月光仮面はいない(藤本さんのこと)


 
 浦和市立本太小学校三年生の時だった。クラスに藤本栄という少女がいた。大柄で、原色のセーターやフリルのついたギャザーのスカートのような派手なみなりがよく似合った。パーマをかけてふわふわした髪をしていたこともある。少女の声とは思えないだみ声で、きっぷはよいが少しわがままだった。藤本さんの家が母子家庭で、おかあさんは学校へゆく途中の坂の上にある古物屋で働いて生計を立てている、と知ったのはいつだっただろう。古物屋は波のように大きく曲がった灰色のトタン板で囲まれていた。学校の帰り道、そっと覗くと、新聞紙の束がうずたかく積まれ、色とりどりのガラス瓶や壊れた自転車などが散乱していた。

 あるとき、理科の校外学習で、藤本さんのおかあさんがリヤカーを引いてくるのに出会ったことがある。おかあさんはリヤカーの引き手をおろして分厚い紺の前掛けで手をふきながら顔中笑顔にして、わたしたちに近寄ってきた。「栄ちゃん、栄ちゃんと仲良くしてやってね」当の藤本さんはきまり悪そうに後ろを向いてしまったけれど、わたしはあのときのおかあさんの汗に濡れた額、日に焼けて深くしわの刻まれた顔に浮かんだ表情を今でもはっきり覚えている。そこには自分の親の顔にさえ見たことの無い、愛そのものが輝いていて、10歳に満たないわたしの心を打ったのだ。そしてそのときの藤本さんのやるせない気持ちも手にとるようにわかって、春の終わり頃のその情景は今でもわたしを胸苦しくさせる。

 わたしは旧姓を水野といったので、名簿上藤本さんの後であることから、席がとなりになったり日直を一緒にすることも多かった。2学期になって新しい教科書が配られたそのすぐあとのことと思う。わたしの国語の教科書が無くなった。部屋も机もありとあらゆるところを探したがでてこない。厳しい母にも先生にもいえなくて、しばらくのあいだ、国語の授業のとき綱渡りをするように不自由をしのいでいた。わたしには、二人机の左側の藤本さんが間違って持ちかえったのだ、という確信があったのだけれど、藤本さんは知らないという。漢字の宿題忘れも重なってきて、追い詰められたわたしは考えに考えて、藤本さんをうちに誘った。
  
 子ども好きのおさだおばちゃんはお茶とお菓子を出してくれ、藤本さんとおばちゃんはまるでおとな同士のように世間話をしている。そのとき「ねえ、藤本さん 間違えてわたしの国語の教科書おうちにもってゆかなかった?」と内心どきどきしながら訊ねると藤本さんはすなおに頷いて、翌朝学校で教科書をわたしてくれた。あのときはほんとうにほっとした。

 さて、辛いことだけれどそろそろ話さなければならない。いじめはここ数年に始まったことではない。こどもは天使などではなくてずうっと昔から、大方のものたちと少し毛色のちがうこどもは、生贄のようにいじめられ排斥されていたのだ。三年三組にもいじめられている子たちがいた。男子のなかで目の仇にされたのは、髪が栗色で滅法気の強い的井裕美くん、女子では藤本さんだった。男子たちはウジモト、ウジモトといって藤本さんに触れられるのを嫌がった。

 日直の仕事は朝と帰りの挨拶、休み時間の黒板拭きたたき、冬のストーブの焚きつけと帰りの清掃、石炭運び、日誌、など今思えばよくもこんなに子どもにさせたと感心するほどあったが、そのうえに帰りのHRのあと下駄箱のふき掃除もしなくてはならなかった。藤本さんと私が日直の日、朝から男子たちが続々と私のところにやってきた。「俺たちの下駄箱は藤本にやらせるな」「水野、頼んだぞ」 わたしは内心まずいと思った。けれど藤本さんがかわいそうだと思う間もあればこそ、男子になにか頼まれることなんかめったになかったので、ついうれしくてほいほい引き受けてしまったのである。

 そうじをしながら藤本さんはいつになく無口だった。男子の方が人数がずっと多く下駄箱の面積も広かったから、わたしよりずっと早く拭きおえてバケツを片付けさっさと先に帰ってしまった。わたしはすでに後悔していた。口車にのって男子の下駄箱を引き受けた自分がいやだった。なんだか損をしたような気がしたし、後味がとても苦かったのである。自分が正義とはほど遠いところにいた、恥ずかしいことをしたと認めたくはなかったけれど寒々と心もとなかった。帰り道、古物屋を覗いたが誰の姿も見えなくて、わたしはとぼとぼ遠回りして帰った。藤本さんに謝りたかったが、結局謝ることはしなかった。

 藤本さんは高学年になってから、いつのまにかどこかへ越してしまった。キカン気の的井くんへのいじめはますます激しくなり、的井くんはクラスの男子全員をあいてに手傷を負った野生の獣のように教室や校庭で果敢に闘っていた。泥だらけになり鼻血を流しても、羽交い絞めにされて、黒板拭きで叩かれ真っ白になっても、彼は最後まで参ったとは云わなかった。私はといえば見物の人垣のうしろで手を握り締め、「みんな やめて 卑怯だよ」と叫びたい気持ちで張り裂けそうになりながら、一言も発することさえできずにとうとう小学校を終ってしまった。40年経った今もこれはひんやり疼く後ろめたい思い出である。月光仮面にはなれなかった。


                                      2003.3.31