第5回歌仙     

〈芭蕉の芽立ち〉    南斎プラス衆判

           座:風人連句会
           連衆:太田代志朗(改メ花蹊庵)、越智未生
               草、夫馬南斎、長谷川冬狸、湊野住
               落合玲、森山深海魚、高井朝子
           於 :(発句〜表3句)
               新江戸川公園松声閣(2004年3月7日)
                  :(4句〜ウ5句)
                       (5月8日)
                  :(ウ7句〜ナオ3句)
                 小石川後楽園涵徳亭(7月11日)
                  :(ナオ5句〜ナウ1句)
                         涵徳亭(9月12日)
                  :(ナウ3句〜挙句)
                               涵徳亭(11月21日)
                      

発・春   きさらぎや芭蕉の跡*1のうれしさよ  太田代志朗
脇・春    芽立ちしづかな夕映えの中      越智未生草
第三・春  春昼にジャンボ機三機飛び立ちて   夫馬 南斎
雑       ビジネスマンが額(ひたひ)で電話す*2 湊  野住
月     今買った傘を忘れて月笑ふ       長谷川冬狸
秋       秋時雨なり 急ぐ総会            南
ウ 秋    色鳥を集めて王はカラスとて       落合  玲
恋呼      引退前の悲劇のマリア*3           野
恋     タニマチが席から送る秘密の目         玲
恋       疲れてしまう君の情熱(パッシオン)          未
雑     おだ上げる執筆(しゅひつ)*4の脇で日が暮れて  野
雑       「家路」ひびきて子のかなしくも   高井 朝子
夏     梅雨晴れに行き交ふ人や投票所        南
夏月     浴衣姿に連いてくる月             冬
雑     飯田橋ぬき足さし足しのび足           野
雑       特養ホームでそっと手を振る         代
花     伝へてよ老ひざらめやも花なれば        代
春       春の舞台の襲名披露             冬
ナオ春    モンゴルの鞦韆(しうせん)揺れて朝青龍     南
雑       イル汗国は今イランです            南
雑      串焼にウインナも刺すわが家にて       冬
雑       乾杯と笑む女わけもなく            朝
雑     「負け犬」*5と呼ばれてからが蜜の味      玲
冬       送り狼 部屋に居座る             野
冬     隙間風 亭主を盾にしのぐ夜           玲
雑       大坂城を兵らが囲み              冬
雑     城跡は今やデビューのドッグショー*6      南
雑       浴びて踊れよスポットライト (代志朗改メ)花蹊庵
月     鯉を煮て「月光」を弾く僧のあり          野
秋       半殺しにし萩もち作る              冬
ナウ秋    こうりゃんの地平線までや偽(ぎ)満州*7     南
雑       特務機関にすべてを託す      森山深海魚
雑     マッチ擦れ正午の時計テロリスト         蹊
雑       春の浦安 鐘が鳴るなり             野
花     埋立ての街を癒して花あかり            冬
挙句      翁の毫(ごう)に鳴く百千鳥            南



       註1:新江戸川公園一帯は芭蕉翁ゆかりの神田上水沿いにあり、隣地は関口芭蕉庵
       註2:近ごろ、骨伝導スピーカー付きケータイなるものが登場した。
       註3:オペラの女王マリア・カラスのこと。
       註4:この日の執筆役・未生草さんが酩酊し、専横ぶりを発揮した。
       註5:30代・独身・子なし・職あり女性たちのこととか。
       註6:いわゆる公園デビューの犬のこと。その付き添いを生き甲斐にする人もいる。
       註7:中国では旧満州国のことをそう呼ぶ。
           



  2004年 3月7日起首
   同年 11月21日満尾
  2005年 1月4日最終治定

         (下に解題および連衆の総括・感想あり。冬狸さん、代志朗さん、玲さん、朝子さん、野住さん、深海魚さん)
                    



第5回歌仙の方針

 前回に引き続き、座の例会中心に行います。風人連句会も開始以来ほぼ丸2年、すでに5回目となりました。レベルアップおよび式目習熟のために、宗匠が指導しつつ連衆による衆判(合議制のこと)とし、近い将来には連衆持ち回り捌きの体制に持っていく予定です。

 衆判は座でなければ不可能です。また、連句は捌きを経験しないと真の味わいは分らず、また習熟もありません。
 よって、進行役の執筆(しゅひつ)も当番制とし、オンラインは主として発表の場とします。

