儲けた人が大きな家を競うように建てたので、それらは「みかん御殿」と言われた。年始には料亭を借り切って豪勢な会食をしたという。
 今はその面影もなく、坑口はすべて閉鎖されている。索道跡にも何も残っておらず、黒い石炭が散らばっているだけである。なお、小松島高校OBの方から話を伺った。

 このコンテの内容も古くなった。画像はすでに10年前のものだ。ここに写ってる高校生も20代後半で、いっぱしの社会人やってると思う。まだこれに興味があるかわからないが、各自の進んだ道の先端で自分の人生を歩んでくれているものと思ってる。・・これって、僕が年取ったってことかな?売れ行きはコロナで落ち込んだけど、何とか生活できる分は稼いでる。みんなここが踏ん張りどころだよ。がんばろうぜ!



| Prev | Index | Next |

戻る

このコンテンツの問い合わせは下のメアドへ。
fe26-co27-ni28-cu29-zn30@ymail.plala.or.jp
情報を知りたい人は、名前・住所・TEL・所属団体およびきちんとした理由を明記すること。

「あわ〜ストーン」はこちら。◎を@に蛙。