浮き草 第15回




森亜人《もり・あじん》

     五の続き

 尚彦が中門川で掴まえた鯉は、彼の言うように、本当のところ決してうまいものではなかった。それでも、祖父は舌を鳴らして祖母の料ってくれた鯉を食べた。

 祖母は、鍋に鯉を横たえ、背が隠れる程度に水を張り、調味料を入れないで煮る。泡が出なくなるまで煮ると、一旦は火を止めてしまい、十分ほどしてから、今度は味噌や砂糖、それに酒を加え、濡れた新聞紙で鍋を覆う。そうして、火を小さくして煮こむのだ。煮魚という感じより、どちらかというと甘露煮の感じだった。

 その日は日曜日で、松本から巡回ミサのために神父が来ていて、祖母の料った鯉に箸を伸ばしていた。流一はほんのひと口だけ食べた。草むらに横たえられた姿や、きりっとした目が思い出され、どうしても平気な気分で食べられなかった。

 毎週日曜日の夕方、カトリック研究会が開かれ、七、八人の若者たちが集まってくる。道向かいの家の兄妹もそのなかに含まれていたが、八郎という人の声が襖を突き抜けるように聞こえてくるのだが、特に歌を歌うと、流一など関係ないのに、恥ずかしくなるほどの大きな声だった。それでも声がきれいなのは救いでもあった。

 カトリック研究会は、祖母が流一の家にやってきた年の夏から始まったことで、やがて、横浜にいる司教さまに願って教会を建ててもらうのが夢だと言って、日曜日の夕方には諏訪の駅まで神父を迎えにいくやら、知り合いを訪ねては布教するやらで、祖母は溌剌と動き回っていた。

 流一にとって、この日曜日という赤い日は魔の日曜日だった。たぶん、祖父も同じだったろう。古い柱時計を見上げては溜息をついてばかりいた。面と向かって嫌な顔もできず、流一と祖父は隣室の六畳でラジオを聞いていた。

 八畳ではラテン語のミサが上げられていて、声をそろえて皆が祈っていた。どの人もラテン語を理解しているのだろうかと、少し意地悪な疑いを覚えずにはいられなかった。

 巡回してくる神父は優しく、来る度に土産を持ってきてくれた。祖母は、神父が来ると、日頃、祖父にだってしたことのない態度で神父に接した。額を畳に擦りつけるほどの低頭ぶりに、流一は嫌な気分にさせられた。

「神父さまはイエズスさまの代わりなのよ」

 と祖母は言うが、そのイエズスたる人物がどんな人間なのか、流一は知らなかったし、知りたいとも思わなかった。

 それより、腹の空く夕方になど人を集めて馬鹿みたいな言葉で一時間もやられては迷惑もいいところだと、身を入れて聞いているわけでもないのに、ラジオのボリュームを上げてやるのだった。

 浜野という神父は日曜日の夜は必ず泊まっていった。酒は飲まなかったが、如才ない人で、祖父を相手に話をし、ときには流一とも話をした。祖父も祖父で、あれほどミサを嫌っていたにもかかわらず、食事のときには心から楽しんでいる節が見うけられ、そのことも流一の癪の種だった。

 腹を立てたり、神父の話の面白さに笑い転げたりしたなかで、流一の心に残った神父の話が幾つかあった。なかでも、『砂漠の旅人』と、『自然には無駄がない』という話は心に滲み込んだ。

 人が砂漠を旅するとき、ただ歩いていくと、目的地へ到達できない。なぜなら、自分では一直線に目的地を目指しているつもりでも、必ず曲がっているのだ。砂漠は広大で、知らないうちに出発点に戻ってしまうのだ。

 流一は神父の話を信じた。目隠しをして歩いたとき、近い距離ならほぼ直線上を歩けるが、少し距離が伸びると、線上から外れてしまう。たとえ目が見えていても、砂漠は目標が定かでないかぎり、真っ直ぐ歩き続けることが難しい場所なのだ。だから、目隠しをして歩いているのと同じことなのだ。

 サハラ砂漠を旅する人は、南十字星を頼りに旅をしたという。アラビアの商人たちも北極星を頼りに中国までやってきたのだ。小さな帆船で太洋を渡っていくときも同様だったという。流一は、そこに人間の知恵のようなものを感じた。

 またこんな話もしてくれた。

 自然の営みに不必要なものは何もない。雨が降って田畑が耕され、秋に実りを見るのも自然の営みだし、大雨や台風で家が流されたり、作物が駄目になってしまうのも自然の営みだ。人の目から見ると、ひどい目に合ったように感じられるが、実際はそうでないというのだ。美も破壊も自然の営みで、それを司っているのが神さまだという。

