錦秋の京都

04.11.29



今日は、待ち兼ねていた紅葉情報に誘われ、京都に来た。

訪れる所は、洛北、鷹ヶ峰のしょうざん庭園と光悦寺、こちらは客が少なく穴場と言う。

それに紫野の大徳寺の塔頭の一つ高桐院、最後は上賀茂神社の予定。

千本通りを北上し、千本北大路を過ぎ、鷹ヶ峰街道に向かって走ると、

道は狭くなり、街道らしい街並のなだらかな坂道が続く、やがて左に、

控えめな案内板 ”しようざん”が見えてきた。



そこで左に折れると、S字に曲がったリゾートホテルに入いるアプローチの様な

取り付け道路があり、下って行くと、第1番目の訪問地 ”しょうざん庭園”に着いた。


こちらは江戸時代の初め、本阿弥光悦が雅遊の晩年を過ごした地域で、

現在は鷹ヶ峰山麓を流れる紙屋川の清流に沿って3万5千坪の

庭園が繰り広がれている。


期待通り、京都の奥まで来ると観光客も少なく、駐車場も余裕がある。

この分だと、ゆっくり見られそうだ。





北庭の入場券売り場まで来ると、舞妓さんが居るではないか・・・

街中では、めづらしくないが、こんな所で、出会うとは・・・

今日は紅葉と舞妓さんを見れるとは、実に、ついている!

撮影のモデルにでも、なるのであろうか??

観光客が少ない為、彼女達ものんびりと構えているようだ。





庭内に入ると、茶室や屋敷が点在し、中国の庭石を見るような複雑な凹凸のある石が

絶妙に配置され、その間に楓と北山杉の古木が小気味よく配され、静寂の空気が漂う。

紅葉は盛りを過ぎていたが、落ち葉が、また美しい


梅の林もあり、春には芳しい薫りが匂い起こされるであろう。



北山杉と散り紅葉






迎賓館前の池、楓のグラデーションが圧巻!







南庭は入場がフリーとなっていて、チャペルやプール・ボーリング場があり、散策の後
休憩のできる和洋中の食事処や宴会場が設けられている。

中を流れる紙屋川は巨岩が淵を作り、渓流沿いの小道は

取り取りの秋色に染められいる。

ぶらぶら歩きで自然のマイナスイオンを満喫するには、絶好の小道。




セントオーガステインチャペル





プール前の紅葉


紙屋川の遊歩道より上がり、大徳寺の高桐院へ行くことにする。

ボウリング場の横の小さな出口より小さな路地の坂道を

やま感で登って行くと、鷹ヶ峰街道に出た。

通りのオバちゃんに道を尋ねると、”この道を下り、三叉路に出たら

真中の道を行って、又、誰かに聞いてください”と言われる。

行ってみると、仏教大学のある三叉路に出た。


今宮神社


言われる通り中の道を行くと、今宮神社の前に出た。

そこを右折し、今宮参道を下ると左側に、大徳寺の高桐院はあった。

こちらは、しょうざんとは異なり賑わいを見せていた。

入口を入ると、雰囲気が一変した。 

一般の塔頭とは違う様だ。




外国人が感歎の溜め息を漏らした。  OH−!!

彼らもこの雰囲気を感ずるのであろうか・・・
日本人の美意識を解ってくれれば、嬉しいが・・・


本来、門より真直ぐに参道が伸びているものであるが、
ここはいきなり横に伸びている。

門の前は薄暗い光の中に、黄楓がはえる! 幽玄の世界!


この塔頭は利休の高弟である細川三斎(忠興)がつくった、と言われ、
当時の様式に囚われないつくりが感じられる。


利休から受け継ぐ影響かも知れない ?



鍵の手に曲がった参道をぬけ、玄関へ、ここら辺りの雰囲気は素晴らしい。

そして、客殿に入る。

暗い室内より南庭の敷き紅葉が真ッ赤にはえる。

客殿の隣には書院があり、2枚障子よりの眺めは忘れられない!

