浮き草 第11回




森亜人《もり・あじん》

     四

 流一は、川井が肺炎で一週間ほど寝ているあいだ、カッポさんと江島さんのことを考え続けていた。と同時に、安代の腿に触れたときに感じた何とも言いようのない感覚のことも合わせて思い浮かべた。

 それまで、全く気づかないでいた微笑のなかに、微妙な違いのあることとか、男女の立話や、廊下の隅や建物の陰で腕を絡ませて話し込んでいる年長の生徒たちの行動に、おや、という思いで振り返ってみるようになった。

 冬休みに入って、流一は家に戻ってきた。機関庫裏の長細い家の炬燵に寝転んで、祖母と大相撲を聞いているときも、学校での経験を、まるで玉葱を一枚ずつ剥ぐように彼らの行動を調べた。祖母が

「ほら、きょうも羽黒山が勝ったわよ」

 と、座蒲団を二つに折って枕にして、考え事をしている流一の腹をつついて、ラジオに気を向けさせようとしても、流一は生返事をするだけで、瞼の裏に浮かんでは消える学校での事どもを思い出していた。

 ときには、彼らの所作の細かい部分に思いを深めると、体の一部分に変調を来たすこともあった。

 そんなときには、慌てて便所へ駆け込み、パンツを濡らした物体。そうだ、液体というより、生き物だと流一は思った。それを塵紙で拭き取り、ある種の興味から匂いを嗅いでみることもあった。

 流一は、新鮮で匂いの濃いパンツを、祖母から指定された洗濯篭に放り込んでおくことができず、こっそり自分で始末した。それを誰の目にもつかないように干したかったが、狭い家の中で、誰の目にもつかない場所などあろうはずもなく、仕方なしに物干し竿に干さざるを得なかった。

 祖母は、竿に丸めて干してあるキャラコのパンツをきれいに直しながら

「流ちゃんも大人になってきたのね。下着を自分で洗濯できるようになったのね」

 と言って、流一を恥ずかしがらせた。

 流一がそのことを忘れようとしているのに、夕食のときなどに、嬉しそうな顔をして改めて言ったりもした。流一は、飯茶碗の底に残った飯粒を箸の先で掻き集めている振りをしてご飯のお代わりを言うのだった。すると、

「おお!そうだ。たくさん食えよ」

 と祖父が嬉しそうに横から口添えをしてくれた。

 大相撲も千秋楽が近づくと、流一も夢中になってラジオに耳を傾けた。祖母は立浪部屋の力士なら誰でも好きだと言って、羽黒山や名寄岩を無条件で応援した。

 祖母は流一にも立浪部屋の力士を応援することを勧めた。だが、流一は、実際のところ、羽黒山も名寄岩も別に好きではなかった。祖母に逆らって機嫌を損ねてしまうと、大阪へ追い返されるような気がしていたので、何も言わずに頭だけ強く振って手を打っていた。

 その場所、羽黒山は十五日間を勝ち抜き、全勝優勝した。祖母の喜びようは子供のようだった。流一は栃錦が好きだったが、羽黒山が優勝してよかったと、祖母に何回も言ってやり、彼女を大いに喜ばせてやった。だが、流一は、自分の心の深い部分で、どうしようもない苛立ちを覚えていた。

―― 栃錦が好きならそう言えばいいもの。 ――

 流一は、自分の心の様が自分でもよく理解できなかった。特に、祖母が何か言うと、たとえ自分の意に反していようが、賛成の意思表示をしてしまうのだ。そんな自分が嫌らしい者に思えた。それが祖父なら、

「ちゃうわ」

 と言って、自分の思ったままを口にすることができた。

 ところが、祖母となると、たちまち仮面を被ってしまうのだ。自分でもコントロールのできない感情の動きだった。

 別に祖母を嫌っているつもりもないのに、遠慮する自分がたまらなく腹立たしかった。その分、祖父に強く反抗してしまうのだ。そんなもやもやした感情のまま、月日は流れ、六年生になった。

 流一の背丈も百五十センチに近づき、激しく飛び回ったあとなど膝の関節に痛みを覚えたりした。それが成長痛だと、部屋の専攻科の荻原さんに言われ、何か自分が大人になっていくように感じ、嬉しいようで、どこか寂しいものが全身を通り抜けてゆき、心がさわさわと鳴った。

 流一は六年生になったときから寮母の手を離れ、大人ばかりの部屋に入れられた。たぶん、寮母たちが面倒になって投げ出したのだろうと、部屋の大人たちが笑いながら話してくれた。流一としては、寮母といるより、こうして専攻科や高等部の人たちと一緒のほうがどれだけ伸び伸びしたか知れない。