 したがって、例会分については簡単な解題を私が書き、オンライン時の治定も今までより簡略化します。

 また参加者も前回に引き続き、 @中級者(例えば経験1年以上) A言葉や絵、映画、音楽など創造活動に携わる人、B文学研究者 などと限定させていただきます。

 むかし経験はあるが、式目等を忘れかけている、あるいはよく知らないといった人は、何か参考書を1冊程度は読むなりするか、またはこのHP上の第1回「オンライン連句」時の案内や第1回分の作品と治定第2回分の作品と治定、そのほか過去の分の作品と治定などを読み比べて下さい。

 それによって、おおむねの式目、作句のコツ等も分ると思います。式目部分は赤字・太字にしてあるので、そこだけ見て下さっても結構です。治定・解説はぜひきちんと参照して下さい。
 参考書や歳時記の案内も書いてあります。
 
 なお、初めて参加される方のための若干のルールもあります。それもぜひ一読下さい。


 なお、今回は仲春を起句とする平均的な進行形式を用いることにしますので、その進行表を下に記します。この通りに進むとは限りませんが、おおむねこういった形で進行させる予定です。
表6句発句名残の表折立

脇・月 (ナオ)二句め

第三
三句め

四句め
四句め

このあたり
で恋だす
五句め冬・恋

折端
六句め冬・恋
裏12句折立
七句め雑・恋
(ウ)二句め
八句め雑・恋離れ
このあたり
で恋だす
三句め雑・恋の呼出し
九句め

四句め雑・恋
十句め

五句め雑・恋
月の座

六句め
折端

月の座名残の裏折立

八句め (ナウ)二句め

九句め
三句め

十句め
四句め雑または春

花の座
花の座

折端
挙句



深海魚さんの総括・感想(05年2月14日)

夫馬先生

ご無沙汰しております。
ご連絡もせず、すいません。
連句会の方も、休止とのことで少なからず責任を感じております。
昨年の後半は、いろいろと様々な事情に追いまくられて会の直前に
なるまで出席できるかどうかわからん。という事態の繰り返しでした。申し訳ありません。
歌仙のページも久しぶりに拝見いたしまして、感想をお待ちいただいていたことも知り、恐縮です。

第五回歌仙の感想(ここに書くのが適切かどうかわかりませんが)

この回は、ひとことで言って島尾敏夫的世界です。
芭蕉の跡のうれしさよ で始まりますが、「跡」が「うれしい」というなにか寂しさを感じる始まり、「芽立ち・静か」と来て、ジャンボ機は旧羽田空港でしょうし、ビジネスマンの電話もダイアル式の赤電話ではないでしょうか、前半で最も島尾的なのが、「今買った傘を忘れて月笑う」ところですよね
総会、マリアカラス、タニマチ、大相撲も白黒テレビです。
日暮れ、家路、梅雨、投票所、子供らはみな戦後やっと一息ついた昭和30年初期の風景に見えてしまいます。

飯田橋駅で出征の見送りをされて、モンゴル方面に派兵されたのでしょうか、同僚は胡桃沢耕史なのでしょうか
ショーのスポットライトは、この物語の主人公を不意に空しいものにします。
毒々しい赤い色をしたウィンナーを子供らは、喜んで食べていますが、そういえば愛人の○子もそうだったな、とふとあの女のところに行くのも、この借家の家庭にいるのも、寒風吹きすさぶなかモンゴルの砂漠で斥候として騎馬を駆るのもみな、私には、同じつまらないことのように感じられるのであった。

そこで私は我慢ならずまたふらふらと家を出て、お茶の水駅の方にさまよい出てしまった。
駅の周りでは、得体の知れない淡水魚を鯉こくと称して出す店や、浮気癖のついた旦那を半殺しにしたという餅屋のおかみや、おかまのシャンソン歌手のいるバーをひやかして、私はふと一人の勤労青年が、獰猛な猫科の目をしてじっと聖橋の欄干をみつめているのに気付いた。そのとき急に私はその全てを一気に了解した。「彼も一介のテロリストである」と、また、そうでなければならないはずなのであった。彼がふいに振り向き、彼も私が自分の正体に気付いたことを了解した。実際に時間にして5秒ほどであったろう、お互いに目線を合わせたまま、いやな汗が背中に吹出してくるのがわかった。

