レーシングショップ、スタボン
セブンがいくら「四輪のオートバイ」と言われても、
本当にバイク屋に持ちこんだら、どうなるでしょうか?
最初の内は、「FACTORY」でZUミラーやハルコンのゴーグル、
ミルテック1、花咲かGのワックスなんかを購入してるうちは良かったのですが、
作業内容がだんだん込み合っていくうちに、私はだんだんお手を煩わせてるのが
心苦しくなってきました。(やっぱ、迷惑だよねえ)
ドウカテイ750F1改。昭和の頃、ドウカテイを扱った初期のカスタム車。
雑誌に載ってるデモ車をはるかに凌駕する、まさに入魂の出来です。全国の
バイク乗りは、その仕上がりに度肝を抜かれ、有名になりました。ドウカテイ
なら「FACTORY」!ぜひ一度来店して、見てみるのをお勧めします!
そんな気持ちを察してくれたのかどうかわかりませんが、私に
いよいよ引導を渡される日が。あるとき、
俺様 「ウェーバーのジェット手に入りませんか?」
と聞くと、
ファクトリー 「うーん、昔、ドゥカのパゾ(paso)で使ったけど....(パゾはウエーバー装着車。)
それより、クルマ屋に行ってみたら?いいトコ紹介するからさ。昔、TSサニー乗ってて、
東北では有数のレース屋、まあ、今はしてないけど。ウエーバーのジェット位、持ってる
はずだよ。どうだい?一度、行ってみたら?電話してやるから。」
と言われました。なんだか体良く追い払われたような形ですが、元々私が悪いのだし、
ファクトリーは村山モータースからドゥカテイジャパンのデイーラーに移行する
大切な時期だったので、セブンなんかに構ってらんなかった
事情があったのでしょう。今では一等地に店を構えてて、遊びに行くと、
ファクトリー 「そろそろセブンは程ほどにして、ドゥカ買いなよ!大型二輪の免許が泣いてるぞ!!
エヴォルツオーネ、ネットで落としとくからさ。」
(注:900エヴォルツオーネは、インターネットで予約。限定2千台発売。)
山形にも数台存在する900me。すごく買いたい!
と言われます。実は「スッゴク欲しい」のですけどね。もう少し待ってください(笑)。
店長の青山さんはクルマが嫌いな訳では決して有りません。
なにしろ彼の愛車は、ロータスエリーゼMK−T(初期のアルミローター車)なのですから。
簡単な地図を頼りにクルマ屋、「レーシングショップスタボン」に向かいます。行く前に、
ファクトリー 「そういえば、君は動物は好きか?」
と言われたのが気になります。どういう意味なのでしょうか?良く分かりません。
分からないと言えば、渡された地図も良く分かりません。ラブホの裏にあるらしいの
ですが、そのラブホの場所が分かりません。散々探してやっと着きました。思えば、
当時ラブホテルの場所が把握出来てないのはずいぶんウブだったなー(爆)
俺様 「これがスタボン...」
草刈り機からフェラーリF40まで、何でもやります。
そんなに大きな造りではないです。クルマは2台も入れば一杯、東北一というのは
ホントなのでしょうか?それより、ショールームの中に大きな犬が2匹も居て
、こっちをすごい勢いで吼えてます。
あんまりいじってると、噛み付かれます(それは俺が悪いんです)。
イヌ 「ワンワンワンワンワンワン!ワンワン!ウーワン!」
女性 「(怒)うるさい、この馬鹿イヌ!!」
女性の金きり声が聞こえました。人は居るようです。
俺様 「..ペット屋と、間違えたか...?」
入るのをためらってると、先ほどの女性が出てきて、
女性 「早く、入って!もうすぐお父さん帰ってくるから。それまでここにいて!そんなとこ
突っ立ってると、イヌのボンとランがうるさくてかなわない。」
そして、数奇な運命のもと、社長1人、社員がイヌ2匹ネコ5匹(当時)というレース屋、
「レーシングショップ スタボン」の門をくぐったのです(女性は社長の奥様でした)。
半信半疑
社長 「話は大体、電話で聞いてたよ。」
俺様 「じゃ、アームの補強バーの製作と、キャブ調整、ハブベアリングの
オーバーホールと言うことでお願いします。」
作業を依頼してスタボンを後にしましたが、正直半信半疑の感は否めません。
普通、ショップというものは、ショールームに「これでもか」と言うくらいパーツが並んでて
当たり前ですが、この店ではほとんど何も在庫してませんでした。あるのは、
たった一つ、古いTSサニーの写真だけです。ホントに大丈夫なのでしょうか?
