物心ついた頃、家の窓からは水田が見えた。200米先の本太中学校の校庭が見えた。平屋の家から見えるはずがないのにたしかに見えた記憶がある。近くを流れる天王川の上流には染物工場があって、日々水の色が変わるのだった。それはたいてい青色か桃色でごく稀に緑色になる。川といっても幅,3メートルほどの悪水なのだけれど、水の流れは、こどもの暮らしにいろどりを与えてくれた。天王川の両側はよしが生え、ずずごが成り、けものみちのような細い通路がとぎれることなく続いていた。

 天王川の右手前には、原っぱがひろがっていた。大雨のあとはよしの生い茂る15センチほどの深さの沼地になった。ズックを脱いで温んだ水に足をいれると指の間からヌルヌルとやわらかなつちがはみ出てくる。両手を拡げて立つと陽の光の射し込む水面と空がひとつになってくらくらめまいがした。

 天王川の岸辺に生える赤マンマは他のところのより丈が高く穂も粒も赤く大きかった。妹は岸の先の方に垂れ下がっている赤マンマを採ろうとしてズブズブと沼地に腰まで沈み通りすがりのひとに助けられ泥だらけになって帰ってきたことがある。わたしは妹をわらうわけにはいかなかった。小学校二年の夏、台風で増水した天王川で橋の川上から流したささ舟を川下でとろうと桁から覗き込み、転落した苦い経験があったからである。白昼、衆目のなかをポタポタしずくを垂らしながら、罪びとのように母に手を引かれてあるいた屈辱は忘れることはないだろう。
 
 天王川の手前には細い水路があった。水底のやわらかなふわふわした土には糸ミミズがうごめき、おたまやマッカチンが隠れていた。そのどぶはわたしにとって度胸験しの踏み板だった。原っぱに行くには、遠回りして橋を渡るか勇気を出して水路を跳び越すかしかない。遠回りするのはプライドが許さず、わたしはたいてい水路の手前でしばらく逡巡し、よほど運がいい日には跳び越すことができたのだ。でもたいていはウロウロしたあげく、すごすごと橋をわたるはめになるのだった。

 天王川と原っぱは子供時代の王国だったけれど、もうひとつ忘れ難い王国があった。それはうちの裏の由紀ちゃんの家である。由紀ちゃんのおとうさんは建設会社の重役でおかあさんはお琴の先生だった。由紀ちゃんは一人っ子で、貧乏人の子沢山の家に生まれたわたしと妹の羨望の的だった。妹はお琴のおさらいの水曜日をおさらでごはんを食べる日と勘違いしてうらやましがっていた。昭和30年代の初め、お皿でごはんを食べるのはとてつもなく、優雅で夢のようななことに感じられた時代だったのだ。

 由紀ちゃんちの庭に行くには、木戸の桟を横にずらしてくぐりさえすればいいのだった。あの頃はどの町でもそうだったのだろうか、どこの家にも隣の庭に続く木戸があった。こどもたちはひとこと「通らせてください」と声をかければ何軒もの家の庭を通り抜け町内を一巡することさえできるのだった。それはわくわくする別世界への入り口だった。直ちゃんちから鯨井さんの垣根をくぐり、山口さんちにぬけ、道路ひとつ越えて青雲荘の曲がりくねった細い通路を走り、地主の星野さんの門の石段から跳び降りた時、わたしたちはあたりまえの世界に戻るのだった。

 由紀ちゃんちの庭はとても広かった。200坪くらいあったろうか。当時としてはめづらしく一面の芝生で中央に1本の梨の木が枝をひろげていた。紅梅の古木もあって根元の方は大きな洞があいていた。どうしてかはわからない、多分こどもの気まぐれだろう、由紀ちゃんとわたしと妹にはその木の下でおしっこをするという暗黙のならわしがあって、儀式のようにうやうやしくつとめをはたしたものだった。庭の東側には犬小屋があって八星号という名のくまのように大きな秋田犬が繋がれていた。いつも目が爛れていて、いかにも大儀そうに前足の上に頭をのせて横たわっていた。小屋のまわりには灯篭や四角い穴を穿った巨大な石の円盤など奇妙なものが山となって転がっていた。どうやら由紀ちゃんのおとうさんは建築現場で発掘したものを家の庭に運び込んでいたらしい。わたしたちはその上を子鬼のように飛び跳ねて遊んだ。

 秋の早朝、ちょうどわたしの家の玄関と塀を隔てたあたりで、由紀ちゃんのおばあさんは首をつった。由紀ちゃんのおかあさんと折り合いが悪かったようだとおとなたちの噂話に聞いたとき、わたしはおばあさんがタンスの抽斗からだしてくれたおせんべを思い出した。そのおせんべはしけっていて、樟脳のにおいがした。奇妙な味だったけれど、食べなければいけないような気がして、無理に飲み下したのだった。

 おばあさんが亡くなって間もなく、由紀ちゃんの家は建て直された。わたしの家の裏に当たる場所は高く土が盛られ築山となり、築山からは滝が音をたて、緑の芝生は掘り返され池になった。そして由紀ちゃんの庭に面したうちの四畳半は傾き、ボールやなにやらがコロコロ転がるようになった。父と母はむつかしい顔をして相談していたが、ある日由紀ちゃんの家に談判に行った。それから由紀ちゃんの家は遠くなり、数年後、原っぱに児童保護所が誘致され、家が新しくなるたびに木戸は閉ざされ、いつか天王川は暗渠となった。こうしてわたしたちの王国は地上から姿を消したのである。