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古代東国の都とされる上毛野国(かみつけのくに)には、
多くの萬葉歌が残されています。

殊に万葉集東歌には、俳句の季語の様に地名を含む物を好しとした様で、
県内の地名が数多く出てきます。
そこで、県内地名をキーとして万葉集を整理して見ました。
意訳は多様ですので、“読書百遍…”でお願いします。
少しでも詠歌の地を感じて頂く、“心の旅”のために…

=群馬の万葉歌めぐり=
地名リンク
     ⇒
  碓氷  多胡   安蘇   乎度   佐野   新田

  伊香保  久路保   子持山   沢渡   丹生

  可保夜が沼   伊奈良の沼
1.碓氷
   うすい
 東山道の関東平野と信州を結ぶ難所で、防人たちの集合地と考えられています。
 今は高速信越道・国道18号の峠越えの要所にもなっています。
番号 原 文 訓 読
3402  比能具礼尓 宇須比乃夜麻乎
 古由流日波 勢奈能我素悌母
 佐夜尓布良思都
 日の暮れに 碓氷(うすい)の山を
 越ゆる日は 背(せ:夫)なのが袖も
 さやに振らしつ
4407  比奈久母理 宇須比乃佐可乎
 古延志太尓 伊毛賀古比之久
 和須良延奴加母
 ひな曇り 碓氷の坂を
 越えしだに 妹が恋しく
 忘らえぬかも
簗瀬二子塚古墳
 碓氷峠を下った安中市には、多くの古墳が有ります。碓氷川の左岸に有る簗瀬二子塚古墳は、6世紀初頭のもので、11.5mの横穴式の石室を有し、多くの出土物が確認されています。
 市道を隔てた東側に、パネル等を表示した無人の資料館が有ります。

九十九23号古墳
 安中市の北側を東流する九十九川上流の左岸に有ります。石造りの鳥居と祠が有り、愛宕神社としている事から、愛宕塚古墳とも呼ばれます。小規模な古墳ですが劣化が著しく、墳形は確定出来ません。
   (画像:崩落した石室の一部)
 
五料茶屋本陣跡
 一部を中山道と改められた東山道が、平野部に出た所に五料茶本陣が有ります。西国大名の参勤交代などの休憩所として使われたものです。
 構内の一画には、碓氷峠の方向に向けられて、3402番の歌碑が置かれいてます。
碓氷峠鉄道遺構
 旧信越線の遺構です。横川〜軽井沢間に歯車を用いたアブト式鉄路の跡で、トンネルや橋梁が続いています。
 横川駅には、鉄道遺産を展示する「碓氷峠鉄道文化むら」があり、熊ノ平駅まで約6qを「遊歩道アプトの道」とするほか、一部にトロッコ列車を運行しています。 (画像:めがね橋)

山吹の郷 古代まつり
 東山道の碓氷峠越えの麓で、数万本のヤマブキが植えられた公園になっています。
 奈良時代に九州地方や都の防備にあたった防人の行軍を再現した祭りが、山吹の花期に催されます。


簗瀬二子塚古墳: 安中市 簗瀬756−1
九十九23号古墳: 安中市 松井田町高梨子327長松寺のすぐ東
五料茶屋本陣: 安中市 松井田町564−1
碓氷峠鉄道文化むら: 安中市 松井田町 横川407−16
山吹の郷: 安中市 松井田町 横川関長原
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2.多胡
   たご
 古代に“多胡郡”が置かれた所です。大陸系の移民を多く配した事から、製糸・縫製に優れ、県内の仏教と漢字の早期普及に寄与したと思われます。

番号 原 文 訓 読
3403  安我古非波
 麻左香毛可奈思
 久佐麻久良 多胡能伊利野乃
 於久母可奈思母
 我(あ)が恋は
 まさかも愛(かな)し
 草枕 多胡の入野の
 奥も愛(かな)しも
多胡碑
 和同四年( 711)、県の西部に多胡郡が設置された折に、朝廷の令書を漢字80文字を刻んで石碑にしたものです。碑は日本三古碑の一つに数えられると共に、上野三碑の一つにもなっています。
 設置の周囲は小公園で、資料館“多胡碑記念館”が有ります。
      画像:年に一回の公開時に

