信州・中信地区の秋
美ヶ原高原、高ボッチ山、松本、美ヶ原温泉
10・10・12〜10.13

金木犀の香りも何時の間にか消え去り、近頃は高貴な香りの世界にも浸れなくなった。

替わって山からの紅葉の便りが聞かれ、その代わりを果たしてくれる。 今日はたよりに誘われ、

長野の中信地区に出かけることにした。 先ず、塩尻市の高ボッチ高原へと向かう。 天気は先ず先ず

中央高速道にて岡谷に出る。 長野自動車道に入って岡谷I・Cで下り、国道20号線を松本に向かって

走ると「高ボッチ高原方面」の標識が出てくる。 その先を右折、更に進むと道は登りとなり、S字カーブ

が続き唐松林の山中へと入って行く。 徐々に高度は高くなり唐松やダケカンバが少し黄色みを帯びて

こちらの山は楓が少なく赤い紅葉は見られない。 ハンドルを切り返しエンジンは唸りを上げる。

窓から入る乾いた空気が冷ややかになって来る。 雲の動きが見え、もう1000mは上がって来た様だ。


右か左何れかが谷となり、落石注意の看板を目にはするが、どう注意すれば良いのか対処の仕様がない。

ただ祈り、その場を急いで走るだけである。 そんなことを繰り返し上っていくと林が開け牧場が見える。

その先に空き地があった。 こちがどうやら高ボッチ高原の駐車場の様だ。 車が2台ほど留められていて

広場の隅に小屋が建ってトイレなども設けられていた。 案内板があり遊歩道コースなど描かれ

こちらが高ボッチ高原であることが分った。 丁度、季節の代わり目か、誰もいない。


やがて乗用車が3台入って来た。 降りてきた人達は初めてなのか案内板を見て、「こちらより

第2駐車場に廻った方が速いいようだ」と言って出て行ってしまった。 こちらも、その後を追って

第2駐車場へ行くことにする。 この辺りは木立も少なく見通しのよい高原道路である。  

少し走ると広い第二駐車場があり、こちらに車を留めて散策する。 



高ボッチ高原第2駐車場

広場の西にアルプス連峰パノラマ展望台がある、こちらの標高は1600mあり今日は曇りで寒くもなく

暑くもなく快適であるが、風でも吹けば、この環境は一変するのであろう。 眼下には松本市の市街が

広がり街の背後に北アルプス連峰が雲の合間に姿を見せ北へと伸びている。 展望台の案内によると、

乗鞍岳、西穂高、前穂高、奥穂高、槍ヶ岳・・・ などの北アルプスの山々

それに、中央アルプスと南アルプスも見えるそうだが、生憎の雲で今日は裾野だけしか見えなが、

北にある鉢伏山だけが近くにみえ、所々、赤く色を変えた秋の姿を見せてくれる。


東には高ボッチ山の頂上があるので、そちらに登ることにする。 銀色に枯れたススキに覆われた

高原の道を登ること400mで頂上に到着。 「八ヶ岳中信高原国立公園・高ボッチ山1664.9m」

の標識があり、横にはケルンが積まれていた。 そこからは蓼科や霧ヶ峰の色の濃い山々が見え

諏訪湖が周囲を山に囲まれ美しく眼下にひかり、その先には八ヶ岳が怪獣の背の様な峰を連ねる。

右手には南アルプスの甲斐駒ケ岳、北岳、仙丈ヶ岳・・・も見えて360度のパノラマが楽しめる。



松本盆地と北アルプス連峰




鉢伏山 1928m




高ボッチ山頂 標高1664.9m





高ボッチ山頂上より見る駐車場鉄塔


高ボッチ高原では秋の柔かな雲とススキ野の広がりの美しさをあじわい山を下りる。

下りは上りとは月とスッポン、あっと言う間に下って行く国道20号線に出て塩尻より19号線

で松本市へ走る。 ホテルへは時間も早く、以前、松本城に行ったとき天守閣に上れなかった

ので寄ることにする。 城へは20km程を走り市内に入る。 女鳥羽川を渡ると大名通り

正面には松本城が聳えて見える。 城を左に回り込んだ駐車場で車を降り天守閣へ。

  
                           松 本 城

  松本城は戦国時代の永正年代に信濃守護の小笠原氏により造られた深志城が始まりで

  その後、武田信玄が小笠原氏を攻めこの地を占拠し信濃を支配したが、天正10年(1582)

