わたしとセブンとの出会い
道のりは遠かった。(自宅前は2キロの直線です。ゼロヨンにぴったり。)
えー、皆さんはセブン歴は何年なのでしょうか?
また、セブン予備軍歴は何年なのでしょうか?
よく、
「この歳になるまで何台もスポーツカーは乗り継いで、やっと憧れのセブンに乗れた。」
「昔のカーマガ、CG誌に載ってたセブンを見て一目ぼれして、やっとの思いで買った。」
なんて話は、巷で良くあります。昔は高級品で、壊れやすく、部品も工賃も高いので、
よっぽど暇で金持ちじゃないと維持出来なかった、というのもあるかもしれませんが。
皆さんすみません。こういう方が多いので黙ってましたが、自分は、
「免許取って初めて
買った車がセブン」
「新車で初めて
買った車もセブン」
なのです。若葉マークは、
俺様 「アルミボデイーには、
若葉マークのマグネット着
かないからイイやっ!」
と、着けませんでした。(爆)
私の他にそういう方がいれば会ってみたいものですが、未だ会った事がありません。
うーん、苦労もせんと買ったみたいで、先輩方から石が飛んで来そうだ。
少し、自分のセブンを買うまでの道のりあたりから、書いてみますか。
きっかけは浮谷東次郎
13歳の春のことでした。中学の担任の先生が、生徒全員に本を1冊ずつ配りだしました。
そしてこうおっしゃったのですね。
先生 「君たちに配った本は、読んでも読まなくてもいい。でも、何かを感じて欲しい。」
担任の先生は、筑波をノービスで走ってた二輪の元レーサーで、
授業中に自分の250ccクラスのオートバイレースの話をしたりして、
あんまり授業は教えてもらえませんでした(おいおい)
新学期でクラス替えになったので、教え子に餞別代りに買って与えたその本は、
表紙に、大げさに、皮の上下、ゴーグルとオワンヘルで武装した中学生が、
パッソルみたいな旧いモペットにかっこつけて乗ってる緑の文庫本で、
表紙には、浮谷東次郎著、
「がむしゃら1500キロ」
と書かれてありました。
まだ大事に持ってます。アメリカにも持って行き、
何度も何度も読み返して、ボロボロです。
(知ってる方がほとんどだと思いますが、浮谷東次郎は60年代に活躍し、「トヨタ2000GT
は彼のために開発された」、とまで言われるほどに将来を約束されながら、23歳で夭折した
伝説のレーサーで、処女作「がむしゃら1500キロ」とは、彼が中学のときにクライドラーで
東海道を千葉から大阪までツーリングに行った時の事を書いたものです。)
まーそうは言っても、最初は読まずに放って置いたんだよね。
まさか、あの本読んで、感化されて、東次郎並みに2年間渡米するとは思わなかったヨ。
セブンとの遭遇
セブンの実車見たのは、そうだなー、14歳の時かな?
修学旅行で日光に行ったら、観光バスを二台のセブンが、
「ガヒョーン!!」
って抜いてったんだね。んで早速、車に詳しい友達に聞いたのよ。
俺様 「あれはなんだっ!?」
友達 「あーセブン。あれはよー、大昔、ロータスが作ってて、
今は下請けに払い下げなったのよー。」
俺様 「ふーん。んで、エンジンはロータスで作ってんのか?」
友達 「いやー?フォードだと思うよー?」
なぬ?クルマの製造権を切り売りして暮らし、エンジンも一から作れないのか??
「ロータスってしょぼいメーカーだなー(爆)」
やっぱ、
「F1は、マクラーレン,ホンダだな!」(注:1988年の話です)
1987年の鈴鹿GPの公式プログラム(非売品)。10年ぶり3回目の日本でのF1
開催に、みんな熱狂したものです。やっぱ、F1は1500cc「ターボ」でしょ。
無知とは恐ろしいもので、中学生の頃、すでにそんな事を思ってました。
まー、当時は、クルマはターボ時代のF1全盛期。皆、速いのはセナだあプロストだあ、
パトレーゼとかベルガーだあ、とか言い合いしたり。
バイクはレプリカブーム。RC30があっという間に完売した、なんて当たり前に思ってたし、
NSR250とTZR250は、どっちが速い?なんて話題がクラスで上ったりが普通で、
一般常識 「速いヤツが一番エライ!」、
というのがウチらの不文律でした。ロータスは一部のオヤジ連中には人気がありましたが、
うちらの間では、全くの
ロータスの常識 「守備範囲外、蚊帳の外。」
だったので、私がそう思うのも無理はないでした。
セブンの原体験はこういったものですが、親から言わせると、そのときから、私は
「セブンを買う気」だったそうで、予備軍歴は10年くらいですか。今思えば
、
「あんとき見なきゃ苦労しなかったのに」
という気もします。
と言って、
「いまさら元には戻れません」けどね?(爆)
私は今でも「ロータス」にはあい変わらず興味が無く、最近まで、
「コーリンチャップマンって、誰?」
と大まじめに聞いたりしてました。(皆さんゴメンナサイ)