多胡郡正倉跡
 多胡碑の400m程南に近年発見された古代建物の跡です。発掘された瓦などから、多胡郡の正倉跡と見られています。
  画像:発掘時の現地説明会
多胡薬師塚古墳
 古墳時代後期7世紀末の円墳と考えられています。石室は両袖型で、加工された牛伏砂岩が用いられ、高度な技術をうかがわせます。
 石室は南向きに約5m、玄室高は1.7mで、開放されており見学可能です。
浅間神社の入野碑
 無住の浅間神社の裏手を5分程登った丘陵上に、万葉3403番の歌碑が有ります。
 高崎市の文化財で、明治22年に9ヶ村を合併して入野村が誕生した事を記念して、明治27年に建立されたものです。入野村は、古歌集に載る「多胡の入野」から取ったとされ、万葉歌のほか二首が刻まれています。

多胡碑多胡碑記念館: 高崎市 吉井町 池1085
多胡薬師塚古墳: 高碕市 吉井町吉井川字穴塚41
浅間神社: 高崎市 吉井町黒熊


番号 原 文 訓 読
3411  多胡能祢尓 与西都奈波倍弖
 与須礼騰毛 阿尓久夜斯豆之
 曽能可抱与吉尓
 多胡の嶺(ね)に 寄せ綱(つな)
 延(は)へて 寄すれども
 あにくやしづし その顔よきに
飯玉神社
 3411番の歌碑が、上信電鉄馬庭駅近傍の小社飯玉神社の境内に有ります。 昭和9年11月の建碑で、訓読のひらがな書体で縦に刻まれています。
多胡の嶺
歌の“多胡の嶺”はどの山でしょうか?。
 地域には吉井三山として「牛伏山・八束山・朝日岳」の山並みが有ります。 殊に西端の朝日岳が“多胡美人”とも呼ばれて居る様です。
 しかし当サイトでは、女性を牛に例えた故事から牛伏山 と考えています。車でも登れて頂部が広場になっています。

飯玉神社: 高崎市 吉井町 馬庭226
牛伏山自然公園: 高崎市 吉井町 多比良4457−1

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3.安蘇
   あそ
 富岡市宇田、丹生川と高田川の合流地域と考えられます。二基の古墳や多数の住居跡を含む、阿曾岡権現堂遺跡が確認されています。
番号 原 文 訓 読
3404  可美都氣努 安蘇能麻素武良
 可伎武太伎
 奴礼杼安加奴乎
 安杼加安我世牟
 上つ毛野 安蘇(あそ)のまそむら
 かき抱(むだ)き
 寝(ぬ)れど飽(あ)かぬを
 あどか我(あ)がせむ
3434  可美都家野
 安蘇夜麻都豆良
 野乎比呂美 波比尓思物能乎
 安是加多延世武
 上つ毛野
 安蘇山(あそやま)つづら
 野を広み 延(は)ひにしものを
 あぜか絶えせむ
 
阿曾岡公園
 公園は富岡市一ノ宮、貫前神社の裏手、新興住宅地内に有ります。
  一帯は、「阿曾岡・権現堂遺跡」として古墳のほか、竪穴住居跡など290戸の集落群が確認されていると言います。
 阿曾岡公園に有る万葉3404番の歌碑です。昭和11年11月の建碑で、万葉仮名を縦に刻でいます。
  貫前神社
 権現堂遺跡のすぐ南の高所に有ります。延喜式内の名神大社で、上野国一の宮とされています。社殿は、寛永12年(1635)に徳川家光の再建によるものです。