彼が急に走り出したとき、私はなぜか彼を追ってしまった。「まってくれ、誤解だ。僕は君の見方なんだ。だって丸善は、すぐそこじゃないか!」必死で追いかけてみたものの、私の日ごろの怠惰がたたって、自分で思っているほど走れないのだった。
ゼイゼイ息を切らせて、うずくまり辺りを見まわすと、そこはいつのまにか、帰化植物の繁茂する埋めたて地のまっただなかに、ひとりとりのこされた。
そして今まで全くの無音であったはずなのに、私の頭蓋の芯にまで徐々に何か、何かの音がやって来た。

それは、もやった春の空から、1羽の鳥の姿もみえないにもかかわらず、鳴り響いている百千鳥の声なのだった。

感想は、以上です。
また、いつかお会いできるのを楽しみにしております。



最終治定(05年1月4日) 夫馬南斎

 ずっとあと二人の感想を待っていましたが、今日になってもないので、締め切ることにしました。
 改めて見直してみましたが、直しはありません。よって、これで最終治定といたします。第5回歌仙、まずは首尾一貫、というわけです。

 本当は「無事首尾一貫」と書きたかったのですが、書こうとしてそうは言えないなと気づき、「まずは」としました。思わぬ事情で辞めた人あり、出席者も縮小傾向になり、やむなく休会としました。残ったのはもともと小生の旧知の人たちばかりでした。

 いささか残念ですが、まあ時の流れというものかもしれません。それに、オンラインで出発した会の、ある種の脆弱性というものも多少感じます。ウェッブは便利で新たな可能性もあるものですが、人間関係としてはどこか希薄なものかもしれません。

 今までの句のなかでも何回かウェッブを話題にしたものが出ましたが(集団自殺のものまであり)、なにやらインターネットとかそこを通じての人間関係には、皆、手探りのままだったのかもしれません。

 が、しかし、私は別にそう悲観もしていません。また新たな展開があるさ、と信じています。
 再編再開を、皆さん祈っていて下さい。では、それまでしばしさようなら。



総括・感想(12月25日) 湊野住

 夫馬南斎先生

 大変遅くなり、すみません。最後の例会が終ってから何日もかけて感想を書いたり
消したりしていたのですが、途中で学校の定期テストなどがあって、なかなか出せず
におりました。いつものとおり物語形式で感想を書いていたのですが、途中何度か中
断したせいか、あまり面白くないので、今回は止めにしました。これでしばらく巻け
ないのかと思うためか、今回の歌仙を改めて見ますと感慨ひとしおで、いろいろなこ
とが思い出されてきます。

 ニヶ月に一度の集まりを楽しみにして嬉しげに始まる発句。静かな中にも、少しで
も面白い展開にしようと、旅客機が飛び立つような勢いが感じられます。芝居好きの
人、物忘れに苦笑する人、激しい情熱に縛られて疲れてしまう人……、様々な人が現
われます。「おだ上げる執筆」に驚き呆れ、欠席者を「ぬき足さし足」で出てこない
かしらと待ってみたり。愛犬自慢したり、まだまだ若いものには負けないと意気込ん
でみたり。歌仙の半ばに「襲名披露」もありました。今回のこの歌仙自体が風人連句
会そのものを表現しているようにも思えます。モンゴルやイラン、満州なんて遠い外
国までは行かないまでも、山形・上山温泉に行ったこともありました。

 連衆それぞれの事情があり、会の縮小化が始まって、ここ最近の例会は会の存続に
不安を感じることもありました。既に何人もの連衆がおっしゃるように、私にとって
も連句会は楽しみの一つでした。先生始め多忙な連衆にとっては「埋め立ての街」の
「花あかり」にも似た存在なのではないでしょうか。しばらくは休会とのこと、いつ
か新連衆を迎えて新たに始まる風人連句会はどんなものになるのでしょう。これから
も風人連句会が挙句のように和やかで楽しい一座でありますように。一日も早い再開
を心待ちにしております。

湊 野住 



総括・感想(12月16日) 高井朝子

 夫馬宗匠様

 第五回歌仙、満尾おめでとうございます。

 連句は共同でつくる詩というのなら、どんな人の視点がそこにあるのでしょうか。

 芭蕉の跡、夕映えの中にたたずむも、現実は忙しいビジネスマン氏。時は春から秋へと流れ早や夏に。浴衣姿の艶やかな女も今は特養ホームに住むという。とはいうものの「強き者汝の名は女」昨今のペットブームも女性が支えています。だって若い頃は、スポットライトを浴びて踊り明かした体力ですもの。