  に本能寺の変の動乱に乗じ小笠原貞慶が深志城を回復し名を松本城とした。天正18年には

  豊臣秀吉が天下を統一して、徳川家康を関東に移封した時、小笠原氏も家康に従い下総に

  移ると、秀吉は石川数正を松本城に封じ、1593年には天守閣を建て城下町も整備され近代

  城郭としての基礎が固められたたと言われる。 現在、五層六階の天守閣とi乾小天守、月見櫓

  辰巳附櫓、二の丸土蔵、黒門、太鼓門が残っている。 この城は現存する最古のもので、姫路、

  彦根、犬山と並び国宝に指定されている。




  
                                                 天守閣と乾小天守




加藤清正公の駒つなぎの桜




四階より見る乾小天守の屋根


内部は戦闘の城らしく窓が少なく、全体に薄暗い。 一階は食糧や武器弾薬の倉庫とされ

2階は竪格子が三面にあり、通常は武士達の溜り場だと言われている。 三階は外部

からは隠された階層で、窓がなく南面格子から僅かな光が入るだけで、専ら戦いの時、

武士が集まる部屋である。内部はツガや松などの柱や梁がむき出し、時代を経て黒光り

をなしている。 4階はいざの時、城主の居所となり檜が使用され窓もあって丁寧な造りと

なっている。 五階は重臣達の軍議がなされた場所で6階の見張り役よりの情報も

容易くうけられる場所である。 最上階は望楼として使われ、城の守護神が天井に

祀られている。 天守閣内部には甲冑、鉄砲など武具が展示されていた。


   
鉄砲と甲冑



松本と言えば、やはり城とアルプス、大勢の観光客で賑わっていて外国の観光客が多いのに驚き。

ホテルへの時間も頃合いとなり、城を出て東の美ヶ原高原山麓にある美ヶ原温泉へと進む10分程で

ホテルに到着する。 和服姿の若い係の女性が出迎えてくれ、受付を済ませて部屋へと通おされる。



ホテル翔峰


 館内は絵画なども多く飾られ売店には衣装なども売られている。 思っていたより立派なホテルである。

係の女性から茶のサービスを受け、今夜はサッカーの日韓戦があるので夕食は6時からにお願いする。

一休みし早速、浴場へ。 風呂は下から湯が噴出しジャグジーの様である。 湯は少し熱めで噴出する

湯に、しばらく身体をゆだね リラックス!  身体の芯まで浸みるように温めてくれる。 


これでさっぱり、6時からの夕食へ、料理は会席で、食べるごとに見計らって次の料理を

運んで呉れる。 最近は食も細くなり余し気味。 酒も廻りいい気分!! 何時しか7時を過ぎ

サッカーの時間だ! ウエイターにデザートを急がす。 部屋に戻ると丁度、試合開始!!