 自然を司っているのが神であるかどうか、流一には理解できなかったが、目を楽しませてくれる自然も、災害によって山が崩れたり、地震で家が壊れるのも自然の為せる業だと思っていた。地球が丸いということは、人の上に起こることもさまざまだということだ。

 全てが違うからこそ一つの塊が生じるのだ。太陽の照っている家もあれば、月に照らし出されている家もある。一方では夏で、他方では冬の寒風に静まり返っている場所もある。それが自然だと思っていた。だが、流一には思うだけで言葉に現すことができなかった。

 八月に入った最初の日曜日だった。流一は、祖母と共に、カトリック研究会にくる若者たちと野外ミサを兼ねたハイキングに出かけた。目的地は霧ヶ峰高原だった。日光黄菅が今を盛りと咲いている時期だった。

 高原には人が群れていた。斜面は日光黄菅が咲き乱れ、まるで黄色い絨毯でも敷き詰めたようだった。名は知らないが、日光黄菅にとまっている小さな鳥の姿も見えた。ミサを捧げるには人が多すぎるということで、池のくるみへ降りることにした。

 長い距離だった。近頃では農耕には使われなくなった馬が、観光客を乗せてぽくぽく歩いているのにも会った。祖母が胃に利くといって、毎年のように摘みにくる現の証拠の花も咲いていた。

 流一は子供だったので、先に立って山を駆け上がり、坂を下っていった。蛙原(げえろっぱら)の坂を十数人の大学生くらいの人たちが声をそろえてグライダーの綱を曳いて駆け下っていった。白い鳳凰のような機体が風を受けてふわりと舞い上がると、音もなく頭上を掠めるように飛び上がっていった。

 流一は青空をゆったりと飛ぶグライダーの機影をしばらく見送っていたが、後ろに祖母たちが追いついてきたのを見て、再び原のなかを走っていった。

 周囲は花が群れ咲き乱れていた。こういうところが天国かと思った。気づいてみると、祖母たちの姿はなかった。戻ってみようかとも思ったが、見知った場所が安心を呼び、先に行っていようと、草原を元気よく駆けていった。

 池のくるみは、静寂だった。強清水の賑わいからみると、まるで嘘のような静かさだった。色とりどりの花が咲き、湧水が川となり、渡る風も心なしか爽やかさを感じさせてくれた。

 流一は汗ばんだ肌を風になぶらせ、草原に手足を伸ばして寝転んだ。高い空に綿のような雲が一つ浮かんでいた。人影もあちらに一人、こちらに三人といった間隔で、思い思いのポーズを取っていた。

 流一の寝転んでいる場所からほど近いところに畳表で作ったゴザに、親子づれの三人がいた。大きな握り飯をうまそうに口へ頬張りながら、寝転んでいる流一の様子を三歳くらいの男の子がちらちら見ていた。

 池のくるみといってもかなり広い。バスを下りたところが強清水で、霧ヶ峰の銀座と言われているところだ。しかし、この高原の中心は車山で、和田峠から大門峠まで続く草原や湿原地帯を指している。池のくるみは湿地帯の一部だ。

 十分、二十分と時は流れたが、祖母たちの姿は草原の彼方に現われなかった。大学生のグループが大きな声を掛け合いながら、湿地帯を縫うように伸びている道を走っていくのが見えるくらいなもので、目を閉じていると、ついうとうととしてしまう。

 流一が皆とはぐれたと気づいたのは、三十分も経た頃からだった。知った高原と甘く思っていたことが迷子になる結果を生じたのだ。

 流一は慌てなかった。来た道を戻れば強清水のバス停に行ける。だから、何の心配もなく自然のなかを歩き回った。時間的に空腹のはずだろうが、周囲の景色に魅了され、喉の乾きすら感じていなかった。

 流一の心に不安の影を落しはじめたのは、かれこれ午後も二時を過ぎた頃からだった。祖母たちの姿のないことが不安を呼んだのではない。今まで頭上にひろがっていた青空が色を失いはじめ、たちまち黒雲に閉ざされていったからだった。

 気づいたときには、流一の周囲から人影は消えていた。風が立ち、どこからともなく湧き上がってきた霧が足元を這い、色とりどりの草花の色彩さえ判別できなくなっていた。そのときになって、初めて流一は慌てた。