 一転ながれる月光の曲、食欲の秋のはじまりです。そして思いは中国残留孤児に、国策に踊らされた庶民のかなしさでありましょう。今も誰かが何かを企んでいます。

 更に時は巡り春、百千鳥の鳴き音を聴いているのはかのビジネスマン氏です。

 と、このビジネスマンの視点でしょうか。宗匠よりはお若い40代半ばかと想像しております。この会の平均年齢は、お若いおふたりの女性の存在でそのあたりかと。

 この次こそ、この次こそ出席したいと、思い続けておりました。しょっぱい川(津軽海峡)は依然としてブラキストン線であります。飛行機で日帰りもできる昨今ですが、懐がさみしくてはままなりません。末子が大学在学中に必ず出席するぞ、と決意しましたところに休会のお知らせ。大変ショックでした。

 お願いがございます。以前のようなWeb句会をお考えいただけませんでしょうか。



感想(12月10日) 落合 玲

 今回の「芭蕉の芽立ち」は、前半、色彩豊か、後半、食い気豊かな巻でしたね。
 そして、全体的に、句を作った方たちの、茶目っ気が前面に
出たようで、大変面白く感じました。
 一方的な感想ではあるのですが、参加した人たちの飾らない
気持ちや、実は、こんな一面があるのか、という発見にあふれた
巻でした。

 そして、風人連句会、しばらくお休みとのこと。
 私は、第3回から参加させていただいたので、
ちょうど、いろいろと面白くなったところでもあり、
正直言って、とても残念でした。新婚旅行から
帰ってくる途中、シンガポールのフリーインターネットで、
メールチェックして、このことを知ったのですが、
彼からも「どうしたの?」と言われるくらいの落ち込みよう
でした(苦笑)。
 細かいライター仕事はしていても、純粋に創作的な
活動というものは、皆無に近い状態でしたので、
例会に伺う度に心から翼が生えるような、伸び伸びと
した気持ちを味わったものです。ただ、皆さんは、もう、
5回目でいらっしゃるわけですし、先生のお気持ちも、
なんとなくわかるような気がします。
 ここは、ひとつ、おやすみかー、と落ち込むのでなく、
新しいメンバーと出会うまでの充電期間、と思うことに
いたします。また、お会いできることを楽しみにしております。



感想(11月27日夜) 太田代志朗

 きさらぎから初冬へーー第5回歌仙・感想

第5回歌仙を巻き終わることができました。

・きさらぎや芭蕉の跡のうれしさよ

新江戸川公園松声閣は関口芭蕉庵の近く、そこに社中の俳士が集うことは何とうれしいことでしたか。
南斎宗匠の指導を得、わが駄句、凡句もさりながら、回を重ねるたびに深まる月並句合も談論風発。
時には若い野住、玲さんの迫力に押されつつ、それをしも天涯の交わりとしながら、私はいつも下京の
雪の夜とか、江戸深川の座敷の賑わいに、幻の風雅の道を辿っていたのです。

風人連句会は私にとって、無上の”たのしびぐさ”でした。
「芭蕉の芽立ち」も、”ただ心の適するにしたがう”面目の一巻。
そして、花が舞い、青嵐が荒れ、紅葉が散り、時雨て、時が流れました。「休会」はまさに”心物うく打ち
過ぎ候て”、ですが、2年半にわたる連句会、ほんとうに楽しうございました。
連衆との楼酒老骨にしみ、なおも遊子風韻を辿るべく思っているところです。
ありがとうございました。



感想(11月27日) 長谷川冬狸

 夫馬宗匠様

 第5巻まで参加させていただき、ありがとうございました。ご指導に深く感謝申し上げております。遅くなりましたが、感想をお送りいたします。書きたいことはいっぱいだったのですが、それゆえ(?)こんなものになってしまいました。

 風人連句会の第5巻を巻き終わりました。この巻は、代志朗さんの発句、未生草さんの脇、宗匠の第三と、三役揃い踏みとも言うべき豪華な顔ぶれで幕を開け、百花繚乱の展開が期待されました。しかし、花には嵐がつきものなのか、終わってみればしばらく休会ということになってしまいました。

