釧 路 の 難 読 地 名 を訪 問しちゃいました その2 | ||
13 | 入境学 | アイヌ語での意味 | 流木の集まる川(下流に向かって流木が集まる沢) | |
元々は「ニコオマナイ」が語源と思われます。アイヌ語で考えてみると、「ニ」は流木、「コ」は〜に向って、「オ」は下流、「マ」はへ、「ナイ」は沢となりますので、下流に向かって流木が集まる沢と解釈するのでしょうか。「ニコオマナイ」が変化して「ニコマナイ」になったと考えられます。 しかし、今までのアイヌ語の語句にそれぞれに漢字があてがわれているのですが、ここでは「二」と「コ」が併せて「ニコ」となり「入」となったのでしょうか?それに、「ナイ」が使われているのですから「入境内」と呼ぶのが普通だと思うのですが、もしかしたら「学」の一文字で「マナイ」とあてがっているのか。それならば「入」が「二」であり、「境」が「コ」となり、実際には判らない所です。 道道から別れた枝道は延々と続き最後には小さな集落が点在していました。 でも、、、どうやっても「にゅうきょうがく」としか読めないっす!思いっきり譲っても「ニュウキョウマナブ」かなあ? |
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ニコマナイ | ||||
意外と看板の場所は見にくかったです | 結構立派な道路が海まで続きます。 | こんな感じで延々と続いてました |
14 | 賤夫向 | アイヌ語での意味 | 樹木の少ない山(はげ山で剣のような尖った山) | |
元々は「ケプネネップ」が語源と思われます。アイヌ語で考えてみると「ケプネ」がはげ山、「ネップ」が剣となりますから、はげ山で剣のような尖った山と解釈するのでしょうか。「ケプネネップ」が変化して「セキネップ」になったと考えられます。 ところで、この地に和人が住みついたのは明治30年代といわれ、当時は沃度(ヨード)製造工場もあった。沃度とは 私たちの生存、成長に不可欠で、人体の必須元素であり、また肥料の原料にも使われました。昭和16年9月の豪雨により背後の山が崩れ、数戸が一瞬にして押し流され、海岸の浸蝕も作用して離村が相次ぎ現在では誰も住んでいないそうです。 道道である北太平洋シーサイドラインには、大きな展望台を兼ねた駐車場があり、アイヌ語に表記されるような断崖絶壁が見渡すことができます。 それにしても、、、「ぜにふむかい」って読んだ私は何だったんでしょうか?実に恥ずかしい!いや、、、読めなくて当然か! |
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セキネップ | ||||
15 | 分遣瀬 | アイヌ語での意味 | 水が滝となって落ちているところ(水が滝となっていくところ) | |
ここの地名は諸説あるそうです。が、その中で「ワッカチャラセ」が有力と思われています。 アイヌ語的には「ワッカ」が水、「チャラセ」が滑り落ちるとなりますので水が滑り落ちる〜水が滝となっていくところと解釈すればいいのでしょうか。「ワッカチャラセ」が変化して「ワカチャラセ」になったものと考えられます。 周囲は何もなく、、、滝となる川があるのかは確認できませんでした。 どう考えても「ぶんいせ」って読んじゃいませんか?私だけじゃないはず、、、。 |
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ワカチャラセ | ||||
16 | 円山 | アイヌ語での意味 | 特に意味はないようです | |
難読地名のはずなのに、、、、ここだけは状況が違って、何も意味をなしていないようです。単に、釧路町での一番高い山が「円山」であり、その地名を明記しただけのようです。(ならば、わざわざ こんな看板用意する必要もないでしょうに!!) 釧路町で一番高い山「円山」ですが、標高は205mほど、、、。これが高いか低いかの判断はできませんが、ちょっと無理があったかな? 看板のそばに、細いダートがありますが、とっても怪しい道でした。その道が円山に繋がっているのだと思われます。円山には電波塔があって、そこへのアプローチになっているのでしょうか。うっそうとした森のような感じでした。さすがの私も断念しました。 さすがに何度も難読で食らってるので、、、「エンザン」って読むところでした、、、。 |
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マルヤマ | ||||
17 | 老者舞 | アイヌ語での意味 | 川尻に倉のような岩があるところ(川尻に倉のような山があるところ) | |
