釧 路 の 難 読 地 名 を訪 問しちゃいました その1
北海道では、各地で難読と言える地名がたくさんあります。これは北海道が蝦夷と言われアイヌの人々が各地で活躍していた時代では、ごくごく普通だったと考えられています。(現代の私たちが普通に話す日本語と同じように)

しかし、明治時代になって、蝦夷から北海道と地名が変わり、和人と言われた本州各地の人々が入植するにあたって、地名を記さなければならなくなりました。しかし、アイヌ文化には口頭での言語伝承はあっても、書面で記する「書く文化」の伝承と言うものは存在していませんでした。(アイヌ関係の古文等の文書がないのはこのためです。)そこで、当時の明治政府は口頭での発音を元に文字に残していくことを進めていき、地名も当て字を作っていくことになり現在に落ち着いています。

そのため、時代の流れにそって変わるだろう文字は変わる事がなく現在に至っています。多分、江戸時代から明治初期までは、十分通じる文面でも、現在では全く意味不明なものも存在します。明治初期の当て字ですから現在では全く通用できない難読地名となっていったものがあると思われます。

釧路町には、まさにその時代から取り残されたような、めっちゃ難しい地名がたくさんあって、これらをリレー形式で廻る人も多いそうです。四角い板にフクロウ君が説明してくれる案内板が22枚存在していますので、興味のある方は是非チャレンジしてみてください。
 
上記のような難読地名板があります。実物はちょっと色あせてきて、見にくくなっていますので、若干色を変換し、また 判りやすいように番号を組み入れておきました。(実際には番号はありませんよ!)

この案内板の中には何故か「円山」が掲載されていなかったので、私の方で無理やり編入しています。1番から22番まで ふくろう君の看板があります。
これ以外にもふくろう君は無いのですが、近くに難読地名が何カ所か存在しています。
これを制覇するにはかなり根気のいるリレーです。頑張って探してみてください。もっとも探したからといっても景品はありませんよ!どうぞ自己満足の世界に浸ってくださいね!


ご理解いただきたい点

下記のアイヌ語は できるかぎり広義的に客観的に記載はしてありますが、一部は判りやすくするために、私の主観的な捉え方をして記載していますので、文面の考察及び表記は絶対的なものではありません。サイトにコピペされる方は十分ご注意くださいね!
また、実際と相違する文面や意味合いがありましたら、メールにてお教え頂けるとありがたいです。訂正させていただきます。

 1 又飯時  アイヌ語での意味   海の瀬の荒い所音が遠くに聞こえる
アイヌ語で考えてみると、「マタ」「イ」手前「ト」遠く「キ」〜知るとなりますので、音が遠くに聞こえる〜山奥にいても浪の音が高い〜海の瀬の荒い所と解釈するのでしょうか。(ちょっと無理があるかな?)「マタイトキ」となったと考えられています。
        
ここ昆布森沿岸では海の瀬の荒い所で有名であり、過去には数隻の座礁 遭難船があり犠牲者を出しているそうです。

一説には釧路市から厚岸町までの陸路、ここで昼食を取ったので、又飯時と名ずけたと言うが、これは和字に当て付けて判断したものと思われます。なんだかこっちの方が説得力あったりして、、、。


周囲は海岸線に向かって大きな集落があり、バス停もあって、釧路市街への移動も極端に苦労はいらないようです。この近くには地嵐別(チャラシベツ)という地名があるのですが、それを思わせるものは発見できませんでした。
でも、、、私的には「まためしどき」ってしか読めないっす!!
 マタイトキ
 
       
道道からは比較的容易に発見できます。 又飯時の集落。思ったより広い集落でした。 しっかり釧路バスの停留所もありました。  1日6本程度の便があります。

※  地嵐別  アイヌ語での意味   水が岩の面をちらばって 流れ落ちる川
元々は「チャラシセペツ」が語源と考えられます。アイヌ語で考えてみると「チャラシ」滝が連続して「ベツ」となりますから、滝が連続して落ちる川と解釈するのでしょうか。「チャラシセベツ」が変化して「チャラシベツ」となったと考えられます。

この地区は又飯時地区の奥にあるのですが、それらの地名を表記するものは発見できませんでした。
ちなみにここの「フクロウ君」はありませんので、番号表記はしていません。

でも、、、素直に「じあらしべつ」って読みたいなぁ〜〜ってのは勝手ですかね?
 チャラシベツ

 2 宿徳内 アイヌ語での意味 エゾネギの群生している沢(行者にんにくの多い沢)
アイヌ語で考えてみると「シュク」エゾネギ「トク」群生「ナイ」となりますので、行者にんにくの多い沢と解釈するのでしょうか。「シュクトクナイ」となったと考えられます。

ちなみにエゾネギは、きとびるや行者ニンニクなど いろいろな呼び名があります。

看板の側にはバス停があり、細いダートを下って行くと小さな集落があります。

読もうと思えば読めますね!
シュクトクナイ
ちょっと判りにくい所にあります ダート終点には小さな集落がありました 道道に沿ってダートが伸びています しっかりバス停もあります