 さて、感想です。

 この巻も、当連句会のシルバーメンバーが、野住さん、玲さんの20代コンビに負けない感性を発揮して、大事なところで牽引してくれているように感じられます。(もっとも、20代コンビが、いわゆる「今の若者」では括れない、博識な乙女たちであるために、シルバー連衆に合わせてくれているのかもしれませんが。)

 しかし、連句はやはりある程度の人数がいないと、ドキドキ感も薄いし、思いがけない転回も少なく、技術的には上達しても達成感は希薄になります。第5巻まで参加させていただいて、連句に「慣れ」は禁物ということを学びました。また、様々な人生を体験した人がいてこそ味わい深い作品になるのだということも…。

 今回は、私が「月」を2つもいただいてしまいましたが、これもメンバーが少なかったせいでありましょう。新生「風人連句会」がどのようなかたちになるのかわかりませんが、魅力的なメンバーがいっぱいの楽しい会になることを祈っております。とは言うものの、最後にもう一度、全員で会いたかったですねえ。

 さよならだけが人生ではないことを信じつつ、宗匠はじめ連衆の皆さまにありがとうを言いたいと思います。
                                                                                                                         長谷川冬狸



解題(11月21日) 最終日の付け

 本日、涵徳亭にて第5回歌仙最終日を迎えた。ナウ2句目はメールにて深海魚さんが付けていたので、3句目からである。

 3句目: 「マッチ擦れ」は、特務機関から派遣された、あるいは某国特務機関に対抗するテロリストの単純な合図ともとれるが、寺山修司のかの名歌「マッチ擦るつかのま海の霧深く身を捨つるほどの祖国のありや」を想起させる。テロリストとも照応するし、本歌取りと考えた方が深みが出る。
 パレスチナかイラクかどこぞの、命をかけたテロリストか。さては稀代のロマンチスト代志朗さん改メ花蹊庵さんはテロリストに身を改めたのだったか。となると場所はひょっとしたら北朝鮮がらみ?

 4句目: と思いきや、場所は野住君によると浦安のディズニーランドあたりとか。とにかく人混みをねらっての無差別テロ、しかし場内からは楽しげな西洋ベルの音が…。平和そのものだ。

 花: その浦安や湾岸界隈は一方で埋立ての街。ディズニーランドから少し離れれば、荒涼たる、あるいは無機的そのものの街が続く。
 しかし、そこには樹齢はまだ若いが、でもすでにそこそこに伸びた桜があちこちに咲いており、夜の街路にほの白い花明りを投げかけている。今ぞ求められている「癒し」がそこにある、というわけでしょう。
 ある種の時事句ともいえます。

 挙句: と、ここまで順調に本日の出席者のなかなかの秀句続きとあれば、宗匠たる身も何とかかっこよく納めねばなりますまい。そこで発句の芭蕉に照応して翁の、仏の白毫ならぬ眉毛から垂れ下がった2,3本ほどの毛に幾百千の小鳥が寄ってきて、楽しげに春を楽しみ寿いで鳴き交わしているという次第。
 いやあ、めでたい、めでたい。偽満州もテロリストも北朝鮮もすべては憂き世のよしなしごと、翁とともに我ら連句人は軽みの世界に遊ぶのです。

 というわけでした。まずは上々の仕上りと自画自賛したいところですが、むろん簡単にそうはいきますまい。今日は不参加の連衆もあれば、今日の御当人連自身も時間をおき頭を冷やせば、違う思いも浮びましょう。

 そこで、例によって、全体の総括・感想を関係者全員に求めます。どんな形ででも結構ですから、近日中に私宛メールで送って下さい。
 それらが出そろったところで、じっくり最終治定をしたいと思います。
 では、早めの総括を!



