訃報  シスターウルスリン村上 麗

2014年9月25日帰天(享年94歳)


 今年オブレートだより「6月号」で、シスターウルスリン村上の誓願50周年金祝ミサの様子をお伝えしたばかりでした。
2012年1月に低酸素状態で市内の病院に入院、同月、室蘭太平洋病院に転院しました。
それから2年8ヶ月、「修道院に帰りたい」という希望は叶いませんでしたが、ご親戚、病院の皆さまや教会の信者さんに支えられて、亡くなるその日まで、意識もはっきりしておりました。
さほど苦しい様子もなく、最期の一週間は眠っていることが多くなり、目覚めては「夢を見ていたんだねぇ」と話していました。
亡くなる当日はお昼まで看護師さんとおしゃべりをして、「もう苦しくなるからね…」と言われるほど、変わりない様子だった聞いています。
午後容態が急変してからは、一度も目覚めることなく神様のもとに召されました。


 修道院に戻られたシスターのお顔は、まだ生暖かく、まるで眠っているかのように安らかで、気持ちよさそうでした。
「ようやく帰ってきたよ!」というシスターの声が聞こえるようで、「シスターおかえりなさい!」と皆で迎えました。


 修道生活53年を全うし、今は神様のもと、永遠の安らぎのうちに、ご両親はじめ、先に逝かれた多くの方々と再会したことでしょう。
これからはSr.アスンプタやSr.ホスチアと一緒に、オブレートの皆様は勿論のこと、私たち共同体の皆を支えてくれること間違いなしです。


シスター村上
<略歴>東京目黒教会出身
1920年6月13日 出生
1946年2月11日 受洗
1961年3月19日 入会
1964年2月10日 初誓願
2014年2月10日 誓願50周年

 10月25日に、無事、納骨を済ませました。
 これまでの皆様のお祈りとご支援に深く感謝申し上げます。ありがとうございました。


納骨


惜別

院長・ Sr.マルタ上田若子


大正、昭和、平成と変動した社会を生きた先輩のシスターが、9月25日、この世を去りました。
シスターウルスリン村上麗は、慢性閉塞性肺疾患のために、入院中の病院で静かに94年の生涯を終えて神様の元に帰りました。


 かつて10年間、オブレート係りを担当しました。
 生前のシスターを紹介させていただきますが、これからもお祈りしていただければ幸いです。


 シスターがカトリックになったきっかけは、東京で友人に誘われて教会へいったことで、1946年東京目黒教会で受洗し、少女時代10年、父親の仕事の関係で札幌に居住したこともあってか、 当時夕張市に本部があった当院に1961年、入会しました。
その後、室蘭、東京、札幌と会から派遣され、2008年秋に、札幌から共同体が一つになったこの室蘭で生活しておりました。
シスターのこれまでの使徒職は院内が主で、シスターは手先の器用さを生かして、洋裁、お料理と基本に忠実に、仕事上では妥協を許さない人で腕を磨いていきました。
完璧な出来栄えでした。


 シスターの個人的な祈りの生活は、サダナの祈りによって(東洋の瞑想で体で祈る祈り)個人的な祈りが豊かになったと本人から聞いておりました。
 グローバルな考えの持ち主で、何事にも興味と関心があって、知りたがり、聞きたがり、推測することでは並外れていました。
想像力がたくましく、入院中でも、主任司祭、教会の信徒の方々の動きから、シスターたち一人ひとりに関心を持ち続けました。
体調の許す限りミシンを踏み、一人で自由に歩くことができていたのに、91歳の誕生日過ぎから、歩行、労作時、息切れがひどくなり、酸素が必要となりました。
長いチューブにつながれて行動を制限されたことに対して、担当医師に、「先生、酸素ボンベで長生きした人はいませんよ」と、直訴しました。


人が老いてゆくことに伴う辛さ、苦しみは、テキストどおりではありませんし、共同体を離れることの孤独感も加わってか、 入院当初、状況を受け入れることができずに、なぜなぜと苦しみましたが、神様は答えてくれません。
私たち共同体もシスターと一緒に悩み苦しみました。


シスターの心からの祈りのことばがあります。

入院中に読んでいた本の中に
メモがしおりとして挟まっていました。
記念カードの裏に、原文のまま載せました。


私たちの信仰生活は、いつも神中心とは行かず、神様と自己中心との間で揺れ動いています。
自分の思い通りにならなくても、神の御心がおこなわれますようにと祈ることの大切さをシスターから教えてもらいました。