スポーツ観戦で感動した場面 ベスト10

管理人はスポーツ観戦が好き。メディアに踊らされやすい性格のせいか、オリンピック、W杯・・・と、大きな舞台になればなる程、興奮して観てしまいますね。少なくともここに挙げた10場面は、一生忘れることはないでしょう。目を閉じればいつでも思い出せます。

10位 サッカー 2005年 リバプールvsミラン
まずは最近のCL決勝、この試合から。 開始僅か1分でセットプレーからマルディーニがゴールを決め、その後も余りに美しすぎるカウンターで2点を追加し、3-0で前半を折り返したミラン。いわゆる「安全圏」と言っても良い点差で、この時点でミランは99%優勝を手中に収めていたともいえるだろう。しかし後半、目の色を変えたようにリバプールの動きが良くなる。アーリクロスから素晴らしいヘッドでジェラードが1点を返し、ここでジェラードが観客、選手を一斉に鼓舞。まだまだ2点差なのに、TVで中継を見ていた私にも「本当に追いつくかも...」などと思わせれられる程の熱意が伝わってきた。そしてそれは、その後たったの7分で現実となる。スミチェルのスーパーミドルシュート、一度止められたPKのこぼれ玉に詰めたシャビ・アロンソの根性のシュートで、3−3の同点に。 しかしリバプールのこの異常な運動量がいつまでも続くはずもなく、徐々に攻めるミランVSリバプールの構図に。 延長戦に突入し、トマソンを投入して波状攻撃を仕掛けるミラン。しかし、リバプールのDF、MFは決定的なクロスボールに足を必死に伸ばし、クリアしてゆく。リーセ、鬼の形相。次々と足の攣っていくリバプールの選手。そしてトマソンとシェフチェンコが決定的なチャンスを手に入れるが、デュデクの神懸かったセーブの前に阻まれる。そしてPK戦、そのデュデクのダンスが炸裂。PKを次々と止め、リバプールが奇跡的な勝利を手にした。
3点のビハインドを逆転した7分間だけでなく、その後の守備からもリバプールの熱い魂を感じさせられた素晴らしい試合でした。まさに奇跡。
9位 マラソン 2001年 箱根駅伝・5区
01年の箱根駅伝から。自分もその以前から色々なドラマがあって好きだったこの、正月の風物詩ともなっている大会であるが、この大会の往路―−特に5区によって、完全にファンになってしまいました。1位でタスキを受け取った法大の大村が、10000mの持ち記録では圧倒的に劣る2位の順大の奥田、3位の中大の藤原から必死に逃げる。かなりの健闘を見せてくれたものの、やはり15km地点になって順大に追いつかれ、抜かれる。もう駄目か・・・
しかしその瞬間、大村が再び信じられない底力を見せ、なんと猛スピードで奥田を抜き返す。眼を丸くして驚く奥田。そのまま2人のデッドヒートが2km程続いたとき、なんと視聴者の誰もが気づかないうちに、3位の藤原もすぐ後ろまで迫っていた。なんちゅー速さ・・・ そしてデッドヒートを演じる2人を抜き去り、往路優勝を果たしたのはなんと中大であった。5区の下りは本当にスピード感が溢れてて面白い。マラソンを見てるとは思えない一時でした。
8位 サッカー 2002年 ドイツvsアイルランド
既に高校受験を控えて、随分と塾に行っている時間の増えていた当時の私であったが、不思議とその週に恵まれたのか、このW杯における面白い試合を次々とリアルタイムで観ることができた。フランスーウルグアイも、イングランド−アルゼンチンも、スペイン−アイルランドも、どの試合のときも塾が無かったのは奇跡的といっても良いと思う。そしてこの試合も、確か英語の先生が風邪で休んで、塾から早く帰ってこれて観ることのできた試合だったと記憶している。因みに私のこの大会のマイベストゲームである。コンセプトは、「あきらめない」