 いつも灰色掛かっていた空も温かい色に変わってきた。周囲の峰に白く輝いていた雪も次第に薄れていく。女鳥羽川の川原に積もっていた汚れた雪もいつの間にか消え、青い草が芽を出す季節になっていた。と同時に、静まり返っていた川が賑やかな音を立てて歌いはじめるようになった。

 土俵と体育館とのあいだに鶏舎があり、十数羽の鶏を飼っていた。その飼育は高等部の人たちが行なっていたが、流一は彼らを手伝い、よく鶏の糞を片つけたり、卵を拾い集めたりした。

 四月も半ばを過ぎ、校庭の隅に枝を広げた桜に花がこぼれる温かい日だった。二人の高等部の女生徒が鶏に餌や水を与えたり、鶏舎の掃除をしていた。

 流一は、二人を手伝って卵を集めていた。川田さんは全盲で、綺麗な人だった。もう一人の堀さんは弱視で、少し色は黒いが、やはり整った面差しをしていた。二人とも、流一には年がわからなかったが、どちらも二十歳を幾つか過ぎていたかもしれない。

 川田さんが鶏舎の中で餌をやっていた。堀さんが糞を片づけていた。そこへ、流一と同室の専攻科の人がやってきて、箒で地面を掃いている堀さんの腰に手を掛けた。突然だったので、堀さんはキャッと言って跳び上がり、手に持っていた箒で男の人をぶった。

 その騒ぎに驚いたのか、餌を啄んでいた雄鶏が激しく鳴き立てて、餌を与えていた川田さんの顔に飛びついていった。川田さんは悲鳴を上げると、棒を飲んだように直立したまま両手で顔を覆った。

 流一は集めた卵を篭に入れながら二種類の光景を眺めていた。

 堀さんは、腰に手を掛けた男の人を軽くぶつ真似をして、少し甘えるような声で、

「ううん」

 と言って睨んでいたが、川田さんの悲鳴に振り返り、ぽかんと口を開けてしばらく立ち竦んでいた。

――そういえば、カッポさんと江島さんもあんな笑い方をしていたっけ。 ――

 流一は唐突にカッポさんと江島さんのことを思い出した。そして、林檎の皮を抓み上げようとして安代の腿に触ったときに示した彼女のニッと笑ったことも思い出した。江島さんも、堀さんも、そして安代も同じ笑いだったような気がした。

 流一の想像は打ち切られた。立ち竦んで顔を覆っていた川田さんの指の間から血がどくどくと流れ落ちていた。流一は手に持っていた篭を思わず地面に落してしまった。中に入っている卵がぶつかり合って、割れた。流一は横目でちらと見ただけで、そのまま寄宿舎へ飛んでいった。

 堀さんも流一のあとを追うように土俵を飛び越え、大きな声で寮母を呼んでいた。川田さんは雄鶏に目を突かれ、眼球を傷つけられてしまったのだ。見えていれば逃げられたかもしれないのに、見えないばっかりに、川田さんは綺麗な瞳を傷つけられてしまったのだ。

 流一は、目の見えないことの悲しみを深く心に感じた。そのせいかどうか、その夜はなかなか眠れないでいた。川田さんの恐怖に歪んだ頬や、堀さんの甘えた声と、川田さんの危急を知らせるために寮母を呼んでいたときの真剣な声が思い出された。

 そうやって思い出していくと、学校の中には、流一の頭では理解できそうもない笑いを交わし合っている男女の多いことに、今更のように驚いた。

 微妙なほほ笑みを交わし合っているのは生徒たちばかりではなかった。校長と家庭科の先生も同様だった。独身の先生同士のなかにもそんなほほ笑みを交わす者もいた。だが、校長のそれは、どこか悪臭に似たものが漂っているように思えた。

 実際、消灯後の部屋では流一の眠ったのをたしかめてから、高等部の人たちのあいだで、校長と家庭科の先生の話が囁かれた。流一は眠った振りをして聞いていた。そんな話のなかで、流一ばかりでなく、全校生徒の心を温めてくれた話があった。

 枕を並べて寝ている流一の頭越しに、会話が行きつ戻りつしていた。流一には理解できない男女の深い話のところどころに、流一も知っている阿部先生の名があった。

 四年生の途中まで受け持ってくれた阿部先生が、高等部の生徒たちに医学を教えている玉川先生と結婚したことだった。式は春休みに行なわれたのだそうだが、流一の耳に入ったのは四月も末だった。