元々は「オサマッキプ」が語源と思われます。アイヌ語で考えてみると、「オ」は川尻、「サマッキ」は横の山、「プ」は倉庫となるので、川尻に倉(倉庫)のような山(岩)があるところと解釈するのでしょうか。「オサマッキプ」が変化して「オシャマップ」となったと考えられます。 看板から集落までは沢伝いに、舗装された道路を延々と下って行った先にあります。入江には比較的集落が多くあります。入り江に大きな岩があり、厚岸湾の大黒島に似ているところから大黒岩と名付けられています。この老者舞というところには、倉、大黒、老者舞 等の縁起のよい文字が並んでいることもあり、集落の人達も好んでいるようです。不思議な事に戦時中に米軍爆撃機がここの大黒岩を何と勘違いしたのか、爆撃を投下したそうですが、幸い人命や家屋には被害がなかったんだとか、、、。 そうは言っても「ろうじゃまう」ってどうしても読みたいっす!私としては、、、。 |
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オシャマップ | ||||
何気にある看板ですが、読めない、、、。 | 看板の場所は判りやすいです。 | かなり先まで延々と下り坂が。 | 久しぶりにコーラの販売機を見ましたよ! |
18 | 知方学 | アイヌ語での意味 | 川口に魚がたくさん集まるところ(魚が入る沢) | |
元々は「チェプオマナイ」が語源と思われます。「チェプ」は魚、「オマ」は入る、「ナイ」は沢となるので、川口に魚が入って行く沢と解釈するのでしょうか。「チェプオマナイ」が変化し「チポマナイ」となったようです。でも、、今でも「チッポマナイ」って読むのが正解らしいのですが、、、。 知方学地区は、この先の尻羽岬に向かう途中にあり比較的大きな集落があります。学校もありました。そして、この近くには「高見」という地区があったそうです。その先には高見の崎ってのがあったそうですが、崩落により、民家も移転し面影がないと言うそうですが、どこが高見地区跡なのかは判断できませんでした。 そうは言っても素直に「ちほうがく」って読みたくなると思いませんか? |
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チポマナイ | ||||
高台にも集落や学校があります | 何気に尻羽岬の案内があります。 | かなり先まで延々と下り坂が。 | 終点は小さな入り江になっていました。 |
19 | 去来牛 | アイヌ語での意味 | よしの群生しているところ(葦が群れて生えているところ) | |
アイヌの言語で考えてみると、「サル」は葦(よし)、「キ」は群れ、「ウシ」は生えるとなりますので葦が群れて生えているところと解釈できます。久しぶりに漢字と発音が一致した感じがしませんか? 看板のそばの細いじゃり道を降りて行くと海岸線にでられるらしいのですが、昆布干しの広場くらいしか見渡せなかったので、引き返してきました。尻羽岬へ向かう途中であるだけで、周囲は何もありませんでした。 かなり譲って「さるきうし」って読めますよね!もっとも私は「きょらいうし」って読んだ方ですが、、、。 |
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サルキウシ | ||||
20 | 尻羽岬 | アイヌ語での意味 | 海中につきでている山の瀬(海から出ている山の頭) | |
元々は「シリパ」が語源と思われます。アイヌ語で考えると「シリ」は山、「パ」は頭となるので、付近を見るに、海から出ている山の頭と解釈するのでしょうか。岬は現代語ですので、それを加えて「シリパミサキ」が変化して「シレパミサキ」となったと考えられます。 尻羽岬は厚岸湾の南岸に位置し天気が良ければ眼下に大黒島や愛冠岬が一望できそうです。しかし私が訪問した際は、濃霧がひどく、看板を発見するのも苦労しました。 去来牛方面から広いダートを5kmほど走った終点に駐車場らしき広場があります。そこから歩いて30分弱で岬に到着できます。ただ、濃霧が酷い時は自分の歩いてきた方向を判るように目印を置いて歩いてください。周囲は無数にあぜ道があり、迷ったら とんでもない方向に行く可能性があります。私もあやうく遭難しかけました。 何かな〜「しりぱみさき」って読んだ方がスタンダードじゃないかな?って思ってはいけないですかね? |
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シレパミサキ | ||||
こんなダートが5kmくらい続きます。 | 終点の駐車場からダートを見ています。 | 一応トイレが設置されていました。 | 濃霧の中一人で心細かったです。 |
※ | 別尺泊 | アイヌ語での意味 | 川が乾く船着き場 | |
