キャンパスライフ


リンゴ農家での仕事も一段落し、たまったお金で大学の講義を受ける事に
なりました。浮谷東次郎はカリフォルニアのサンアントニオ大に入ったらしいのですが
私が行ったのはカリフォルニア州のLAに近い、サン・ルイス・オビスポにある
カリフォルニア・ポリテクニック州立大(カリポリ大)に行きました。


カリポリ大のイメージカラーは緑と黄色。ロータスと同じだ(笑)。


来た時はおのぼりさん状態でした(笑)全然馴染んでないです。

何とバスで向かったのです。
ウェナチからシアトル、ポートランド、サクラメント、そして目的地まで、
「グレイハウンド」のバスに揺られて27時間も掛かりました。
いやー掛かった掛かった。何で飛行機使わせて貰えなかったんだろ?

途中、サリナスに30分休憩したので、学生時代のホームステイ先の家族に
感動的な再会を果たしました(いい人達だったなー)。そして目的地に到着。


手紙書かなくてゴメンネ

大学では日本語クラスに入って生徒に日本語教えてたんですが、

モテモテでした(嘘です)

生徒の一人が今度日本の姉妹校に留学することになったんですね。

俺様 「ところで、留学する大学ってどこよ?(どうせ大したトコじゃないか)」

生徒 「んーなんか、トウキョウのワセダって言うとこみたいだわ。」


真ん中の台湾人です。

ワセダって、「早稲田」かよ!おまえ、
馬鹿じゃなかったのかー(核爆)
カリポリ大のレベルが全然分かって無かったのでした。
(だって日本人はESSがよこした馬鹿しかいなかったんだもん。)


ここがジェームスデイーンの事故死した場所。日本人はどうしてもここでポーズを
取らないと気が済まないらしい(笑)。隣のカフェのおばちゃんが笑ってました。
聞くとこの脾を建てたのも大石という貿易商らしい。大石と言えば「CANTON」
ジーンズだが、詳細は不明。見晴らしの良い直線で、どうして事故ったのかね?

「それは、ポルシェ550のアルミボデイが反射して相手が見えなかったからだ。」

な〜んて、さも分かった様な能書き言う人は一杯いるけど。実際は、近くの体育館
でジェームスデイーンは「公開司法解剖」されたけど、原因がつかめなかったのだよ。
この近くには、マイケルジャクソンの「ネバーランド」や新聞王ハーストの醜悪な
「ハーストキャッスル」もあって飽きません。



ビーチにはアザラシの大群が!メスにちょっかい出したら、オスがすごい勢いで
向かって来ました。いやー、人妻には、手を出すもんじゃないですね(謎)。



先輩のタマキさん。彼はサクラメントでコシヒカリを栽培する農家で、
「田牧米」はコピー商品が出るほどだ。彼は国府田ファームの鯨岡さん
から独立した。90年代、NHKが取材したので知ってる方も居るだろう。
「国宝ローズ」は私はとても高くて買えませんでした。もっぱら「錦」を
食べてました。まあ、日本米よりずっと安いですけどね。



1999年に、カリポリ大のデインガス教授と奥様のヨウコ タチバナ
先生が来日し、仙台で久しぶりの再会を果たしました。また会いたいです


旧車天国



クルマの話が出なかったので書いときますが、アメリカは旧車天国です。
どんな小さな町でも週末にはターバン(飲み屋)脇の広場でミーテイングが繰り広げ
られます。毎週よくやるよと思います。どいつも恐ろしい位ビカビカです。では、
アメリカでは、どこでもやってる、ごくごく普通のレベル、比較的こぢんまりとした
ミーテイングの様子を見て見ましょう。


人口2千人の村に、一体どこから沸いてくるのでしょうか?
もしかしたら、一家に1台はあるのかも?