この建物は千利休の邸宅を移築したものと言われる。

書院に続いて、三斎が建てた茶室松向軒がある。

中を覗くと2畳ほどの広さ、小さい窓から、にぶい明かりが入る。

中柱は松の自然木が緩やかな曲線を描き、壁は黒壁で覆われている。

天井は竹の網代がまた風情がある。

何処か朝鮮両班の書斎の雰囲気。


当時、武士達は、この様な小宇宙で、茶の湯に親しんだり、

瞑想にふけったり、心を癒したのであろう。

庭に下り、加藤清正が朝鮮から持ちかえったと伝えられる、

つくばいを見て、奥の小さな門をくぐり、西庭にでる。



こちらは細川三斎とガラシャ夫人の墓で知られている。

奥まった所に、石柵で囲まれた中に、あの有名な

春日灯籠(ガラシャ夫人の墓石)が立っていた。

何の変哲も無い苔むした灯籠に見えた。


(この灯籠は、利休が寵愛したと言われる灯籠で、秀吉より所望せられ、

わざと裏面を欠き疵物として、断わったと言う。

後に利休、割腹の際、改めて三斎公に贈られたもので、

”無双”と言う銘を持ち、別名を欠け灯籠とも呼ぶ)


しかし、三斎公が、茶の湯の師匠として慕っていた利休より、

自分が望んでいた灯籠を贈られ、それを自分の妻の墓石にするとは、

余程、妻への想い入れの心が深かったのであろう。

明智光秀の娘として生まれ運命の歴史の中に亡くなっていった妻を思えば、

彼の心は、いかばかりなものか忍ばれる。


ガラシャ夫人の墓の隣には、細川家代々の墓がひっそりと並んでいた。


庭内を見終わって、 さすが! の一言 !

紅葉の盛りは過ぎていたが、侘びの世界には、これが又味を増していた。

青葉の季節に、もう一度来て見たいものである。


高桐院を後に大徳寺の山内をぶらーり、直ぐ左に、秀吉が信長の葬儀を行い

菩提を弔うため建立した総見院が秋のご開帳をしていた。

更にぶらーり東に行くと、大徳寺の法堂(重文)に突き当り、

南へ仏殿、三門(いづれも重文)、勅使門とつづく。




その内、利休自刃の原因の一つと言われる三門の金毛閣を見ることにしたが、

残念ながら、閉まっていて、外からだけの眺めとなった。

利休は、この三門の二階部を増築し、自分の像を安置したことから、

秀吉の怒りをかい切腹を命じられたと言われている。




折り返し、北向きにぶらぶらと、禅寺特有の境内、松並木を歩くと、

人の多い塔頭があり、綺麗に敷き詰められた参道の坂を上がると、

前田利家の夫人お松が建てた芳春院があった。

こちらは高桐院とは違い、お松の感性か、がらりと明るい。

ちらりと覗き、御いとまとする。



今宮通りに出て、堀川通り目指し歩く、上賀茂神社までは30分は掛かりそう。

やっと堀川通りに出て、通りを北へ、北へと進む。

堀川北山の交叉点を越え、更に堀川玄以を抜けて、今しばらく行くと、

やっと、加茂街道に出る。

堤防より眺める鴨川は人々が其処に憩い、水鳥が来て、

実に和まされる風景である。

やがて右手に橋が見え、渡った正面が上賀茂神社であった。




一の鳥居をくぐると、大きい芝生の広場が広がり、

二の鳥居に向って真直ぐな参道が続いていた。

紅葉のシーズンと言うのに参拝客は少なく、これが、あの葵祭りの神社か、

と思うと不思議なくらい。  御蔭で、ゆったりと、参詣ができる。


楼門


此方は678年に天武天皇が造営をしたと言われ、歴代の皇女が

斎王を務めたりして古くから京都の庶民に信仰されて来た。




楼門をくぐり奥に入ると、本殿(国宝)があった。

参詣を済ませ、神官に紅葉の場所を訊ねると、 ”渉渓園はどうだろうか”との事で

此方は曲水の宴を開く所らしい、行って見ると、散っていて、

森の中で薄暗く、期待外れだった。




しょうがなく、渉渓園を貫けて、馬場の前まで来ると、良く手入れされた

山茶花の紅白の花が満開いで、その上に楓が紅葉し、

その対称が艶やかで、最高だった!

それは上の写真の二人の位置から見たものが最高で、

バッテリーが切れてしまって・・・   ガックリ !!


見終わると、急にお腹が空いた。

有名な紳馬堂の焼き餅をと思ったが、店を閉めていた。

もう駄目かと思ったら、良くしたもので、目の前で売っているではないか、

あちらは元祖で、此方は葵家総本舗と言う。

薄い焼き餅の中に餡が入っていた。

口に入れ、一息ついた。 結構旨い! 返るとしよう。


上賀茂神社より、しょうざんに戻ると、鷹ヶ峰山に日は沈み、

北庭には灯が燈り、幻想的で、昼間とは、すっかり様変りしていた。

峰玉亭では、着物展の人達が帰り仕度に余念が無い。

我々も帰るとするか。

三条通りを貫けて、山科を通る頃には、秋の日は、もう、とっぷりと暮れていた。


終い

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