解題(9月20日) 深海魚さんから付け

 表記の通り、森山深海魚さんから付けが届きました。彼は今回の第1回には参加していたのに、句の採用がないまま欠席続きとなっていたもので、これでホッとしました。
 付けも次が楽しみになる、なかなか面白いものです。



解題(9月11日)

 涵徳亭2回目の今回は、玲君が新居を構えて一月目、新妻の勢いを持ってさっそうと走り出しました。

最初の句:「負け犬」は目下ベストセラーという酒井順子『負け犬の遠吠え』から取った、註5のような女性のことだそうな。成程ねえ。しかしそういう玲君はまだ27歳のホヤホヤの新妻のはずなんだが。

冬の句:犬ときたから狼、むろんこれも人間のこと。なかなかうまい付けである。こういう居据わりを歓迎する女性もいるのかしら。

冬2句目:というのはすぐ玲君がこういう句を付けるからで、なんだかその男と所帯を持っちゃった女性が、早くも男をいいように扱っている気配。まこと若い女はこわい。

:盾から戦、それもひょっとしたら千姫と秀頼を揶揄っているのか。

:一転、戦場も今は平和な世となり、城址公園などというところではもっぱら犬の顔見せ会が毎日のようで。スバルとかアンとか愛らしき名の犬たちが次々現れ、人間たちも眉毛が下がる。

:それは私です、さあスポットを。愛犬に殉じて私も名前まで変えました。スバルは永遠です、花の小径はどこまでも。

:そういう純な人もあれば、生臭坊主もあり。「鯉を煮て」は、当初「豆炊いて」でしたが、以降「萩もち」「こうりゃん」と植物続きとなるので、生臭の方がよろしかろうと衆議一決、こうなりました。これも釈教

:「半殺し」は、おはぎを作るのに餅米を完全には潰さず、半叩き状にすることを言うそうです。前句とうまく付いて面白い言葉になりました。

ナウ:今夏中国東北へ「旧満州国の旅」に行ってきた作者こと私は、満州国はおろか、「満州」という地名も「満州族」という民族名ももともと存在しないことを初めてはっきり知り(満族という言い方、満州里という町はあった)、どこでも言われる偽満州国という言い方に、ひょっとしたら「欺瞞」という言葉はここから出たかと思ったほど。
 それにしてもかの地は広かった。地平線というものも、本当に実感しました。

 というわけで、今回は9句止まり。どうも勢いが弱いのは深海魚さん、未生草さんらが来ないせいでしょう。若い女性に席巻されぬためには、中年男たち、奮起せよ。
 次回は11月です。



解題(9月2日)

 札幌の朝子さんから付けがありました。

  乾杯と笑む女に理由(わけ)なく       朝子

 「理由なく」がどうもこなれが悪い。で、表記のように直しました。
 札幌のビアホールは8月13日でもう終りだそうです。



解題(7月12日)

 新江戸川公園から場所を変えて初めての後楽園涵徳亭は、風情のある床の間付きの和室でした。太田蜀山人の拓本が掛け軸になっていました。

 そこでの最初の句: 「投票所」のことば通りこの日行われた参議院選挙の時事句です。投票率は思ったより良かったと言うべきか悪かったのか、わたくし南斎が朝方行った投票所はわりあい賑わっていました。天気も午前は猛暑、午後からは小雨ぱらつき、涼しくなり、投票日和ではありました。前句の寂しい感じに対し向い付け(正反対のことを付ける)とも言えます。

 月の句: 本来は前句で月なのですが、そうすると打越の「日が暮れて」にどうしても障ってしまうので、1句こぼし(下げること)ました。
 選挙は夜8時までですから、浴衣掛けの人もあったでしょう。

 雑: 飯田橋は涵徳亭のある場所というだけ、ま、新しい場への御挨拶です。ぬき足さし足の人はさてどなたにして、何を?

 雑: どうやらアルツハイマー病の老人だったか、それともそれを追いかける看護人だったか。あるいはただ単にぬき足に対し「手をふっ」ているだけの付けか。

 花: いずれにせよ、老人となれば、まだ老いてはいないと代志朗さん力み、

 春: ナニ、本物の若者はこういう具合と、華やかな襲名披露です。

ナオ春: そういう和風の華やかさなら、大相撲の日の下開山昇り龍はまさにこの人でしょう。鞦韆はぶらんこ(春の季語)のこと。元来は西域やモンゴルなどで革で作ったものでした。

 雑: このあと野住君の付けをみなで待ったのですが、日頃中国語ばかりの彼女、日本語なかなか出でず、宗匠が助け船です。「汗」の字はハンと読んでもかんと読んでも構いません。

 雑: 串焼はもちろんカバブのこと。日本の我らが家庭はしごく穏やかなものです。

 というわけで、9句まずまずの出来です。今回は未生草さん、玲君、深海魚さんらの欠席が残念でした。次回は9月、ついで11月と先の日程も決まりました。幹事が1年を経て冬狸さんから若手の野住君に代りました。野住君は涵徳亭隣の日中学院生なので、今後は涵徳亭利用が増えると思います。

