園江さんに
 こどもの時分は遊ぶことばかり考えていた。庭の葡萄棚の下にござをしいておままごとをする。ままごとセットのかわりに、柄のないでこぼこの小鍋や壜のふたがお道具で、しゅうかいどうの花が卵、桧葉の葉がおさかななどと決まっていた。シャベルで掘った土を小鍋に入れくるっとひっくり返してそれがケーキの台、その上に乙女椿の花やツツジや季節の花を飾りつけるとデコレーションケーキのできあがり。爪のあいだに泥が入るし、あとかたづけの頃はもううんざりしてしまうのだが、どろんこ遊びははじめるととまらない。踏み石から溢れるほど泥のケーキがならんだ。

 けれど、男の子たちと遊ぶことのほうが何層倍もおもしろかった。その頃はどの家にもうじゃうじゃ子どもがいたから遊び相手には事欠かない。となりの直ちゃんと令ちゃんのうちはおとうさんもおかあさんも先生、前の鯨井さんちのおとうさんも高校の先生、みっちゃんは病弱だけど弟のめがねのひろしくんとはよく遊んだ。その奥のモダンな山口さんちの正明くんとまこちゃん、斜向かいの浅黒いハンサムな和正くんと味噌っ歯のしんちゃん、右がわの正義漢,マサルくんとススムくん、一度はいじめっ子のとおるとも遊んだ。女の子はたいていわたしと妹だけ、弟はおみそだった。路地でカン蹴り、くつ隠し、陣取り、原っぱで背より高いすすきの群生のなかに基地をつくるのもわくわくした。すすきを束ねて結わえ壁や屋根をつくる。ござや空き箱や水筒、懐中電灯を内緒で持ち込んだ。みんなでおやつを持ち寄り、お金を出し合って駄菓子屋でお菓子を買って食料にした。空き箱はテーブルに、わたしたちは贋金つくりになったり探検隊になったり、しばらくは基地ごっこに夢中になっていたが、少し飽きたころ台風がやってきて陣地は壊滅した。

 毎日 近場で遊んでいると遠出をしたくなる。陽気のいいころはおたまをとりにいったり、マッカチンをとりに田んぼにいった。バケツにいっぱいマッカチンがとれた。背は赤くて剛いが尾の裏側は白くて青みを帯びている。とってきてはじめは餌をやるのだがそのうちわすれてしまって、共食いを始めてから慌てて川に戻しにいった。どんぐり山にまだ残っていた防空壕のなかを探検したこともある。マッチでろうそくに火をつけて、真っ暗な穴の中に入ってゆく。なかはそう広くはなくて、欠けた茶碗や濡れて判読できない帳面が散らばっている。奥の方になにやらぼんやり気味のわるいものがあってひとりが浮き足出すとわれさきに転がるように逃げ出した。

 あの頃は闇や死が今より間近にあった。犬や猫の死骸は草むらにあって目は流れ蛆がたかっていたし、時おりお乞食さんが門付けに来ると、おばちゃんは塩むすびをこっそりわたしていた。わたしは学校からひとりで知らない道をぶらぶら遠回りをしながら帰るのがすきだった。ある日薄暗い森の道で親子とすれ違った。胸のはだけた虚けたような顔の母親の背にはぐったりと赤ん坊がぶらさがっていて、左手にはわずかな世帯道具をつつんだ垢じみたふろしき包みがひとつ、もう一方の手に、からだ中できものと赤チンの聖痕に彩られた男の子がつかまっている。三人は儀式のようにのろのろと無言で歩いていった。悲惨と絶望がひとの姿をなし、さりながらそこに紛れもない栄光、超絶した感じがあって7歳のわたしを畏怖させた。わたしはその後何度もあの親子に食べ物を持ってゆく夢を見てうなされたけれど、死と怖れが身近にあればこそ、世界は耀いていたのだ。けぶる外燈の虹色の輪、群青の空低くのぼる赤い大きな月、水たまりに落ちたガソリンの虹の遊色。空のかけら陽のかけらのオオイヌノフグリ、夕顔のやさしいうすももいろ、キラキラ光る霜柱。年を経るにしたがってわたしは闇を怖れなくなり、それとともに世の光りと美しさは色褪せていったような気がする。

 日が高くてとりわけうづうづする日、わたしたちはなでしこ遊園地に行った。原っぱの西のはずれに三角山がある。山といっても30センチほど盛り上った、一辺が25Mほどの二等辺三角形の台地で、数本の若木が立っているに過ぎない。雑木林というのも憚られるが、三角山はわたしたちの特別な場所だった。こどものころ、わたしは北はお化け屋敷のある浦高通り、南はどんぐり山の前の元町通り、東は青雲莊の前の坂道の先の産業通り、そして西は三角山で区切られた世界に住んでいた。、その結界を越えることはわたしにとって、異世界へ行くことに等しかったのだ。北浦和駅に向かう道が三角山で二手に別れている。左に進むとなだらかな上り坂で右手は元町のお屋敷町、左手は真昼でも薄暗い竹林になっている。石ころ道に下生えが生い茂り夏でも空気がひんやりしていた。テリトリーから離れているのでわたしたちは無言で一列になって進む。坂のてっぺんまでくると今度は下り坂である。くだって大きな通りを越え、もうひとつ先のかどになでしこ遊園地はある。つやつやした葉のお茶の木がめぐりを取り囲んでいて、季節にはちいさいおむすびみたいな茶色の実がなった。

 すべり台やブランコでさんざん遊んだ帰り道のことである。三角山に通りかかるとニャーニャー細い声がする。声のする方を見上げると目が開いたばかりの仔猫が下から2番目の枝にしがみついて声をかぎりにないていた。黒と白の斑で背中の毛を逆立てて必死の形相である。どうやら小さい爪を立てて登ったものの降りられなくなってしまったらしい。勝ちゃんはその日来なかったのでわたしが一番年長だった。わたしたちは木の下から仔猫に声をかけた。「大丈夫だよ、おりておいで」精一杯手を伸ばすのだが、仔猫は2メートルも先である。業をにやした進ちゃんが木に飛びついて登りだした。けれど木はつるつるしてすべって登れない。気の短い直ちゃんがよせばいいのに木をゆすった。猫は怖気づいてじりじりとひとつ上の枝に上がってしまう。もうやけくそで石を投げたりしてわたしたちはなんとか仔猫を救い出そうとするのだが、空は暗くなってゆくばかり、細い金色の三日月が冴え冴えとした空にかかり、風もだんだん冷たくなってゆく。おかあさんに叱られると小さい子がいいだして鳴き声を背にうしろを見い見い、わたしたちは帰ったのだ。

 翌日、学校から帰るとランドセルを放り出し、牛乳びんを持って三角山に走った。けれどさわさわ風が吹くばかりで仔猫の姿は木の枝にも草原にもなかった。わたしのからだのなかも風が吹き抜けるようだった。だれか親切なおとなが降ろしてくれたのかもしれない。いやいや、もしとんびかカラスがさらっていったのだったらどうしよう。そんな助けなどあるはずはないけれど、空からするするちいさな籠がおりてきて仔猫が空のいいところにいけたのならいいなと思いながら家に帰った。

 三日月を見るたびびょうびょうと風の吹く紺青の空と一本の木のシルエットを思い出す。それはあのときの仔猫のように、考えもなくのぼるだけのぼって、降りるに降りられない,、こころもとなさと後悔が入り混じった気持をわたしがよく知っているから。そうして、空にむかってどこまでものびている一本の木を、なけなしの爪をたて今も一心に登り続けているから。



2002/11/15