フォードの初のV8搭載車のA型。通称「デュース」です(後期)。大衆が購入出来る、
初の100マイルカーで、戦前、強盗の「ボニーとクライド」が逃走用に使いました。
当時の警察は「デュース」が余りにも速すぎて、なかなか逮捕できませんでした。
この車種は、マフィアやヤクザ者に愛された(警察から逃げるため)ので、
ワルのムードがプンプンします(やっぱ、ダークスーツ、葉巻にバラライカの銃でしょ)。
後に映画「アメリカングラフテイ」に登場し、黄色く塗装したのは、特に珍重されます。


これはなんでしょう?もう、なんだかわかりません。プラグがセンターに
あるので、エンジンは「HEMI」かな?4連キャブ、デイスクブレーキを装着。
実は、とっても速いのかも(でも乗りたくないなー)。


これは判ります。シボレーです。オーナーは、小汚い日本人が
写真を撮ってるので、ムカついてます(笑)。多分にミュージシャン
「ZZ-TOP」、ビリーギボンズの所有車両を意識した仕上がりです。


オリジナルのサイドバルブエンジン。ツインキャブです。このクルマの新車
当時から、「エーデルブロック」社などが存在し、エンジンチューンを施してました。


この型のシボレーは、結構、街のファミレスでジジイが乗って来るのを
見かけるので、メーカーから純正部品がまだ出るのかも知れません。
うちの農場主(日系二世の方)も若い時(戦前)乗ってたそうです。
GM社は戦中、排日法で日本人が強制収容された後も、優秀な日本人メカ
を雇い続け、守ったので、戦前派の日系人には絶大な人気があります。


この位新しいと、街乗りに毎日乗ってもいいくらいです。しかし、
冷静に考えると、これは半世紀以上前の型です(笑)。


このミーテイングで一番気に入ったシェビー。レストロッドは最高にクールです。
(レストロッドとは、レストア:ホットロッドの造語。完璧なレストアと、現代的な解釈
で、日常的に使用可の装備を持つクルマ。これは中々実行出来無い物です。)
レストア、カスタム費用はベース込みで350万円程度。激安だと思います。
オーナーのご好意で、シートに座らせてもらいました。


室内です。全く隙の無い仕上がりに驚きです。アメ車は思わず走り寄って
見てしまう、大衆の夢を具現化したデサインですばらしい。ヨーロッパ車の、
近寄りがたい雰囲気とはまるで違います(あっちは貴族の乗り物だもんね。)


うちの農場主の20年代のフォードV8。いわゆる、「デュース」と呼ばれていたタイプの
後の型。新車の頃から所有して、塗装もオリジナルです。今も時速100マイル出る
そうです。点火進角は手動なので、うまくやれば、モーテック並みの制御が可能か?
30年代、40年代車はファミレスなんかで普通に乗りつけてるのを見かけたので、
それほど珍しい物ではないのかも。農場主の家族は、その他に、初期型サンダーバード、
70年代ファイヤーバード、ファルコン、ノバ、アストロ、ゴールドウィングなんかをアシ車に
してました。私は今でも「60年代以降」の車は「中古車」で、「旧車」では無いと思ってます。


うちの農場は金が余ってるのか、ストリームライナーを製作してユタのボンネビル
に出場。シングルエンジンクラスで世界最高速をたたき出しました(左のマシンです)
記憶が正しければ、400何十マイル出したはず。写真の持ち合わせが無いのが
非常に残念ですが、興味のある方は、「8TH ANNUAL UTAH SALT FLATS
RACING ASSOSIATION」の大会で、「DANNY BOY RACING」の名前で
1994年9月20−24日にソルトレイクを走ってるので、調べてください。
これは記念のTシャツです(一部)。
あるとき、農場主のガーデンパーテイでこのTシャツ着て行ったら、
白髪の紳士夫妻(50過ぎかな)からホメられました。聞けばこのマシンのパイロットでした。

俺様 「マシンは運転してどうだった?」

紳士 「最高さ!!」親指を突き出しました。

いい思い出です。