 流一は思い出した。

 昨秋のある日曜日、川井と安代の三人で阿部先生の下宿へいったことがあった。大きなシェパートを何頭も飼っている家の離れに先生は住んでいた。台所も含めて四畳半という狭さだった。壁は本で埋まっていた。

 三人で先生を見舞ったのだ。夜中に先生は鼠に足の指を噛られ、三針も縫って学校を休んでいたのだ。

 その帰り道、安代と川井が話していた。

「安代さんは気がついていたの?」

「当り前よ。学校で知らないのは流ちゃんくらいなものよ。ね、流ちゃん」

 二人のあとから歩いていた流一を振り返って、安代が片目をつむってみせた。

「何のこと?」

「ほらね…」

 安代は川井の腕を上下に揺すって笑った。

「栗田は子供だからむりないさ」

 川井が相槌を打った。

 流一はさっきから面白くない思いで歩いていたので、川井の言葉に全身の血液が一度に頭に昇ってしまい

「馬鹿にするな」

 と吐き捨てるように言うと、流一は二人の横を駆け抜けて車も通らない広い道を先に走って盲学校へ戻ってきた。

 そのとき、安代と川井が話題にしていたのが阿部先生と、玉川先生との結婚の話だった。しかし、流一はそんな噂など知らなかった。それより、安代と川井が仲よく話しながら腕を組んで歩いていることのほうが気掛かりだった。

 自分が川井の手を引いてやればいいくせに、頭のどこかで安代に川井を押しつけたがっている自分の邪な考えがあることを知っていた。安代が振り返ったとき、自分も片目をつむって見せれば心の荒れもなかったはずだった。しかし、流一には出来なかった。その後、安代と川井とのあいだに何事もなかったので、すっかり忘れていたが、今になって、流一は安代と川井のことが気になりはじめた。

――本当に何もないのだろうか。同じ年のくせに、近頃の川井は自分よりずいぶん大人っぽいことを言ったりするようになった。安代もますます綺麗になってきた。考えてみれば安代は十六歳になる。 ――

 でも、そんな安代が、川井のような少年を相手にするとは思えなかった。体は自分のほうが大きい。安代と川井の様子を見てやろう。流一はそんなことを考えているうちに、いつともなく眠りに落ちていった。


 盲学校の二階の校舎には三十畳ほどもある畳の部屋があり、高等部の生徒たちが、そこでマッサージの実習を行なっていた。

 その部屋よりひと周り小さな畳敷きの部屋が校舎の階下にもあり、ときどき集会が開かれた。今も、昼休みに担任の先生が言っていた緊急集会の始まりを告げる鐘が鳴っていた。

 流一は、中学部に進んだ明男と、バレーボールを拳で打ち上げ、それをキャッチする遊びを校庭でしていた。

 明男は打ち上げられたボールの行方を目を細めて見定めてから、両手を広げて脱兎のごとく地面を蹴って走り出す。そして、ぎりぎりのところでキャッチするのだ。キャッチできるかできないかスリルを楽しんでいるように見えるが、実際のところは、ボールが高く上がらないとよく見えないと言っていた。

 だから、頭の高さくらいなボールは受け取れないらしく、ほとんど後ろへ逃していた。その度に、畜生、畜生と言いながら校庭の隅まで転がっていったボールを追っていくのだった。

 流一は、明男が、また激しい喘息の発作を起こして、

「死ぬるよぅ!死ぬるよぅ!」

と叫びはしないかと思って、なるべく高く打ち上げてやったが、それでも彼から離れた場所へ落ちるように打ち上げ、彼を走り回らせた。

 そんなときに鐘が鳴り、集会室へ集まるようにと、青柳先生が昇降口から顔を出して呼んだ。

 下履きに履き替えないで校庭に降りていた流一は、先生に叱られることを覚悟して明男の後ろから隠れるように校舎に上がったが、先生は何も言わないでさっさと集会室のほうへ行ってしまった。

 明男と肩を並べるように集会室へ入っていくと、全校生徒のほとんどが座っていた。入口の壁際には、いつも集会のある度にそこへ座る二人の女生徒が編み物をしていた。一人は高等部で、一人は中学部の人だった。この二人は、いつも金魚の糞のように一緒だった。

 盲学校へ転校してきた秋、二人の髪を三つ編みにしておいたことがある。二人は編み物に夢中だったので、流一のいたずらを気づいているようだったが、まさか互いの髪を編み込まれていることには気づかなかったらしい。