阿曾岡公園: 富岡市 宇田475
貫前神社: 富岡市 一ノ宮1535

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4.乎度
   おど
 “乎度=小野”と考えられ、小野の地名は県内に幾つか有って確証出来ません。しかし、市南部に鑑真の高弟道忠が開いた浄法寺が有り、古く朝廷の要地であった事が伺えます。
番号 原 文 訓 読
3405  可美都氣努
 乎度能多杼里我
 可波治尓毛
 兒良波安波奈毛
 比等理能未思弖
 かみつけの
 乎度(おど)の多杼里(たどり)が
 川道(かわぢ)にも
 子らは逢はなも
 ひとりのみして
或本に
曰く
 可美都氣乃
 乎野乃多杼里我
 安波治尓母
 世奈波安波奈母
 美流比登奈思尓
 かみつけの
 乎野の多杼里(たどり)が
 逢は道(あはぢ)にも
 背なは逢はなも
 見る人なしに
泡輪神社(あわじんじゃ)
 境内に二基の歌碑が有ります。神社社殿は流れ造りの小社で覆屋内に納められています。
 因みに付近地名は“小野”と呼ばれていたそうです。

 前記下段歌の題詞に“或本歌曰”とある事から、こちらが元歌という事でしょうか?
 昭和55年建碑
泡輪神社: 藤岡市 中乙234

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5.佐野
   さの
 佐野は、国の屯倉(みやけ)が置かれ、東山道の要所にもなっていたと考えられます。殊に、和暦制定前に日本語を漢字に置換え、かつ石に刻むという高度な文化を有していました。
番号 原 文 訓 読
3406  可美都氣野 左野乃九久多知
 乎里波夜志
 安礼波麻多牟恵
 許登之許受登母
 上つ毛野 佐野の茎立(くくたち)
 折りはやし
 我(あ)れは待たむゑ
 来(こ)とし来(こ)ずとも
3418  可美都氣努 佐野田能奈倍能
 武良奈倍尓
 許登波佐太米都
 伊麻波伊可尓世母
 かみつけの 佐野田の苗の
 群苗(むらなへ)に
 事は定めし
 今はいかにせむ
3420  可美都氣努 佐野乃布奈波之
 登里波奈之 於也波佐久礼騰
 和波佐可流賀倍
 かみつけの 佐野の舟橋
 とりはなし 親はさくれど
 わはさかるがへ
 平成27に新設された上信電鉄の「佐野のわたし駅」のすぐ西側、烏川に架かる木橋で、この辺りに舟橋が有ったと考えられています。 佐野の舟橋碑
 「佐野のわたし駅」を東へ200m程行った所に、3420番の歌碑があります。碑文は、訓読みで記されています。文政10(1827)年10月に建てられたもので、県内最古の万葉歌碑になります。


佐野の舟橋歌碑: 高崎市 上佐野町

番号 原 文 訓 読
3473  左努夜麻尓
 宇都也乎能登乃
 等抱可騰母 祢毛等可兒呂賀
 於母尓美要都留
 左努山(さのやま)に
 打つや斧音(おのと)の
 遠かども 寝(ね)もとか子ろが
 面(おも)に見えつる
定家神社
 「佐野のわたし駅」から新幹線高架下を南へ300m程行った所に有ります。神社は、百人一首を撰じた歌聖藤原定家を祀っています。
 境内には、訓読みで刻まれた3473番の歌碑が有ります。
 境内の西側には、斧の音が聞こえそうな距離に烏川を隔てて山名丘陵があります。左努山でしょうか?