 3 嬰寄別 アイヌ語での意味 楡の皮を漬けておく川(ニレの木を漬ける川)
アイヌ語で考えてみると、アッ」ニレの木「チョロ」漬ける「ベツとなりますのでニレの木を漬ける川と解釈するのでしょうか。「アッチョロベツ」になったと考えられます。楡(ニレ)の木はアイヌ人にとって貴重なものです。それは木の皮をはがして水に浸し繊維がほぐれてきたものを干したものを紡いで服にするのだそうです。この場所では、そんなアイヌの衣服を作る場所だったんでしょう。

ただ、現在はこの地区には楡の木は存在していません。ですから、過去にさかのぼっても、本当に楡の木があったのかは不明です。また、現在ではこの地区は城山地区となっていまして嬰寄別という地名は現存していません。

バス停も「城山」となっているばかりか、集落の集会場も「城山会館」という名称になっています。

そもそも読もうって事に無理がありそう!何で「嬰」を「アッ」って呼ぶんだよ!そんな文字なんて初めて見た!
アッチョロベツ
 ちょっと判りにくい看板です  バス停も城山でした。  集会場も城山会館になっています  結構大きな集落がありました

 4 昆布森 アイヌ語での意味 昆布の浦(昆布の入り江)
元々は「コンプモイ」が語源と思われます。アイヌ語で考えてみると「コンプ」昆布「モリ」入り江となり、昆布の入り江〜昆布が獲れる浦って解釈するのでしょうか。「コンプモイ」が変化して「コンブモリ」となったと考えられます。

周囲はその名の通り昆布の収穫が大きいそうです。と言う事は私たちが日ごろ食べている「昆布」の語源はアイヌ語から来ているのかもしれませんね。

この界隈ではかなり大きな集落で、ガソリンスタンドや郵便局、学校もあります。

ちなみに「昆布森」の看板は、、、、とっても見つけにくいところにありました。探す人はがんばってくださいね!
ヒントは「山の方」です。

これは素直に読めますね!!
コンブモリ
 この集落がバスの終点です  かなり大きな集落です。  高台からは景色がいいですよ  

 5 伏古 アイヌ語での意味 古い村
元々は「フシコタン」が語源と思われます。アイヌ語で考えてみると「フシ」古い「コタン」となりますので古い村と解釈するのでしょうか。「フシコタン」が変化して「フシコ」となったと考えられます。

以前はこの地区に、「フシココンブモリ」という集落があったそうですが、昭和30年頃から海岸浸蝕によって浜は決壊し、住み家も不安となって昭和53年に昆布森市街に全戸が集落に移転したので、現在では何も無いようです。ほんとうの意味の「古い村」と言えなくもありません。

周囲は確かに何もない場所でした。ただ、小さな家々がありましたけど、、、。もしかしたら番屋だったのかな?

でも、、その通りで普通に読めば問題なさそう。
フシコ

 6 幌内 アイヌ語での意味 奥深い沢の川(大きい川)
アイヌ語で考えてみると「ポロ」大きい「ナイ」となり、大きい川と解釈するのでしょうか。この解釈の考え方は北海道各地で違うようです。「大きい」を「深い」や「奥深い」と変化するものもあるそうです。そのまま「ポロナイ」となったと考えられています。

この解釈の仕方が広範囲に当たるため、意味合いは違いますが全道各地にあっても不思議ではありません。北海道ではかなりの場所で目にする地名かもしれません。      
難読地名の割にはメジャークラスかもしれません。

ただ、、私的には どう考えても「ポロナイ」じゃなくて「ホロナイ」としか読めないのですけど、、、、。
ポロナイ
 道道から伸びたダートがあります。  かなり荒れた舗装路があります。  終点には結構集落がありました。  小さな漁港か入江がありましたよ

 7 来止臥 アイヌ語での意味 きとびるの群生している所(行者にんにくの生えるところ)
アイヌ語で考えてみると「キト」きとびる「ウシ」生えるとなり、きとびるの生えるところと解釈するのでしょうか。「キトウシ」になったと考えられます。ちなみに「きとびる」とは行者ニンニク、エゾネギの事をいいます。ですから、きとびるの生えるところ〜行者にんにくの生えるところとなりますね。       

となると宿徳内での意味でも行者ニンニクが出てきましたよね。何で呼び名が変わるのでしょうか?多分ですが行者ニンニクも 他にも呼び名があるから、「シュク」も「キト」もそれぞれの呼び名なのでしょう。

ここには野営場があってキャンプ場があります。バンガローとかの設備はありませんが、炊事場、トイレは完備されています。キャンプ場からは断崖の先 太平洋が見渡せます。とっても綺麗らしいです。(私が行った時は霧がかかっていて見られませんでした。)

でも、私的には、どうしても「クルドメ……何とか!」としか読めないっすよ!「臥」なんて文字見た事ないもん。
キトウシ
野営場の入口。怪しげなダートを入ります  かなり古くから野営場はあったのかな 現在では休養林になってます。 ちゃんと炊事場トイレもあり便利そうです

