ナビの北海道旅行記1986 パート4
8月7日(木曜日)
昨日に続いてよく爆睡した。心も体も北海道モードになってはいるけど、さすがに疲労がたまってきた。でも今日が最後の北海道。しっかりツーリングしよう。さて洗顔をすませ朝食を摂る。え?ユースなのにバイキング?これってあり?ならば、甘えてしっかり食べよう。食材の質こそ低いかもしれないけどリッチな朝食だった。ご馳走様!

天気は晴れ。上陸した日と同じだ。今日は札幌を経由して苫小牧に向かう予定。その前に行きたい駅があった。それは比布駅。ちょうどピップエレキ版で有名になった駅だ。旭川市内に入る前にR40 に入り比布市内に。商店街を抜け駅を発見。結構観光客がいた。ここでエレキ版の会長さんが「ピップ!」って言ってた訳ね!駅員さんが帽子を貸してくれて写真を撮ってもらう。弧線橋を渡らず線路を横断していいよ!なんて実にローカル。やがて旭川行きの列車が入ってきた。意外と利用者が多いみたい。一通り観光を済まして旭川に戻りR12をひたすら南下。でもこれって確実に帰るんだよな?現実の世界に戻っていくんだよな!と思うと安心感と嫌悪感が同じになってくる。このままいつまでもいたいと感じてしまう。

R12はいままで北海道を走ってきて一番交通量が多いみたい。それに信号の数がやたら多い。でも道幅が広いので赤信号ごとに止まっている車のそばをすり抜いて先頭に立てるのだから、これって幸いかな?札幌の町まで入ったものの何処にいけばいいのか学習してこなかった。とりあえず大通り公園でトウモロコシでも食べることとラーメンを食べればいいや!ってくらいの考えしかなかった。札幌市役所の案内板があったので警備員のおじさんにバイクの止める所を聞いたら、親切に「ここいいよ!」ってんで市役所の駐車場の一角に置かせてもらった。おじさんにラーメン横丁の場所と大通り公園の場所を聞いて歩き出す。

ん?ん?これ、もしかして時計台?マジ?ビルの間に挟まって建っていた。たしかテレビで見たときは広い場所に建っているように見えたのに。これじゃカメラのアングルにビルが邪魔で綺麗に撮れないじゃん。何とか撮影したものの、たいした写真にはならないだろうな。
続いてラーメン横丁に行く。ここは確か「ひぐま」っていうラーメン屋が有名だって聞いてたのでそこをめざす。でもすご〜い列。折角だから並んでみるか。小さい店だけど商品がラーメンだから回転率がいいのか30分位でカウンターに座る事ができた。と言うより一人だったからかもしれない。

団体さんを抜いて先に座れた。もちろん味噌ラーメン。「おまちどう」の言葉に生ツバが出そう。旨い!やっぱり旨い。並んだかいがあった。しょっしゃ!ラーメン屋のハシゴ?をしよう。同じ横丁のなかで空いてる店を発見。こんども味噌ラーメンを食べる。気合こそ有ったけど胃袋は正直で麺くらいしか食べられそうにない。店主に変に見られてもイヤだから無理してスープを半分飲んで店を出る。あ〜苦しい!

後は大通り公園で休憩するか。ベンチを見つけてのんびりする。丁度目の前にトウモロコシの売店がある。どうしようか?胃袋はギブアップしているみたい。でも視覚と嗅覚は食べたがっている。相談の結果、食べられるだけ食べようということで1本購入。ツブツブだったから難なく食べきった。美味しいというより限界を通り過ぎ、気持ち悪〜い!普通なら美味しく感じられるんだろうけど、2杯のラーメンは選択を誤ったかもしれない。どこか涼む場所がないか歩き出す。

あった!パチンコ屋さん。まあ、有料の休憩場と思えばいいかもしれないから1000円両替して一般台に座る。何でだろう300円しか入れてないのに玉が入ること入ること。打ち止めも狙ったけどフェリーの時間を考えなければならないから残念だけどここで終了。両替して7000円になった。ラッキー!!さっきの札幌市役所に戻ってバイクで出発。R36で苫小牧に向かう。このころ多少胃袋も落ち着いてきた。でも車の量がここも多い。すり抜けもめんどくさくなった。

不本意ながら北広島から高速道路を利用する。早めに到着して港で寝よう?午後5時苫小牧港に到着。受付こそしているけど乗船はまだ出来ないのでイスを3席占領して爆睡。そして乗船。来た時みたいな感慨はもう無かった。というよりも船員さんの指示でテキパキと行動する。つい数日前に経験したばかりだから感動もなかった。
2等船室に入るともう寝るだけ。とにかく眠い。これで帰れるという安心感と疲労が一気にやってきたみたい。
はじっこで一人縛睡。お休みなさい。
8月8日(金曜日)
おはよう放送で目覚める。何時間寝ていたんだろうか?体が痛い。というかカーペット敷きに寝てたので体が痛かった。昼前に仙台港接岸。下船の案内でバイク格納庫に向かう。丁度となりのバイクの青年と目が合いお互いに挨拶をかわす。彼は神奈川に帰ると言う。ならば一緒にと意見が会い並んで船から出る。丁度仙台は七夕祭りをしているので、一緒に仙台市内にバイクを置き町を歩く。北海道ツーリングだけどこれもアリかな?青年のバイクはフェザー250。俺のよりはるかに早い。

仙台市内でお昼を食べて北海道の話をする。これもまた楽しい。帰りは高速で帰るらしい。だから俺とは別々の行程になりそう。残念だけどここでお別れ。俺はR4をひたすら南下。でも福島まで来ると、早く自宅に到着して自分の布団で眠りたい!と思うようになり、ここでも不本意ながら福島飯坂から東北道へ入る。いままで、よく一人で走ってきた。そう思いながらひたすら高速を南下。

無事午後5時前自宅に到着。相棒を軽く洗車してあげて、ノートラブルに感謝した。
何といっても自分の布団で眠るのがこんなに素晴らしいということに今頃気が付いた。
編集後記(平成16年1月に当時を振り返っての感想を記載しました)
初めての北海道。はじめてのソロツーリング。今回一番不安だったのが事故と病気。でも問題なく達成できました。でも北海道は確かに遠い所でした。今回はじっくりコースを選択したつもりでしたけど、気が付けば通過スタイルで観光地はあまり行っていない事を理解すべきでした。特に半年後に廃止になる広尾線や白糠線など、平成に廃止になる標津線などを当時鉄道マニアと自負していながら見ていないのは現在になっての心残りになってしまいました。もっと見てくれば良かった。

でも過去は過去です。当時から知床峠を走ったり。現在のような近代化された阿寒湖畔ではなく木々の中の静かな阿寒湖を見られたのは今をもってしても宝物かもしれません。
また一期一会というものの大切さを知らされたのも大切な思い出でしょう。
昭和61年ソロツーリングは日記や切符を使用しここに公開することができました。
ただ残念ながら保存してあるべき写真はもちろんネガも見当たらないのが残念です。もしでてきたら掲載する予定です。  
                                                           by ナビ

BACK 旅行記TOPに戻る INDEXに戻る