山ノ上の碑と古墳
 天武天皇九年( 681)に造られた古碑です。漢字53文字により、佐野の屯倉を管理する一族の家系を刻んだものです。古墳に付けられた石碑として極めて珍しいものです。見学はガラス越し
 古墳は円墳で、両袖切り石積みの横穴を有しています。 開放されていて見学可能です。

金井沢の碑
 神亀三年( 726)に建てられた古石碑です。群馬郡下賛郷高田里として“群馬”文字の初例とされています。
 漢字112文字の碑文からは、一時的な郷里制や宗教思想・家族制度などを知る貴重な物とされています。見学はガラス越し

 
定家神社: 高崎市 下佐野町873
山ノ上の碑と古墳: 高崎市 山名町2104
金井沢の碑: 高崎市 山名町2334

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6.新田
   にいた
 「新田」の地名は何県かに該当が有る様です。群馬県では、太田市中央に連なる金山丘陵と考えられます。市内には東日本最大規模の天神山古墳が有るなど古来より開けていました。新田町の地名も残る金山西部には、多くの古墳遺跡が点在しています。
番号 原 文 訓 読
3408  尓比多夜麻
 祢尓波都可奈那
 和尓余曽利
 波之奈流兒良師
 安夜尓可奈思母
 新田山(にひたやま)
 嶺(ね)にはつかなな
 我(わ)に寄(よ)そり
 はしなる子らし 
 あやに愛(かな)しも
3436  志良登保布
 乎尓比多夜麻乃
 毛流夜麻乃 宇良賀礼勢奈那
 登許波尓毛我母
 しらとほふ
 小新田山(おにひたやま)の
 守(も)る山の うら枯れせなな
 常葉(とひは)にもがも
山景探査中
太田金山
 現在“金山”と呼ばれているものが、新田山と考えられます。 低い丘陵地ですが、日本100名城の一つとして、一帯は公園化されています。
 鎌倉時代より城郭として開発されましたが、西側斜面には、山寄せによる古墳跡も見られます。

生品神社
 新田義貞が朝廷の命により、鎌倉幕府倒幕の旗揚をした場所とされて、史跡指定になっています。
 

生品神社: 太田市 新田 市野井町645


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7.伊香保
   いかほ
 最も多く出てくる地名で、現在は伊香保温泉が知られていますが、当時は榛名山全体を指して居た様です。
 山の東麓一帯には、古代遺跡が多く詠歌の数に符合します。
番号 原 文 訓 読
3409  伊香保呂尓
 安麻久母伊都藝
 可奴麻豆久 比等登於多波布
 伊射祢志米刀羅
 伊香保ろに
 天雲(あまくも)い継(つ)ぎ
 かぬまづく 人とおたはふ
 いざ寝(ね)しめ刀羅(とら)
3410  伊香保呂能
 蘇比乃波里波良
 祢毛己呂尓 於久乎奈加祢曽
 麻左可思余加婆
 伊香保ろの
 沿(そ)ひの榛原(はりはら)
 ねころもに 奥をなかねぞ
 まさかしよかば
3414  伊香保呂能
 夜左可能為提尓
 多都努自能 安良波路萬代母
 佐祢乎佐祢弖婆
 伊香保ろの
 夜左可(やさか)のゐでに
 立つ虹の 現はろまでも
 さ寝をさ寝てば
3415  可美都氣努 伊可保乃奴麻尓
 宇恵古奈宜
 可久古非牟等夜
 多祢物得米家武
 かみつけの 伊香保の沼に
 植ゑ小水葱(こなぎ)
 かく恋ひむとや
 種求めけむ
3419  伊可保世欲 奈可中次下
 於毛比度路
 久麻許曽之都等
 和須礼西奈布母
 伊香保せよ 汝が泣かししと
 思ひどろ
 くまこそしつと
 忘れせなふも
3421  伊香保祢尓
 可未奈那里曽祢
 和我倍尓波
 由恵波奈家杼母
 兒良尓与里弖曽
 伊香保嶺に
 雷(かみ)な鳴(な)りそね
 我が上(へ)には
 故はなけれども
 子らによりてぞ
3422  伊可保可是 布久日布加奴日
 安里登伊倍杼
 安我古非能未思
 等伎奈可里家利
 伊香保風 吹く日吹かぬ日
 ありと言へど
 我(あ)が恋のみし
 時なかりけり
3423  可美都氣努 伊可抱乃祢呂尓
 布路与伎能 遊吉須宜可提奴
 伊毛賀伊敝乃安多里
 上つ毛野 伊香保の嶺(ね)ろに
 降ろ雪(よき)の 行き過ぎかてぬ
 妹(いも)が家のあたり
3435  伊可保呂乃
 蘇比乃波里波良
 和我吉奴尓
 都伎与良之母与
 比多敝登於毛敝婆
 伊香保ろの
 沿(そ)ひの榛原(はりはら)
 我が衣(きぬ)に
 着(つ)きよらしもよ
 ひたへと思へば
3495  伊波保呂乃
 蘇比能和可麻都 可藝里登也
 伎美我伎麻左奴
 宇良毛等奈久文 
 伊波保ろの
 岨(そひ)の若松 限りとや
 君が来まさぬ
 うらもとなくも  
保戸田古墳群から榛名山
 保戸田古墳群の「上毛野はにわの里公園」から観た榛名山です。
 榛名山を眺望する山の東側には、多くの古代遺跡が有り、万葉歌に多用された背景を見る事が出来ます。園内には「かみつけの里博物館」が有ります。   画像:八幡塚古墳
 