 集会の終わったとき、二人は立ち上がろうとしたが、タイミングが合わなかったので、二人とも互いの髪に引っ張られて転んだことを、流一は思い出しながら、明男と入口付近に座った。

 ド近眼の教頭先生が渋い顔をして生徒たちを睥睨している。あまり良い話じゃないな、と流一は思った。日頃、この先生は笑みを絶やしたことがないので、なおのこと、不吉な気がした。そのように思うせいか、いつも賑やかにしゃべっている五年生の女の子たちも静かに座っていた。

「皆さんも承知のとおり…」

 教頭先生が口を開いた。

『皆さんも承知のとおり』と言っているが、流一には何のことかわからなかった。横にいる明男に、

「承知のとおりってなんのこと」

 と聞くと、明男も首を横に振って、自分も知らないと言った。回りを見ると、多くの生徒が首を縦に振っている。

 流一は、どうして自分は周囲の事柄に疎いのだろうと思った。いつでも聞くこと見ることが初めてのように思える。自分は馬鹿なのだろうかとも思う。でも、頭の良い明男も知らないと言っているところをみれば、自分だけがおかしいわけでもなさそうだった。

「皆さんは学生です。学生とは学ぶ人のことを言います。これ石原君、目の前で腕を振り回してはいけない。目がまわってしまう。今は大切な話をしているんだから、手を膝の上に置いて聞きなさい。」

 いつも同じところをくるくる回って、何か独り言を言っている三年生の男の子だった。

「その学生であるはずの生徒が、勉強を横に置いて、うつつを抜かすことは許されることではありません。たしかに、皆さんのなかには兵隊さんだった人もいますし、子供のいるお母さんもいます。しかし、ここは学校です。社会で許されても、ここでは許されない行為というものがあります。それで、残念ですが、二人の生徒にはしばらく家に帰ってもらうことにしました。きっと三ヶ月したら帰ってきますが、そのときは、今までどおりの顔をして迎えてやってください」

 流一には話のほとんどが理解できなかった。誰か知らないが、生徒が二人、家に帰されたということだけはわかった。それが誰なのか周囲を見たが百人以上もいる生徒のなかの誰であるか見分けることは難しかった。

 周囲に囁く声がしている。きっと家に帰された生徒のことだろうが、囁く声のなかに、二人の勇気を褒めているような声もあった。

―― それじゃあ悪いことをしたんじゃないんだな。教頭先生は停学処分と言っているが、停学ってなんだろう。 ――

 流一は難しそうな顔をしている明男に聞いてみた。

「しばらく学校へ来てはいけないということ」

 と、明男は、少しぶっきら棒に言った。

―― とにかく、ぼくとは関係のない話らしい。盲学校は学校といっても大人が多いから子供には理解できないことが山ほどある。 ――

 流一は、ほとんど忘れかけていたカッポさんと江島さんのことを思い出した。

―― もしかしたら…。 ――

 流一は周囲を見た。窓際のところにカッポさんが、いがぐり頭を振りながら、荻原さんと同じクラスで、いつも貧乏ゆすりをしている田口さんと話をしていた。江島さんは編み物に夢中になっている嘉代子さんの横に座って本を読んでいる。

 話の内容から、流一にも男女の問題らしいことがわかってきた。きっと、映画で見る男女の秘密をしたのだろう。頬に触れたり、腕を絡ませたりするくらいなことだったら、盲学校中の生徒が停学になってもおかしくないのにと、流一は安代の腿を触ったときの印象を思い出して、ちょっと顔を赤らめた。

 全校生徒を集めて話された内容は、既に皆の知っているところだったらしい。それにしても、大人の行為に関することなど、小学生の自分たちに聞かせる必要があるのだろうか。流一は、空気を抜いたバレーボールをくしゃくしゃにしながら考えていた。

 五年生の女の子たちまでもが、高等部の誰さんと誰さんは仲よしの印をしたんだってよとか、きっとあの二人は結婚するんじゃないなどと言って、しきりに話し合っているのを、流一は変な気分で聞くことがあった。今回も彼女たちは教頭先生の話したことについて蜂の巣をつついたように話すだろう。

 ここでは女鳥羽川の川の水が増えたとか、山の緑が深まり、燕が校舎の屋根に巣を作ったなどという話は出てこない。屋根の下で起こる出来事が話題だった。既に大人になってしまった人たちなら許されるが、自分と同じ年くらいの子たちまでが、学校内の噂を夢中で話すのには馴染めそうもなかった。