アイヌ語で考えてみると「ベツ」が川、「シャク」が乾く、「トマリ」が船着き場、湾となりますから、川が乾く船着き場と解釈するのでしょうか。川のない湾とも捉えるかな?「ベッシャクトマリ」となったと考えられます。 この地区は道道からのアクセスが無く、行けてません。当然集落はないと思われますので地名を表記するものは発見できませんでした。 ちなみにここも「フクロウ君」はありませんので、番号表記はしていません。 でも、、、素直に「ベツシャクトマリ」って読んでいいのか、、、良かった! |
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ベッシャクトマリ | ||||
21 | 古番屋 | アイヌ語での意味 | 川下の陸岸が丘になっているところ(川下の沖が丘になった) | |
元々は「フルパンヤ」が語源と思われます。アイヌ語で考えると、「フル」は丘、「パン」は川下、「ヤ」は沖となり、川下の沖が丘になったと解釈するのでしょうか「フルパンヤ」が変化して「フルバンヤ」となったと考えられます。 昔は陸岸もかなり広く、徳川幕府の保管庫や会所・駅逓所がここにあったそうです。この古番屋にはアイヌの砦の跡があり、ここから対岸の厚岸まで船で往来していたらしいです。明治から大正にかけ湾内ニシン漁が盛んな時はここに大きな漁舎があり、その杭跡が今でも海中に残っているんだとか。 現在では細いダート道があるのですが、途中で通行止めになってしまい、この先に何があるのかは判りません。 でも、、、久しぶりに普通に読めたっす!バンザイ! |
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フルバンヤ | ||||
道道からの枝線そばに看板はあります | 快適なダートが続きます | 突然の旗でとうせんぼ |
22 | 仙鳳趾 | アイヌ語での意味 | 小魚のたくさんいるところ(小さい魚のいる所) | |
元々は「チェプポウシ」が語源と思われます。アイヌ語で考えると「チェプ」は魚、「ポ」は小さい、「ウシ」は〜の所となるので、小さい魚のいる所と解釈するのでしょうか。「チェプポウシ」が変化して「センポウシ」となったと考えられます。
明治期のこの地はニシンが地曵網でかなりの好漁をみせたらしく、湾一杯ニシンだらけであったそうです。そして明治後期になるとサケ定置網も行われ、昭和初期まで、ニシン、サケなどの漁場で栄え、往時には病院・宿屋などもあり、又仙鳳寺で旬会が催されたという記録もあり単なる漁場だけでなく、文化的な雰囲気が感じられます。 現在でも静かながら広い集落と学校などがあり、厚岸市街まで比較的短時間で移動できる場所です。 しかしながら、、、どうしても「せん、、、、なんとか、、、」いや、、読めなかったっす!私は |
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センポウシ | ||||
看板そばには住宅が点在します | 冒頭の看板はここ仙鳳趾にあります | 静かなんですが、住宅街って感じでした |
※ | 重蘭窮 | アイヌ語での意味 | 船をおろすところ | |
元々は「チップランケウシ」が語源と思われます。アイヌ語で考えてみると「チップ」が船、「ランケ」がおろす、「ウシ」がところとなりますから、船をおろす場所と解釈するのでしょうか。「チップランケウシ」が変化して「チプランケウシ」となったと考えられます。 この地区は道道沿いにあり、小さな集落があります。しかしながら、アイヌ語の意味となる「船をおろすところ」となる入り江は発見できませんでした。現在ではテトラポットがあり、船をおろす場所は無くなってしまったのかもしれません。 ちなみにここの「フクロウ君」はありませんので、番号表記はしていません。 でも、、、「じゅうらん・・・なんとか」ってどうしても読めないっす! |
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チプランケウシ | ||||
いかがですか?結構面白いでしょう!! 釧路から厚岸までは、内陸の国道44号線を通れば1時間弱ですが、海に近い道道142号線(通称 北太平洋シーサイドライン)経由でもストレートに走れば2時間もかかりません。 しかしながら、「ふくろう君」の看板を全部探すとなると、多分半日、、、。私のようにほとんどの枝線を走破したりすると、ほぼ1日かかります。 目に付いた場所だけ見てみるってのも、面白いかもしれません。それぞれの目的に合わせて、走ってみてはいかがでしょうか? ただ、道道142号線は海岸線に沿ってはいるのですが、思ったほど海は望めません。比較的内陸の高度のある場所に建設されたからでしょう。一番海が望める場所は、賤夫向(セキネップ)の駐車場くらいだと思います。 時間があれば、是非訪れてみてほしいです! |
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