かみつけの里古墳祭り
 上毛野はにわの里公園で、古墳時代の衣裳を着けて再現劇「王の儀式」が演じられます。
 地域芸能・博物館の体験イベントなどの他、古墳周囲の見事なコスモスも楽しめます。
   開催時期:10月
上野国分寺跡
 
天平14年に発せられた「国分寺設置の詔」の後にすぐに造営されたであろう上野国分寺跡で、国の史跡指定になっています。
 今も、多重塔基壇や金堂基壇などが残って居ます。前橋・高崎両市にまたがる広い遺跡内には、資料館も設置されています。
  画像:榛名山を後景とする多重塔基壇(イチョウの右側に広がって居ます。)


上野国分寺まつり
 古代東国をリードした上野国分寺跡で、天平ロマンを再現した祭りです。
 祭りでは、天平時代の衣裳を再現した壮麗な行列が催され、歴史劇の上演なども行われます。
   開催時期:10月
榛名神社
 山塊南部の中腹に有る神社で、上野国六番目の延喜式内社です。山その物が山岳信仰の対象になっていた事が窺えます。

伊香保神社
 伊香保温泉街上部に有ります。延喜式の名神大社とされ、上野国三宮となっています。
 境内に3414番の歌碑が有ります。
水沢寺
 坂東三十三観音霊場の十六番に数えられ、水沢観音の名で広く知られています。伊香保温泉の東2`程にあります。門前の“水沢うどん”が人気です。
 境内に3414番と3421番の歌碑が有ります。

伊香保温泉
 山塊を構成する榛名山の北麓に有る伊香保温泉です。名湯として広く知られて居ます。
 画像:ツツジの長峰公園より全景
南下古墳公園
 榛名山東麓の吉岡町に有る古墳群で、6基の円墳が公園として保護されています。
 古墳は6世紀後半から7世紀にかけて築かれた物で、横穴式主体部の石室も見学出来ます。

茅野遺跡
 榛名山東麓の榛東村に発見された縄文時代晩期の集落遺跡です。榛名山の火山灰に厚く埋もれて居たことから遺構の細部が残り、国の指定史跡になっています。
 特に577点に及ぶ土製耳飾りの発見から、縄文文化を知る貴重な手掛かりとなりました。
 村内に出土品を展示する「耳飾り館」が有ります。


八幡台地の古墳群
 八幡台地は榛名山の南東、碓氷川と烏川に挟まれた丘陵地です。多くの集落跡が確認され、今も多くの古墳を見る事が出来ます。
 中でも大型前方後円墳の観音塚古墳が必見です。後円部に巨石を用いた国内有数の石室を有しています。近くに観音塚考古資料館が有ります。
   画像:観音塚古墳の巨大な石室