1点をドイツに先制されたが、必死に粘り強くクロスを上げ続けるアイルランド。しかしドイツのフィジカルは本当に強く、もう一歩で決定機が作れない。時々生まれた決定機も、カーンのスーパーセーブの前に防がれる。逆にドイツにボールを奪われ、2点目を決められて息の根を止められそうな場面も生まれた。そして試合は後半ロスタイムに突入。もうだめか。その時−−確か時計が46分45秒を回ったあたりの頃だったと今でも記憶しているが、後方のDF、フィナンからゴールへと長いボールが入る。そこで初めてドイツのDFに競り勝ったキルベインが、後方へとボールを繋げる。そこに絶妙なタイミングでロビー・キーンが走りこみ、渾身のシュート。カーンは手に当てたが、ボールはポストに当たってゴールの中へと吸い込まれた。歓喜の嵐。
ロビー・キーンの直後の側転パフォーマンスも・・・素直に格好よいと思えた。これ以上ないくらい「魂」を感じた試合。以来私はアイルランドのファンです。
7位 サッカー 1996年 日本vsブラジル(アトランタ五輪)
「マイアミの奇跡」と呼ばれ、日本のサッカー史に刻まれている名試合。そりゃあロナウド、ロベカル、リバウド、ジュニーニョ、エメルソン、ロナウジーニョら、ブラジルの中でも「黄金世代」と呼ばれたチームに、大舞台で1-0で勝利を収めたのだから、伝説となるに相応しい試合だといえる。実際、この世代は02年のW杯で優勝を収めているわけで、当時はメディアでも「100回やっても勝てない相手」などと言われたものであった。
最初の20分程こそ流していたブラジルであったが、すぐに全力で日本ゴールに襲い掛かってきた。しかし現代表である田中、遠藤らが統率するDFラインはしっかりと保たれ、ブラジルの攻撃に粘り強く耐えていく。ロナウドのヘディングシュートがバーを直撃し、ロベカルの凄まじいフリーキックがゴールを襲っても、日本のゴールは割られない。 後半になると更にブラジルの攻撃は鋭さを増し、何度も何度も決定的シーンがやってくる。しかし、この日28本と雨のように降り注いだシュートを、川口は完璧に処理。 守りに守った日本に後半27分、遂にチャンスがやってくる。路木が上げた何でもないクロスボールに、ブラジルのDF3人が飛び出し、ペナルティーエリア内にいた城を一気に潰しにかかる。そしてそこに明らかに処理を間違えたジーダまでが飛び出て来て、そのボールはジーダとDFの間で跳ね返ってコロコロ・・・ 
このシーンだけは今でもはっきりと覚えている。自分はとにかく目を疑い、次の瞬間、一緒に観ていた父親が「押し込め!押し込め!」と絶叫した。 そして、しっかりと詰めていた伊東が決勝点を決めたのであった。 こうなって、遂に目の色を変えて攻めてくるブラジル。しかし決定機を迎えながら、ブラジルはどうしても日本の川口の守るゴールをこじ開けることができなかった・・・。
02年のW杯で、日本はロシアに1-0で勝ち白星を挙げたが、あの試合はロシアのシュートが何故かひたすらゴールマウスを逸れまくっていったのに比べ、この試合はブラジルの決定的シーンがその何倍も存在した。それを守りきったのだから、「奇跡」という言葉もふさわしいものと思える。
6位 野球 1998年 横浜vs明徳義塾(甲子園)
まずはこちらを見ていただきたい。
横浜   000 220 010 010 000 12=9
PL学園 030 100 100 010 000 10=7
これが「近年稀に見る名勝負」といわれる、98年甲子園の準々決勝で行われた横浜VSPL学園の試合である。延長11回、16回と2度にわたって追いついたPLの根性は凄まじく、特に後者の執念のヘッドスライディングには感動の嵐であった。しかし、延長17回に2点の勝ち越し点を挙げ、横浜が勝利を収めたのであった。

