爽秋の安曇野
05.10.11
訪問先 わさびだー穂高神社ー松本城
この所の北国よりの秋のニュースに誘われ、安曇野に出かけることにした。
天気は快晴。 中央道より長野自動車道に入るとアルプスの山々が見え始める。
気温が上がった為か、山々の稜線は霞勝ち。 期待していた黄金色の稲穂は、すっかり
刈り取られ、切株ばかりが目立つ田園風景が残っていた。
松本I.Cを過ぎると、家内が梓川S.Aに寄りたいと言うので寄ることにする。
梓川S.A
赤い屋根とスイス風の筋交いのある壁をもった建物が何んとも、秋空に似合っていた。
梓川S.Aの庭園の道祖神
S.A内には綺麗な庭園があり、ベンチが置かれている。
そこからアルプスの連峰が眺められ、山のパノラマの案内図が備え付けられていたが
山の名前と実物とが、どこを基準にしても巧く附合せず、結局、山の名前は判らずじまい。
中に入り、案内所で係りの女性に行き先の穂高・等々力の道順を訊ねると、地図を広げ、
耄碌したお爺んと見られたのか、やけに親切に教えてくれた。
帰りがけ地図をもらってS.Aを出る。
豊科I.Cでおり等々力へ向う。 暫らく走ると尖塔を持った建物が見えて来た。
最早、穂高の碌山美術館かと思いきや、ショッピングセンターだった。
以前、来た時と違い、この辺りも随分建物が増えていて様子が変わっている。
等々力に入るが、黄金の稲穂が見られず、ワサビ園に行くことにする。
ワサビ園入口
このワサビ園は北アルプスの雪融け水が伏流となり安曇野に湧水として
涌き出たものを利用し、ワサビ田が作られている。
園内に入るとワサビ入りのソフトクリームやコロッケ、漬物や現地の特産品の
売り場があり、ワサビ漬けの体験販売もやっていた。
ワサビ田を中心に15haの広さに遊歩道が整備され、散策ができる様になっている。
少し行くと木陰に安曇野に有名な夫婦の道祖神があり、ホー!とさせられる。
やはり旅人に対する道祖神の御利益かな−???
傍に綺麗な水をイッパイに湛えた蓼川が流れている。
もう秋だと言うのに、まるで梅雨時の水量の様で、
やはり北アルプスからの水の豊かさが覗われ、
名水100選に選ばれるのも頷ける。
流れの先を見ると、水車小屋があり、安曇野の風情が漂う。
この水車小屋は在りし頃、黒沢監督が映画「夢」の製作に当り造らせた物で、
監督の感性がうかがわれ、夢の雰囲気を醸し出していた。
川の美しさに見とれ小道を進むと、シーズンが終わったのか寒冷紗に覆われたワサビ田があり
その先、綺麗な魚の泳ぐ池に出る。 水に触るとやはり湧き水、かなり冷たかった。
池の魚
池の横に案内板が立ち「アルプス展望台」と書かれてあった。
案内板に惹かれ、道を辿ると登りとなり、やがて展望台に出た。
木立の間から青く順光を受けたアルプスの連峰が見えた。
この辺りは梅林があり、春には梅と雪のアルプスが見られそうだ。
展望台よりのアルプス
展望台を降りると、神社があり、その横に茶室が設けられ、名水でお茶を立てていた。
その前には大きなワサビ田が広がり、こちらは青々として寒冷紗はなかった。
ワサビ田
ワサビ田の脇にはワサビ工場や売店があり、その先は山道へと続いていた。
整然と植えられたワサビ
暫らく山道を歩くと 管理人風のオジさん達が来た。 道を訊ねると、
”この道を行けば涼風の小道に出て、ワサビ田を一周できる”と言う。
ワサビの収穫についても聞いてみると、ワサビにはシーズンがなく、
何時でも好きな時に収穫が出来て、便利な植物の様だ。
ワサビ田の道
道を進むとワサビ田の終点となり、道は急カーブにワサビ田に沿って曲がっていた。