 8 十町瀬 アイヌ語での意味 エゾエンゴサクが広く群生している所(エゾサンゴクソウが群生している原野)
元々は「トマチエヌプ」が語源と思われます。アイヌ語で考えてみると「トマ」エゾエンゴサク「チエ」熟す「ヌプ」湿った原野となりますので、エゾエンゴサクが群生している原野と解釈するのでしょうか。「トマチセプ」が変化して「トマチセ」になったと考えられます。

ここは、奇岩が多く、沖合いは定置網の好漁場として知られているそうです。その割には、看板のある場所は海岸線からは遠く、そのような場所には思えないかもしれません。怪しいダートも道があったのですが、途中に鎖があって、先に行くのは断念しました。もしかしたら、海岸線まで降りられるのかもしれませんが、かなり恐怖を感じるロケーションです。逆に次に出てくる浦雲泊から海岸線を伝って行くことが出来ます。

なんとか読めなくもないかな?そんな文字ですね。

でも「エゾサンゴサク」ってどんな花だろう?見てみたいものです。
トマチセ
すっごく怪しい道がありました。 途中で通行止め!この先は?怖い!    

 9 浦雲泊 アイヌ語での意味 舟がかりが出来る小さな入り江(小さい船着き場)
アイヌ語で考えてみると「ポン」小さい「トマリ」停泊となりますので、小さい船着き場と解釈すればいいでしょうか。「ポントマリ」となったと考えられます。

細い道を延々下って行くと比較的大きな集落があります。この地区は沖合いの岩場で浪が沈み、渚はおだやかな漁港になっています。アイヌ語そのままの比較的大きな港がありました。

また今では廃坑となりましたが、ここの集落の裏山に炭鉱があり、当時は石炭を海上から搬出したそうです。その為か大きな集会場もあり、その集会場の名前も「浦雲泊会館」という名称でした。

でも、私的には、、、どうしても「うらうんぱく」って呼びたいんですけど、、、。だれだ!そんな当て字作ったのは!
 ポントマリ
道道からは延々と下り坂が続きます。 洒落た集会場がありました。 浦雲泊会館って絶対読めないっす!  

10 跡永賀 アイヌ語での意味 昔、海であったところ(海の跡)
元々は「アトウイオカケ」が語源と思われます。アイヌ語で考えてみると、「アトウイ」「オカケ」〜の跡となり、海の跡〜昔、海であった所と意味するのでしょうか。「アトウイオカケ」が変化して「アトエカ」になったものと考えられます。
      
この「アトエカ」という地名は、次項のブイマ、ソンテキなどを含めての総称だそうです。

沿岸は川口に沿って自然の湾となっており、コンブのほか、タコ、サケ定置などの好漁場となっていたそうです。とくにタコは大正13年頃には釧路の業者が加工場を持ち盛んであったというそうです。そんな時代もあったのですね。

舗装道路をかなり下っていくと沢沿いに こじんまりとした集落がありました。

でもね、、、「アトエカ」じゃなくて「アトエイガ」って読みたくなるのは私だけでしょうか?
 アトエカ

11 冬窓床 アイヌ語での意味 海の中に立っている岩
元々は「ブユモイ」が語源と思われます。アイヌ語で考えてみたのですが、、今ひとつ納得のいく答えは出ませんでした。公式の文面では穴のある立岩と解釈するそうです。「ブユモイ」が変化して「ブイマ」となったと考えられています。ここは跡永賀の一部で、アトエカとブイマを合わせて跡永賀と呼ばれていたそうです。

海岸線にはローソク岩という奇岩がありますので、その岩を立岩として表現しているのかもしれません。ただ、海岸線は看板の所からは見る事ができず、怪しい道があるのですが、通行止めになっていて、行くことができませんでした。

通行止めの看板には「作業場出入口のため駐車はしないでください」って書いてありましたので、どこかの業者か所有者の道路なのでしょうか?

どう見たって「ブイマ」じゃねえっす!「ふゆまどゆか」って読みたいっす!
ブイマ
 かなり色あせています。行きたかった!      

12 初無敵 アイヌ語での意味 沼のような静かな浦
ここの呼び名には複数あり、「トンテキ」「ショッテキ」「ションキチ」などがあり、どの発音が正しいのかは判っていないんだそうです。

一番有力な語源として「トウンテク」があります。「トウン」「テク」そして〜となりますので、沼であるようなと解釈するのでしょうか。「トウンテク」から変化して「ソンテキ」となったと考えられます。

現在のソンテキは沿岸に岩礁が多く、浪の荒いところでもありますが昔は砂浜がかなり広く出ており、昆布の好漁場として数戸が漁を営んでいたのですが、海岸の浸蝕がはげしくて現在では誰も住んでいないそうです。
道道から獣道状の道路がありましたが、50m歩くと その痕跡もなくなり海岸線に出られます。しかし道なき道を進むため、かなりの勇気と装備が必要そうです。

この「ソンテキ」「はつむてき」って呼びたいのは私だけではないですよね!!絶対そのほうがいいと思うんですが、、。
ソンテキ
 道道から早速獣道になります。  わずかな車幅の跡もすぐなくなります。 200m歩いて挫折しました。  

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