次に、こちらを見ていただきたい。
明徳義塾 000 131 010=6
横浜    000 000 043=7

・・・一体、この年の横浜の強さは何だったのだろうか...  準々決勝であれ程の死闘を見せておきながら、準決勝のこの試合で、8・9回で7点を返して逆転勝利を収めてしまうなんて信じられない。 記憶に残っているのは、とにかく横浜の巧みな戦術であった。2アウトのあの場面でセフティーバントを出し、見事セーフになった場面などは本当に興奮した。とにかく、野球がこんなに面白いものだったとは・・・ と、私に小学校の野球部への入部まで考えさせた程の凄い試合であった。
5位 サッカー 2004年 日本vsヨルダン
こちらを参照。勝利の瞬間、奇声を発したのは僕だけではあるまい。
4位 スキージャンプ 1998年 長野五輪
斉藤、岡部、原田、船木が次々とK点越えの素晴らしいジャンプを披露。中でも注目された原田は、決勝でなんと136mという、当時は測定不能の数字を出して金メダルを獲得。「日の丸飛行隊」は本当に凄かった。
長野オリンピックで午前中に行われたこの競技を、俺は教室でクラスみんなで、午前中の授業を全て潰して観たものであった。今思うと、本当に良い担任の先生だったなぁ.... というわけで、小学生時代の素晴らしい思い出の一つでもあります。
3位 サッカー 2002年 日本vsベルギー
今でも鮮明に甦ってくる2002年6月4日、この日は遂に日本がホスト国としてW杯の初戦を迎えた日だった。部長の配慮で部活を一足早く切り上げ、部活の友人とこの日の試合のことを予想し、期待しながら家に着いて観戦したのを覚えている。
それはそれは、興奮した試合であった。ワールドカップ初戦という、只でさえ興奮せずにはいられない試合であの展開・・・ 
前半の日本は硬くなってまったくいいところを作れず、そのまま後半へ突入。そして遂に後半12分、フリーキックからスキを突かれて先制されてしまう。この時点で、強豪国相手に1-0に抑えながらどうしても勝てなかったフランスワールドカップの日本代表の姿が浮かんでしまった人が、どれ程いただろうか? 私もその一人。
しかしその悪い予感は、たったの2分で希望へと変わる。小野の出した起死回生のパスに、鈴木が50m余りを爆走して追いつき、ギリギリでつま先に触れる。そしてその軽く方向の変わったボールは、ゴールキーパーの手をすり抜けてゴールへ・・・! 執念が生んだような泥臭く格好悪いゴールだが、日本中の執念がボールに届いた、そんなことを感じさせられる最高のゴールだと思っている。 更に後半22分、稲本がドリブルで爆走し、あれよあれよという間にDFを一人ブチ抜いてシュート! これが見事に決まり、私はもう歓喜で狂いそうになった。だが後半30分、DFラインの裏をとられて同点弾を許す。それでも2点をとって勢いのあった日本は攻勢をかけてゆく。そして86分、遂に稲本がゴールを決めた・・・と思いきや、これがファールという厳しい判定。逆にその数分後、今度はPA内で楢崎がベルギーFWを倒す・・・しかし笛は鳴らず、試合終了。 一進一退の只でさえ物凄い試合だったが、これがW杯の日本戦で味わうことが出来たものだから興奮と感動もひとしおであった。勝ち点1が獲れて本当に良かった。
2位 体操団体 2004年 アテネ五輪
最初の床でやや出遅れた日本代表であったが、その後あん馬、平行棒、跳馬と安定した成績を出して3位に浮上。そしてつり輪で僅差ながら1位に立つ。そして最後の鉄棒でアメリカ、ルーマニアが次々とミスる中、日本はまさに完璧な演技を披露。実況の刈谷さんも「余りの凄さにアメリカも苦笑い!」「日本、得意の鉄棒でライバル達を突き放しました!!」とおっしゃっておられました。最後の富田選手が難易度Eの大技;コールマンを繰り出して空中を舞った時など、「頼む!頼むから鉄棒をつかんでくれええええええ」とこっちの緊張も頂点に達した。そして着地の瞬間の、「伸身の新月面が描く放物線は、栄光の架橋だ!」という名実況。 この試合でこれ程感動できたのは、実況の刈屋氏と解説の小西氏のお陰である。体操を知らない視聴者にも、わかりやすく簡潔に技の難度を説明してくれる、ソウルオリンピック代表の小西氏、そして状況を的確に伝えながら、素晴らしい名言の数々で視聴者と日本代表を鼓舞する刈谷氏・・・
最後の「小西さんの目から、大粒の涙がこぼれてきました・・・」の実況に、私も涙....(つд`)
1 サッカー 1997年 日本vsイラン
この試合について語り始めると何千字になるか分からないのでここでは控えておきますが、なんだかもう、終わらない悪夢を見ているかのような最終予選の
日本−韓国        ×1-2
   −カザフスタン    △1-1
   −ウズベキスタン  △1-1
   −UAE        △1-1
という結果も、
延長戦になる前の打ち合いの末の2-2というスコアも、決めるまでに外しまくった岡野も
(でもあれは流石にアリエナイ・・・)、全てあの歓喜の為にあったように思わされた。
(実況)ゴール前ッ、ダエーイ!
 バーの上危ない!ダエイの左足バーの上っ!
(解説)あぶなかったですね。
(実況)日本中が、大きな冷や汗!しかし大丈夫!
 岡田監督が思わずベンチを飛び出しました。今のシーン。
(現場)あのね、先ほどからね。攻守の切り替え、具体的に基本的には攻めてますよね。
(実況)はい。
(現場)これポーンと守りにはぃ、なんなきゃいけないときに早く切り替えろってこといってますね。
(実況)はい、そうですね。
(解説)まぁ、疲労はホントにもぉ最高潮だと思うんですけどもね。
(実況)えぇ。
 ロペスが奪った!中田がキープ。まだ持っている。
 ドリブルで上がるッ。ドリブルで上がる!
 左足!どうか。こぼれている!
(解説)やったー!
(実況)岡野ー!最後は岡野ー!
 日本、勝ったー!日本勝ったー!
 World Cup…、やったー!(解説)やったぁぁー!
(実況)勝ったぁー日本!



では。