 そんな彼らのなかにあって、川井や明男は、ごく一般的な生徒に近いと思った。それでも、流一が盲学校内の雰囲気が少しおかしいと言ったりすると

「それじゃあ栗田、お前たちの学校ではどんなことが話題の中心なんだ」

 と、少し気色ばんで詰め寄られると、内容こそ異なっていてもそれほどの違いはないように思え、人間の考えることの貧弱さに、何となく気が重くなってしまうのだった。

「川井は見えないから幸せというもんさ」

 と、流一が言葉に詰まってそう言うと

「目が見えないことが幸せか。そいつは見える者の逃げ口上というもんだ」

 と、川井は馬鹿にしたような笑みを口元に浮かべ、ぷいと横を向いてしまい、流一が話の接ぎ穂を捜す気力を失うほどの冷たい表情になってしまった。

 流一は、そのことを明男に話すと

「見えないお陰で、知らぬが仏という言葉もあるからな。見えないことは不幸だけれど、全てが不幸というわけでもないさ。栗田のいうように、あるところでは幸せな面もあるんだろう」

 と言ってくれたので、幾分なりとも勇気を得たように思えた。

 二人の男女生徒の停学処分が、教頭先生によって伝えられた晩、流一は同室の荻原さんに詳しい話を聞いた。あまり話したくなかったようだったが、流一は

「教頭先生が全校生徒を呼んで話したということは、全部を知ってもらいたかったんでしょ。だったら、ぼくだって知ってもいいんと違いますか」

 と言ってやった。

「それも理屈だ」

 と荻原さんは笑って話をしてくれた。しかし、話の全てを説明してくれたとは思えなかった。なぜなら、流一が

「どうして仲が良すぎると停学になるの」

 と聞いても、

「大人になれば自然に理解できるようになるから、それまで待つことさ」

と、荻原さんは言って、話を変えてしまったのだ。

 流一は承服できなかったので、荻原さんと同級の茂木さんにも同じことを聞いてみた。だが、彼も荻原さんと同様の答えをしただけで、

「流ちゃんには早すぎる」

 と言って、それ以上、流一の挑発に乗ってこなかった。

 同室には中学三年の金子という生徒もいたが、彼は、

「俺には関係ない」

 と言って、何も言ってくれなかった。

 同じ部屋に生徒がもう一人いた。それは、流一が悪戯の対象にしてきた襄だった。この頃では前ほど彼を目障りに感じなくなっていたが、虫の好かないことには変わりはなく、今では口を利かないようにしていた。だから、学校中の話題になっている停学処分の理由を襄に聞きたいとは思わなかった。

 停学処分を受ける事件とは、いったいどんな状態のものなのかを、流一は彼なりに考えていた。

 人の持ち物を盗むとか、喧華をして大怪我をさせたとか、授業中に騒いでいて、皆の勉強の邪魔をしたということくらいしか頭に浮かんでこなかった。

 悔しいことだが、襄はいきさつを理解しているようだった。うすのろのくせに、こういうことは別問題らしく、襄は顔をくしゃくしゃにして、流一の理解不足を喜んでいるようだった。

 流一が停学処分を受けた生徒の名と、理由を知ったのは、翌日の放課後だった。

「前に言ってたことだけど、カッポさんと江島さんのこと知ってるでしょ?」

 安代は誰もいなくなった教室の机に腰掛け、足をぶらつかせながら話てくれた。流一も机に座って、ぶらつかせている安代の足に自分の足をぶつけながら聞いていた。

「学校で仲よくしているくらいなら停学になることなかったと思うの。あの二人は駆け落ちしようとしたからいけないのよ」

「駆け落ちってなにさ」

「そうか。流ちゃんはわたしより背が高いくせにまだ子供なんだ」

 流一は面白くなかった。いつでも重夫や安代に対して引け目を感じていることを言われ、ぷっと頬を膨らませ、

「そんなことないよ」

 と言ってみたものの、やはり自分は子供だと、安代の大人びたほほ笑みにうろたえながら、彼女の足先を思いきり蹴ってやった。

 安代は蹴られた足先に視線を落していた。

「流ちゃん、そのうちに教えてあげるわ。もう少し大きくなったとき、必ず教えてあげる」

 安代が顔を上げて言ったとき、流一は、彼女の目の奥にきらりと光るものを見て、前に感じた胸のときめきを思い出した。いつの間にか、流一の足は安代の足にしっかり挟まっていた。





  • 第12回へ続く


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