 では、また次回に会いましょう。



解題(6月9日) 訂正(6月10日)

 札幌の朝子さんから付けが届きました。
 「家路」は防災無線が夕方ながす曲とのことですから、ドボルザークのあの「♪遠き山に日は落ちて〜(?)」の郷愁さそう曲でしょう。

 原句は、

  「家路」ひびきて子の悲しくも

 でした。子が打越の人情にやや障りますが、打越は2人称、子は3人称だからいいことにしましょう(本当は自・他以外の区別は連句にはありません)。連句の人情はさほど厳密にする必要はありません。句次第です。
 また下5の「悲しく」は先に「悲劇」と同じ字が使われていますから、「かなしくも」に変えます。

 札幌では偽アカシアが咲き始め、ポプラの綿毛が舞い、はまなすが咲いているそうです。梅雨はないとのこと。
 朝子さんはプロバイダーで週に4日、お客様窓口担当オペレーターを始めたそうです。



解題(04年5月8日)

4句目:骨伝導ケータイは額に当てて使うそうである。私は知らなかったが、これだと騒音下でもちゃんと聞えるそうで、便利になったものである。さすが時勢に敏感な若い人は違う。

月:一方、年輩は忘れ物が激しい。私もこのところジャンパー、傘と、2度続けて忘れ物をした。上から見ていれば、さぞ滑稽なことであろう。

折端:結語は最初「仲人」としたのだが、打越句に人情が出ていると若い野住君から指摘され「結納」に変更、しかし又しても、それだと恋になりはせぬかと、鋭い指摘が結納を終えたばかりの玲君から出た。さすが恋愛中である。よって、慌ててこう変更した。句意はだいぶ変ったが、総会は会社の総会、マンションの総会など何の総会ととっていただいてもいい。

折立:色鳥(いろどり)が秋の季語。イソップ童話か何かにカラスがなぜ黒くなったかという話があるそうだ。

恋の呼び出し:ところが、驚いたことに野住君はこのカラスをオペラ歌手のマリア・カラスにしてしまった。しかもマリア・カラスは、恋人の富豪オナシスを元ケネディ夫人ジャクリーヌにとられてしまったそうだから、一気に恋の悲劇模様となってきた。

恋:タニマチは相撲や芝居などの大贔屓・後援者のこと。それが座席から芝居役者にどんな秘密の目を送っているのか。今晩の約束か。芝居好きの玲君らしい視線だ。

恋:未生草さんは二次会で聞いたところでは、奥さんと死ななきゃ離れられない仲だそうだ。ははあ、なるほど。

雑:このあと私(南斎)が、「補陀落の海の彼方へ流れゆく」と付けたのだが、と、何を思ったか執筆の未生草さんが強硬に、適切でないと反対。執筆は基本的には進行役で、あとは衆判、つまり合議制であり、意見が一致しない場合は宗匠である私が捌く、という定めなのに、野住君など他の連衆が「補陀落」支持を表明したにもかかわらず、なお反対し続けた。
 どうやら相当酔っていた上に、自らの微妙複雑な積もる思いが重なってのことらしいと、あとで判明したが、私は勢いにおそれをなして我が句を引っ込めた。おそらく未生草さんは、海原の彼方にひとり死を目指して流れゆくのはおのれだと、豊かな想像力でありありとそのサマを想い浮べてしまったのであろう。
 代って、すかさず我が秘蔵っ子・野住君が作ったのがこの句である。実に臨機応変、適切と言えよう。時刻は夕六時半、はや、外は暮れなずんでいた。あとは即、タクシーで高田馬場の居酒屋へ移動し、未生草さんの積もる夫婦哀話となったのである。
 


解題(2004年3月9日)

発句:これは最初「あひまみゆ芭蕉の跡のやよいかな」だったのですが、弥生は歳時記的には新暦では4月になる、3月は如月であると指摘が出、代志朗さんが思案の末こう直したものです。芭蕉との関係は註の通りです。

脇:芽立ちが春の季語。作句の時刻が丁度夕方5時頃でした。

第三:時分を明るい昼に転じ、大きく外の世界に羽ばたきます。「宗匠は発句でなければ第三」の式目にも合致しています。