 流一は走った。下ってきた坂を駆け上がっていった。坂の頂上に達した頃には夕闇より暗く、頭上には雷鳴がひとしきりだった。いまにも雨が降り出しそうで、流一は歯を食い縛り、走った。草に足を取られ、何回も草のなかへ倒れ込んだ。倒れる度に方向を失っていった。

 流一が精も魂も尽きはてるにそれほどの時を要しなかった。心臓は破裂しそうだった。走る行為より、このまま高原の露と化す不安で、流一は大声で祖父の名を呼んだ。祖母と来ていると知りながら、口をついて出たのは祖父だった。

 大声で呼んでは息を止め、耳を澄ませた。自分の助けに誰かが応じてくれるかと、叫んでは耳に手を当てて聞いた。激しい風と、いつ降り出したのか、大粒の雨が流一の頬を殴打した。

 たちまち流一はずぶ濡れになった。雷光が目の前の草原を走っていく。体内を電流が走ったような痺れが流一の精神を昏倒させた。うすれていく意識のなかで雷鳴が轟き、全身を流してしまうような雨が大地を打っているのを感じていた。

 雷鳴がいつの間にか爆裂音と重なり、記憶の深い部分から、闇のなかで身を縮めている己を思い出した。

 大地を震わせる爆裂音。その度に身を縮めている流一の周囲に防空壕の内壁がざらざらと落ちてくる。傍らに文治がいる。はっきり意識できる鮮明さで、文治が熱気とともに肉迫してくる。流一が文治から逃れようと身を動かした途端、文治は消え、さまざまな音が惑乱して流一を取り囲んだ。

 全身を焼きつくすような熱気が、流一を包み込む。逃れようと体を動かすと、わけのわからない痛みが全身を走る。部分的に冷たいものが業火に焼かれる身の苦痛から救ってくれる。それもつかの間のことで、たちまち業火が流一を襲う。

 流一は激しく叩く雨の音のなかに人の声を聞いた。たしかに誰かが自分の名を呼んでいる。それに応じようと、流一は力いっぱい声を張り上げた。自分では大声を張っているはずなのに、自分を呼ぶ人の耳に達しないらしい。相手の声がこれほどはっきり聞こえているのに、なぜ自分の声は相手に届かないのだろう。

 流一は絶望的な悲鳴を上げた。誰にも聞こえない程度だった。しかし、自分の耳には何よりも明瞭だった。その明瞭な悲鳴に流一は意識を取り戻した。


 流一は三日間も眠っていた。いつ、誰が、どのように自分を助けてくれたのか知らなかった。目を覚ますと、祖母が覗き込んでいた。額の大きなほくろが憂わしげに見おろしていた。祖母は痩ていたが、少し見ないうちに頬骨が高くなったようだ。

 霧ヶ峰での雷雨は三十分も続かなかった。たちまち高原は夏の空が戻ってきた。流一が倒れていたところは日光黄菅の群落の中で、たまたま高山植物の監視人が発見してくれたのだった。

 監視人も報告を受けた派出所の警官も子供が一人で山へ来ているはずもないと思ったが、ひどい熱にうなされているのを見て、家族を捜索することをやめ、下山することにした。

 幸いなことに、着ている衣服には流一の住所と名が縫いつけられていた。祖母の口を借りて言うなら、戦争中の名残りということになるのだが。お陰で、時を置かずして西大手の家に伝えられた。

 無論、伝えられたときは祖父だけだったので、祖父の驚きはたとえようもないほどだった。祖母と一緒とばかり思っていたし、まさか迷子になるなどとは想像もしていなかったろう。

 おまけに、急病のため、夏の期間だけ設けられる山の派出所の巡査に運ばれてきたので、祖父のうろたえぶりは尋常ではなかった。

 一方、祖母たちは流一を捜して霧ヶ峰のあちらこちらを捜し回って、山の駐在所へ申し出たときには、既に流一は警察の車で運ばれたのちのことだった。祖父にせよ、祖母にせよ、流一の迷子と急病は晴天の霹靂だった。

 意識を取り戻してからも高熱が続いた。並木通りにある上諏訪病院の先生が毎日注射にきてくれた。四十度ちかかった熱も三日四日と経つうちに徐々に下がりはじめ、十日もするとほぼ平熱に戻った。祖母は責任を感じ、夜もろくろく眠らないで看病してくれた。

 狭い通りの向かいに住む家から大きな歌声がしていた。きっと八郎さんが歌っているのだろう。流一は知らなかったが、毎日、八郎さんと、彼の妹の節子さんが見舞いにきてくれていたそうだ。