この写真です。B310のTS1300。チームスタボン後期、1985年の写真です。
これで、社長は筑波を最終コーナーを5速12000回転弱で突っ込みます。
昔は、現在程、足回りのパーツの成熟度が高くなく、下手な奴は最終コーナーで
ハイサイドを食らい、あの高いフェンスの上を舞い、向こう側に着地し大破したそうで、
5速12000回転はまさに驚異的!!車体色のトリコロールは、実は日産ワークス
より早く採用してました。速い奴は、真似される事も多いのです。もちろん、当時の
私は何も知りません。ところであなたは、筑波の最終コーナーで、
5速12000回転出せますか?(笑)
大丈夫と言えば、社長を待ってる間、社長の奥様は、イヌやらネコやらプレーリードッグ
には話し掛けるのですが、接客する気配が有りません。しまいには
動物語をしゃべり出しました。うーむ。
不思議な店です。ここに来る客もそのことを全く気にしません。謎が深まります。
俺様 「昔、レースをしてたそうで?どこのサーキットを走ってたんですか?」
次に訪れた時に、思い切ってこう尋ねてみました。
社長 「筑波と菅生。B110サニーのプロダクションレースからスタートしたんだ。
菅生サーキットがオープンした時は、菅生サーキットのライセンス取得者、
第1号だったよ。その後に、B110サニーのホモロゲが切れて、KP61
スターレットのグループA、B310サニーのTS(N2)、EP71スターレットの
グループAまでしたな。そうそう遊びで筑波のストックカーレースもしたよ。
ここに移転するときにチームスタボンのレース活動は止めたんだ。」
俺様 「(よく解ってない)ふーん。東北一っていうのは?」
社長 「当時は習志野レーシングクラブ
の東北総支部だったんだ。即出走可能なレース車は20台以上
はあったなー。その全車両のメンテナンスをしてたんだ。」
99年の筑波の「ラッテストーン」の様子。社長から貰った優待券で入った。
ギンギンにチューンした車両だらけ。かなりの盛り上がりでした。何がスゴイって、
「シマダレーシング」の16号車、黄色の510ブルが、ロータス26Rをヘアピンで
ドリフトしながら抜き去ってました(驚愕!!)。FJ1600、シビックN1、セブン、
ネオヒストリック、マイスターの前哨戦など、見所多数でした。まさか、
それから何年もしない内に、ブームが去るなんてねー(笑)
なんだか解りませんが、すごい人のようです。
根拠は無いですが、「レーシングショップ スタボン」。これは期待できそうです。
習志野レーシングクラブとは、ネオヒストリックレースでも有名な「ラッテストーン」の
主催者になる、日本でも老舗のレーシングクラブです。昔はサーキットライセンスの
取得は「クラブ推薦」が必要だったので、お世話になった方も多いのでは??
(「ラッテストーン」とは、シリーズチャンピオンになると、グアムの世界遺産、
ラッテストーンに招待され、植樹が出来るという素敵な特典のレース名です。
レーシングドライバーは、この特典を得るため、サーキットで命を賭けて戦います。
これを「素敵」と言わずして何というのでしょう。)
社長は習志野レーシングクラブのシングルナンバー。スペシャルメンバーNO.5なんて、
相当、位は高そうだ(注:現在は契約更改はしてません)。こんな方が、山形にいたなんて!
こうして良く解らないまま、修理はスタボンに頼もうと心に思ったのでした。