ほろ酔い観戦だ。 試合はO対Oの緊迫した試合、肩に力が入り折角の温泉浴も元の木阿弥

ま〜 負けなくてよしと、しなければね〜  前回に比べれば、うまくなっているし〜

引き分け試合に安心したのか、酔いも手伝い、いつしか夢の中・・・・



部屋よりの眺め  常念岳と松本市街


朝起きたが天気は昨日と同じくうす曇り、今日は美ヶ原高原へ登ることにする。

フロント係の人は ” 暑くもなく天気は大丈夫 いい日和です” とおっしゃる。

元気づけられホテルを出発、東南へ向かって67号線を走る。 進みだすと間もなく

道は上りに入り山間へと進みやがてビィーナスライン方面の標識で左折すると道は

細くなり木の茂みの間をアップダウンしながら峠を幾つも越える。 これだけ山が幾重

にもあるとは思わなかった。 ホテルのフロントの話では美ヶ原高原まで一時間は

かかると言っていた。 この辺りはまだアザレアライン厳しいヘアピンの多い山岳コース

である。 もう暫くはかかると思っていたが少し早くビーナスラインの扉峠に到着した。

 ビーナスラインを左へとり一挙に道が広くアップダウンも緩やかなドライブコースとなる。

ビーナスラインは霧が峰高原から山本小屋までつづく高原道路で、この辺りは

すでに視野の広げた大高原、やがて大きな広場の古さと館駐車場に到着する。



                             美ヶ原高原

   美ヶ原高原は火山により出来た溶岩台地で王ヶ頭(2034m)を最高に王ヶ鼻、茶臼山、牛伏山、

   鹿伏山、武石峰と言ったピークを持つ日本100名山の一つである。 一帯は火山でできたため

   大きい樹木は少なく草原が広がり遊歩道が整備され八ヶ岳中信高原国定公園に指定されている。





駐車場より見る山本小屋

古さと館駐車場に車を止め、整備された遊歩道が真直ぐに伸び山本小屋に向っている。

道の両側は大牧場が広がり、一部窪んだ地形にはシラビソなども生え紅葉も見かける。

牧場は400ha広さで5月から10月には300頭の牛が放牧されるそうだが、もう既に牛の姿は

見られなかった。 美ヶ原へは以前訪れたことがあるが50年も前のことである。 季節は春

大勢の女子学生が来ていて、「美しの塔」の前ではしゃいでいたのを思い出す。 山本小屋に

向かって澄んだ空気を感じながら歩く。 山本小屋に着くと、昔の儘の「美しの塔」が先に見える。

高原のシンボルでロマネスク調の塔である。 その先の一段高い所に美ヶ原の最高峰・王ヶ頭の

電波塔群に雲が迫っている。  北アルプスの山々を眺めながら「美しの塔」へと歩く。


  
窪地に生えた林に紅葉も




美ヶ原高原牧場 山本小屋への道




美ヶ原高原牧場


美しの塔は、学生の遭難から遭難防止のための鐘の塔として、又避難所として1954年に建設された。

美しの塔の基壇にはブロンズのプレートに山を愛した尾崎喜八の詩が刻まれている。


” 登りついて不意にひらけた眼前の風景にしばし世界の天井が抜けたかと思う
やがて一歩を踏み込んで岩にまたがりながら、この高さにおける
この広がりの把握に尚もくるしむ 無制限な、おおどかな
荒っぽくて、新鮮なこの風景の情緒は
ただ身にしみるように本原的で、
尋常の尺度には、まるで桁が外れている
秋が雲の砲煙をどんどん上げて 空は青と白との目も覚めるだんだら
 物見石の準平原から和田峠の方へ 一羽の鷲が流れ矢のように落ちていった”


詩人・尾崎喜八は ”登りついて不意にひらけた眼前の風景に、しばし世界の天井が抜けたかと思う”

 と詠んでいる。 まさに空の広がりは抜けた様に広い。 ”一羽の鷲が流れ矢のように落ちていった”

この表現は今や死語となった様だ。 自然は荒廃し鷲など絶滅に瀕し、もうその光景は見られない。

塔の傍には、ただ三人の観光客が佇んでいるだけであった。


 
美しの塔 先には王ヶ頭が見える。




王ヶ頭 頂上 2034m

美しの塔から王ヶ頭へは40分ほどで行けるが、駐車場に戻り牛伏山山麓の美術館へ行くことにする。

車では整備された高原道路を走ると5分ほどで着いた。 雲が少し晴れた様だが、雲の動きが激しく

今日の天気は当てにはならない。 草紅葉の始まった草原の斜面に美術館や大型の野外オブジェ

が設けられ、ダケカンバの紅葉もあり美しの塔の近くとは様変わりの景色が楽しめ暫く散策して

下りることにする。


  
草原のオブジェと美術館




  
草紅葉とタケカンバの紅葉

返り道はビーナスラインを霧が峰高原に向かって走る。往きとは違い快適なドライブである。

トップのエンジンブレーキにしてどんどん下って行く。

 三峰山が右手に見えやがて視界の広がった三峰大展望台にでる。 そこで小休止。

  展望台からは三峰山は勿論、蓼科や横岳もみえバイクのグループが溜まっていた。


駐車場には売店もあり松茸も売っていた。 一息入れ、更に中仙道(142線)の和田峠に向かい

Sカーブの道を下り峠にて右折、中仙道よりさらに右折して下諏訪岡谷バイパスで

岡谷に出て20号線を塩尻に出る。 塩尻より奈良井宿に向かい

19号線(中仙道)を走り洗馬宿を過ぎ「これより南木曽」の道標が目に入る。 

更に、走ると贄川の関所があり、木曽平沢宿を過ぎて19号線を右にそれ旧中仙道に入る。 

そこは奈良井の宿である。 一度訪れて見たかった処でもある。


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