 向かいの家はやたらに兄弟が多く、流一には誰が誰だか聞き分けることができないほどだったが、毎日曜、聖歌を歌う声に似ているから八郎さんだと思っていた。その八郎さんらしい声で、町へ出ると、どこへ行ってもラジオから流れてくる上海帰りのリルという歌が軽やかに歌われていた。

 流一は、口の中で八郎さんに合わせて歌ってみたが、自分には合わない歌だと思った。町のサンドイッチマンなら歌えたので、寝床の中で歌ってみた。だが、全身が熱のために気だるいせいか、歌っても楽しい気分にはなれなかった。

 いつも上向きに寝転ぶと天井の節を数える習慣になっていた。今も、目を閉じていても節の位置や形までそらんじている天井の節を右から左へ、頭のほうから足のほうへ向かって捜してみた。

 流一は慌てた。節が無いのだ。たしかに数えきれないほどあるはずの節がないのだ。ただ暗っぽい天井が見えていた。寝ているあいだに天井を張り替えるはずがない。流一は身を起こして目を凝らした。大きく開いて見ても、手をかざして細めて見ても、天井から節が消えていた。

「お祖父ちゃん、天井の節どうしたの?」

 流一は、傍らで寝転んで団扇をぱたぱた使っている祖父に聞いた。

「節がどうしたって」

 祖父が寝たままで顔を横に向けた。

「天井にあった節が消えちまったじゃないか」

「おっ!」

 祖父は呻くように言って身を起こした。そして、万華鏡でも覗き込むようにつくづく流一の目を覗き込んだ。

「お祖父ちゃん、ぼく、また目が見えなくなるのかもしれない…」

 流一は祖父の茶色の目を見て言った。祖父は、丸い大きな鼻をぴくっと動かしただけで何も言わなかった。

―― たとえ見えなくなってもいい。あんなに美しい山の風景を見たんだ。神父さまが話してくれたとおり、自然に不必要なものはない。美しい景色も、全ての破壊も存在して当然なのだ。自分が失明することも自然なのだ。 ――

 流一にしてみれば、失明する大事をこんなふうに考える自分が不思議だった。以前、目の前が真っ暗になったときの、あのなんとも形容のしがたい不安は感じなかった。

 じっと見つめている祖父の視線を外して猫の額くらいしかない庭を見た。朝顔の葉の緑がやわらかい。手前にはダリアの大輪も鮮やかに咲いている。まだ時がある。見えるうちに多くを見ておこうと、流一は冷たくなった額に手を当て、遠くを見る目で天井を眺めわたした。さっきは見えなかった天井の大きな節穴が目に映じた。

 夏休みのあいだ、流一は祖母に伴われて病院通いをした。失明するかもしれない。でも眼科に診察してもらうべきだという祖母に従い、前に手術をしてもらった野中先生のもとへ通った。だが、流一が密かに感じていたとおり、白髪の先生は首を横に振った。

 流一は満足していた。もう失明を恐れていなかった。慣れたというわけではない。池のくるみの周辺を歩き回った印象が、まるで焼き印でもしたように、まなうらにくっきり刻印されていた。それが流一の心を和ませてくれていた。

 診察室の窓枠まで這い上ってきている蔦の青さが目に滲みる。しばらく見ないうちに、蔦は病院全体を蔽っていた。その青さと、高原の色とりどりの景色が重なり合い、流一は、自分が今、将来失明すると宣告されているにもかかわらず、何ともいえない気分になっていた。

 夏休みも終わりに近づいた朝だった。いつものように雀の声で目を覚ました流一は、天井の節どころか柱時計の針も消えていることに気づいた。待っているつもりはないが、本当に日一日と失明に近づいていることを実感した。だが、このことは祖父にも祖母にも言うまいと思った。

 来るべきものを待つという穏やかな感情に、流一は、深い色をたたえた浜野神父の笑顔を思い浮かべた。別に神を信じようと考えているわけでもないが、静かな笑顔を持つ神父の心と、池のくるみで見た景色と、どことなく似かよっているように思えた。

―― 松本へ戻ったら教会を訪ねてみよう。 ――

 本当の教会を知らない流一は、浜野神父の住んでいる教会へ行ってみたいと、漠然と考えていた。神父に会って教理を学ぼうという気持はなかったが、二年前に祖母に連れられていったときに感じた粛々とした心になってみたいと思った。