その先に涼風の小道があり桜林へと続いていた。
ワサビ田管理所
さすが涼風の小道と言うだけに、爽やかな秋風があり心地よく感じる。
やがて何処からともなく魚を焼く匂いが漂ってくる。
何の事はない、目の先に岩魚茶屋の案内が見える。
行って見ると、田舎風の木陰の小屋で岩魚かアマゴか判らないが
青い煙を上げ、盛んに焼かれていた。 中に四・五人の客の姿が見えた。
横目にみて更に進むと、樹の茂みに大きな岩が見え、飛鳥の石室の様な祠があった。
これは八面大王の祠という。 案内によると、
桓武天皇の頃、この地方を怪力無双の大王が治めていた。 時の中央政権は
全国統一を目指し、東北地方に浸攻する為、信濃を足掛かりとして無理難題を
押し付けてきた。 大王は住民の苦しみを救う為、刃向かう積りはなかったが
中央政府の坂上田村麿呂の優れた軍勢に抵抗して、次々村は焼き払われた。
追い詰められた大王は有明山の麓の洞窟に僅かばかりの部下と共立て篭もり
抵抗を試みたが、遂に33羽の山鳥の尾羽で作った矢にあたり最期を遂げる。
しかし、大王は余りにも強かった為、生き返らぬ様、遺体はバラバラにきざまれ
胴体がこちらに埋められたと伝えられ、現在大王神社として祀られて入る。
大王の祠
飛鳥の石室よりは高さはないが奥が深い様だった。
ワサビ田を横切る木橋を渡って、一周をを終える。
腹が空いたのでワサビ田に張り出したレストランで、ワサビ丼をとる。
ワサビの茎や鰹節やアラレ等がかけられ、上に香りのある本ワサビが載せられていた。
ワサビが新鮮でピリリときた。 まあまあの味だった。
食事を済ませ外に出る。 空が広がり北アルプスの青峰にかかる秋の雲が銀色に輝く。
山の色は未だ赤みが淡い。 秋の雲を青い空が更に白く映す。
常念岳 有明山
湧水の美しさに魅せられ、万水川に沿って草に埋もれた小道をたどる。
逆光の水面はキラ。キラ。光り、赤とんぼが柔らかい光に羽根を輝かせている。
水が綺麗な為か水草が豊かに繁り、更に透き通って見える。 昔の小川は何処も
この様なところで、よく魚を追った日を思い出す。 参照デジカメの視線
そんな思いを馳せながら歩るく。 何時の間にか先程見た水車小屋の対岸に出ていた。
等々力橋付近 繁りすぎた水草
水車小屋
水車小屋より戻り、自然遊歩道があり早春腑歌碑や道祖神が点在していると聞き、
ぶらぶら散策する。 デジカメ眼差し参照
途中、早春腑歌碑の場所を土地の人に訊ねるが、よく解らず、その人が又、他の人に聞く始末。
結局、解らずじまい。 灯台下暗しとはよく言ったものだ!
諦めて、穂高神社へと変更。
神社は街の中にあるが、森に囲まれた格式のある構えをしていた。
幔幕に菊の御紋が印されているので、社務所の巫女に理由を訊ねると、
”御祭神は穂高見神と言われ、神武天皇の叔父にあたると伝えられている”と教えてくれた。
興味のあるオッサンと見られたのか、神社の略記を呉れた。 略記に依れば
本宮がいつ創建されたかは定かでないが、醍醐天皇(AC927年)の時期、延喜式の神名帳には
信濃に置ける大社として朝廷の尊崇篤く、信濃の国の開発に大功を立てたと伝えられている。
安曇族は海神系の宗族で北九州で栄え、大陸との交渉も持ち高い文化の氏族であった様で
次第に活動範囲を広げ、その一部が安曇野を安住の地と定め、稲作や農牧文化を普及させ
安曇群を成立させたと言われる。 尚、上高地の明神池畔に奥宮が鎮座している。
又、境内には海神系の民らしく、大きな御舟が献納されていた。
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