キリスト教には、「善き サマリア人」 という言い伝えがあって(ルカによる福音書の一部)、 「報酬を期待せずに善意で人を助けようとする心」 を 称して、「善き サマリア人」、と呼びます。
アメリカでこの言葉は、応急手当をした結果がどうなろうとも、救助者は法的にも訴追を受けない 日本でも、応急手当をたくさんの人に 活発にやってもらおうとして施行された、「緊急避難」
という法律がありますが、
日本では、北国での雪の降る真冬でもない限り、道端で倒れている人が放置されても、「死ぬ」ことはないのかもしれません。 外国から来た私の友人たちの何人かは、突然街角で倒れたり、うめきながら うずくまったりする人を見かけても、 私は、外国から来た友人たちに、こんな風に説明(言い訳?)しています。 と。
言い訳っぽいのは承知でしたが、冷酷なのではないと思いますし、 大切なのは、「勇気」だと思います。 「注目」 を浴びるストレスをはね返す勇気。 とりあえず、肩に手を当て、「どうしましたか?」。 「誰か、駅員さん(施設の管理者)を呼んできてください。」。 「しっかりしてください。今、駅員さんが来ますから。」 たったこれだけでも、充分人助けなののだ、という とてもシンプルな考え方 ! 善意にも 「勇気」 が必要になるのは、おかしな話ですが、それが現実。 そして、「勇気」 は さらに、自信から生まれます。 手当ての初歩でも知っていれば。
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