 夏休みが終わり、流一は松本へ戻った。戻る日は日曜日だったので、寄宿舎へ帰る前に教会を訪ねてみようと、松本の駅から歩いて松本城の横を通り、幼稚園の建物と同敷地内にある古い木造の教会へ入っていった。入るときは少々の気後れを感じたが、小さな子が飛び込んでいくのに釣られて、礼拝堂へ入っていった。

 礼拝堂ではミサが始まっていた。畳を敷いた広い部分と、たった二列しかない椅子席が、通路を挟んでいて、浜野神父が説教をしているところだった。堂内はステンドグラスに光を受け、神秘的な雰囲気に包まれていた。

 流一は最後部の椅子に腰をおろし、額の汗を手拭いで拭いた。左右の畳は人でほとんど埋まっていた。前のほうに子供たちが並んでいて、後ろへくるほどに老人が目立った。祭壇に向かって左が女の人ばかりで、右に男の人が座っていた。

 流一のすぐ後ろに階段があり、中二階の高さくらいなところにも人が何人かいた。その人たちは座るところがなくてそこにいるのかと思ったが、やがて、その人たちが聖歌隊であることが知れた。きれいなソプラノが堂の中に流れると、一瞬ではあったが、外で鳴き立てている蝉の声も止んだように思えた。

 流一は、胸いっぱいに響く声を聞きながら目を閉じた。瞼の裏に池のくるみの景色が現れてきた。桃色の乳茸刺、白のハナ乳茸刺、青紫の白山風露、同じ青紫でも少し色の具合が違う九蓋草など。淡いものから毒々しい色のものまでが、互いに肩を寄せ合って咲いている風情を思い出す。

 オルガンの演奏が優しくなり、流一の前に座っている老若男女が一斉に、

「身も霊も主に捧げ」

 と歌いはじめた。

―― みもたまもってなんだ。主って誰のことだ。神父さまがいつも言っている神さまのことか。それともキリストのことか。 ――

「御心に委ねまつらなん」

 聖歌といい、祈りの文句といい、流一にはさっぱり理解できなかった。まして、ラテン語になるとなおのこと陳腐な気がした。

 流一は皆が立ち上がったので立たなければいけないと思い、のろのろ立ち上がると、不意に後ろから本が目の前に突き出された。驚いて振り返ると、若い女の人がにこやかに立っていた。どこかで会ったことのある顔だったが、流一は思い出せなかった。女の人のほうは流一のことを知っているらしく、覗き込む目に優しみがあふれていた。

 ミサは流一の感覚とは無関係に進められていった。やがて多くの人が通路に出て、祭壇に向かって歩き出した。後ろに立っていた女の人も流一の肩にそっと手を置いて列に加わって、祭壇に近づいていった。聖体拝領だった。キリストの血と体を受ける最も重要な儀式だった。皆は祭壇の前に進むと、横一列にひざまづき、浜野神父の手から直接聖体を口に入れてもらっていた。

 ミサが終ると、神父は通路を走るように後ろへやってきて、流一の肩を抱き、今も流一の後ろに立っている女の人の目をじっと覗き込むようにして話し出した。

「伊藤先生、この子は盲学校の寄宿舎にいます。家は諏訪ですがね」

 と言った。伊藤先生と呼ばれた人は、神父が話すあいだも話し終わったあとも終始無言だった。そのときになって流一は思い出した。

 夏休みに入る前、スポーツ公園で盲学校の先生と、聾学校の先生たちとでバレーボールの試合を行なった。流一は青柳先生について試合を見にいった。そのとき、たしかに聾学校の先生のなかにこの人はいた。しかも、この先生は耳が聞こえないことも知った。だが、この人は、人の話すことは全て理解できた。

 流一は、耳が聞こえないのにどうして人の話がわかるのか不思議に思ったものだ。今も神父の話を理解して大きく頷いていた。流一は、ミサが終わってぞろぞろ通路を歩いてくる人たちに混ざって玄関へ歩きながら、何か温かいものに触れた気分で、伊藤先生と肩を並べて外へ出た。

 外では、礼拝堂内とうってかわって大人たちの話し声や、子供たちの叫び声で満ちていた。浜野神父は流一の肩を押すようにして一人の婦人の前に連れていった。その人の周りに四人の子供が神父を見上げて口々に挨拶をしていた。

「だったらわたくしどもが流一さんを誘いに行きましょう」

 その人は神父の話を聞き終えると、流一の顔を覗き込むようにしてそう言った。話によると、鈴木というその人の家族は、盲学校の近くに住んでいて、バイオリンを製造しているとのことだった。

 夏の盛りは過ぎたものの、昼ちかい通りは目が痛いほど照り返していた。





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