榛名湖
 火口原湖の榛名湖と中央火口丘の榛名富士です。
 多くの外輪山を有し、最高峰は外輪山の掃部ヶ岳1,449mです。

保戸田古墳群かみつけの里博物館: 高崎市 井出町1514
榛名神社: 高崎市 榛名山町849

伊香保神社: 渋川市 伊香保町2
水沢寺: 渋川市 伊香保町 水沢214
南下古墳公園: 吉岡町 南下 1333−4近傍
茅野遺跡: 榛東村 大字長岡 1200−1

耳飾り館: 榛東村 山子田1912
観音塚考古資料館: 高崎市 八幡町800−144
上野国分寺館: 高崎市 引間町250−1

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8.久路保
   くろほ
 主峰の黒檜山や、麓に黒保根村(現桐生市黒保根町)が有る事から、赤城山を指すと考えて間違い無いと思われます。
番号 原 文 訓 読
3412  賀美都家野
 久路保乃祢呂乃
 久受葉我多
 可奈師家兒良尓
 伊夜射可里久母 
 かみつけの
 久路保(くろほ)の嶺(ね)ろの
 葛葉(くずは)がた
 愛(かな)しけ子らに
 いや離(ざか)り来(く)も
大室古墳群
 前橋東部の大室公園内の五料沼より観た赤城山です。
 公園は大室古墳群を遺存のための公園で、付近一帯に10基を数える古墳が残されています。
赤城大沼
 赤城山は県中央部にそびえる複式の旧火山で、主峰は黒檜山の1,828mです。画像は山頂部の黒檜山と大沼です。ハイキング・ボート乗り・釣りなど、一年を通じ賑わっています。
地蔵岳より撮影


画像探査中
宇通遺跡
 赤城山南面中腹の海抜700m程に、10世紀から11世紀に存在した山林寺院の遺跡です。 十数の建物跡が発掘され、中には大堂・八角堂などの遺構も確認されています。
 遺跡は、東国の仏教寺院・山林寺院の実態を知る上で極めて重要です。
 
月田古墳群
 前橋市粕川町から桐生市新里町に亘って多くの古墳が有ります。赤城山を真近にする集落が有ったことでしょう。
 粕川町の月田古墳群には数基が有り、画像は壇塚古墳です。


山上多重塔
 赤城山南腹の舌状地に有り、山を指呼の間に望みます。
 石造三重塔(塔婆)が覆い屋に納められ、碑文により延暦20年( 801)の造立と判ります。平安初期に仏教が付近に到達していた事が窺えます。
 
赤城神社
 赤城山南腹にある延喜式内の名神大社で、上野国二之宮に数えられています。 社殿には、神明造の本殿を備えた格式ある構成になっています。
 近隣の中之沢からは、神仏習合時代の名残とされる宇通遺跡が発見されています。


大室古墳群: 前橋市 大室町2545
山上多重塔: 桐生市 新里町 山上2555
赤城神社: 前橋市 三夜沢町114

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9.子持山
   こもちやま
 「児毛知夜麻」、直ちに県北部の子持山を充てるには異論も有るでしょうが、群馬県ではこうなります。

番号 原 文 訓 読
3494  兒毛知夜麻 和可加敝流弖能
 毛美都麻弖
 宿毛等和波毛布
 汝波安杼可毛布
 子持山 若(わか)かへるでの
 もみつまで
 寝もと我(わ)は思(も)ふ
 汝はあどか思ふ
子持山
 黒井峯遺跡から遠望した子持山です。標高は1,296m、太古の火山です。
 火山の浸食によって火道内の溶岩が露出した獅子岩や屏風岩などの岩頸(がんけい)が見られ、国内稀有の山塊とされています。

黒井峯遺跡
 子持山から沢を隔てた南側の丘陵地に有ります。榛名山二子岳の古代噴火の噴石により、2m余の地中に埋もれた集落跡で“日本のポンペイ”とされています。
 (画像は催事のものです)


