「老い」は神さまの恵み

※オブレートの集いで、「老いは恵み」の分かち合い終了後に、他会のシスターの文章(下記)を朗読しました。


「老い」は神さまの恵み


時として人々は口にしたくもない
まるで「老い」は恥ずかしいことで
隠しておきたいことかのように・・・
「老い」は恵みであることを忘れているのです


やはり「老い」は恵みなのです
与えられた長い年月に
恵みと愛のすばらしい宝を
私たちの人生に積みあげてくれるのですから


この世で一日長く生きるなら
あなたをより良く愛せるでしょう
私たちの父であるあなたを
多くの恵みでご自分を知らせて下さるあなたを


「老い」は恵みです。長い旅路のあとで
過ぎしこのかたを振り返る余裕が与えられ
静けさの中でじっと味わえます
主よ、あなたへの旅路の意味を
与えられる休息のときは招きます
父よ、あなたを眺めることができますように
明るく澄み切った自由な心と
すべてから離脱した精神で


「老い」は恵みです。私はこれを避けたくない
むしろ、歓迎したいのです
巡ってくる日に、流れ行く日に
あなたの愛が注がれるから

『・・・年月が経つにつれて過去がよみがえる。
もし愛に留まっているなら、死はもはや存在しない。
私は今、時間は人生を消し去る力がない、と感じている。』


『私は幸せです。とても幸せです。
年を取ることが、これほど美しいものとは思いもよりませんでした。
また、私が、人生のこの時期にこれほど幸せになれるなんて夢にも考えませんでした。』
   《帰天された一老修道女の紙片より》


※上のシスターの、主とともにある平安が感じられ、私の心までが希望で満たされました。
私たちは人生の中で、自分が想像できない程、多くのものを神様からいただいてきました。
その一つひとつを、感謝のうちに手放し、お返ししていくなかで、素の自分になっていくのでしょう。
「老年期」こそ、これまで心の中を占めていた多くのものから解放されて、あらゆるものに押しやられて遠くに感じられていた神様が近づいてきてくださることを信じます。
年を重ねるとともにゼロの自分に立ち返り、自分の十字架を背負いつつ、生まれたばかりの赤子同様の澄んだこころと目で、主に従いとおせたら幸せです。
その時こそ、まさに主が私とともに寄り添って歩んでくださっているのを実感できるのではないでしょうか。
大きな喜びと感謝、慰めのうちに・・・