  子持神社
 子持山南腹に有ります。子授け・安産の神として古くから信仰を集めて居ます。
 文字は読めませんが、境内に万葉歌3494番の歌碑が有ります。

黒井峯遺跡: 渋川市 中郷2258−3付近
子持神社: 渋川市 中郷2910 

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10.沢渡
    さわたり
 それほど多くない地名と思いますが、県北部の中之条町に「沢渡地区」が有って、温泉地になっています。

番号 原 文 訓 読
3540  左和多里能
 手兒尓伊由伎安比
 安可故麻我
 安我伎乎波夜美
 許等登波受伎奴
 左和多里の
 手児(てご)にい行き逢ひ
 赤駒が
 足掻(あが)きを速(はや)み
 言問はず来(き)ぬ
  沢渡温泉
 画像:「晩釣りせせらぎ公園」からの遠景
沢渡温泉: 中之条町 上沢渡
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11.丹生
    にう
 丹は水銀を表す事から、金の精錬術を言うのでしょうが、水銀や金鉱石採掘の記録は見当たらりません。近くの下仁田町の鉱山跡が気にはなるのですが…
番号 原 文 訓 読
3560  麻可祢布久
 尓布能麻曽保乃
 伊呂尓悌弖 伊波奈久能未曽
 安我古布良久波
 ま金(かね)吹(ふ)く
 丹生(にふ)のま朱(そほ)の
 色に出て 言はなくのみぞ
 我(あ)が恋ふらくは
丹生神社
 創建は清和天皇の御代と言います。境内には拝殿・本殿・神楽殿などの社殿が有り、南西隅に万葉歌3560番の歌碑が有ります。


 歌碑は、昭和11年11月にi建てられたもので、縦に万葉仮名で彫られています。
丹生神社: 富岡市 下丹生1

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12.可保夜が沼
    かほやがぬま
 「可保夜が沼」は、江戸時代の国学者の旅行日記「山吹日記」に、渋川市の甲波宿祢神社(式内)の旧社地境内にあったとしています。旧社地は吾妻川沿いに有って、天明の浅間山噴火による堰き止水により流失、近年の発掘調査の結果、本殿などの遺構が確認されています。
番号 原 文 訓 読
3416  可美都氣努
 可保夜我奴麻能
 伊波為都良 比可波奴礼都追
 安乎奈多要曽祢
 かみつけの
 可保夜(かほや)が沼の
 いはゐつら 引かばぬれつつ
 我をな絶えそね
甲波宿祢神社
 延喜式内社で上野国の四之宮に数えられる古社です。元は吾妻川河畔に有りましたが、天明5年当地に再建されました。
 甲波宿祢神社の旧社地の遺構でしょうか?、新幹線の吾妻川横断のすぐ東側に有ります。中央の石に社名が刻まれています。沼跡の存在は確認出来ませんでした。

甲波宿祢神社: 渋川市 川島1287

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13.伊奈良の沼
    いならのぬま
 「伊奈良の沼」は、邑楽郡内に明治22年の町村制施行時に伊奈良村が成立しています。以降の町村合併で、現板倉町の一部になっいます。町内には幾つかの沼が有りますが、特定していません。
番号 原 文 訓 読
3417  可美都氣努 伊奈良能奴麻乃
 於保為具左
 与曽尓見之欲波
 伊麻許曽麻左礼
 かみつけの 伊奈良の沼の
 大藺草(おおゐぐさ)
 外(よそ)に見しよは
 今こそまされ
 


14.地名を含まないもの  いずれも万葉歌の大綱に基づいて地名を含んでいますが、具体的に特定の場所を詠んでいません。

番号 原 文 訓 読
3407  可美都氣努
 麻具波思麻度尓
 安佐日左指
 麻伎良波之母奈
 安利都追見礼婆
 かみつけの
 まぐわしまどに
 朝日さし
 まきらはしもな
 ありつつ見れば
3413  刀祢河泊乃 可波世毛思良受
 多太和多里 奈美尓安布能須
 安敝流伎美可母
 利根川の 川瀬も知らず
 直(ただ)渡り 波にあふのす
 逢へる君かも
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