浮き草 第3回




森亜人《もり・あじん》

     一の続き

 五月九日の日曜日、流一は、今津へ来たときから持っていた継母へのこだわりの一部分ではあったが、それが崩れ、そのあとに親しみのような味のする経験をした。

 その日、礼文島を中心にして、かなり広い範囲で見られる皆既金環日食があった。このころになって同級生の子たちと馴染むようになり、外で遊んでいた流一は、空がどんどん暗くなっていくことに不安を感じて家に帰ってきた。

 継母は庭にいた。流一の足で五回くらい飛べば隣家の塀にぶつかってしまうほど狭い庭だったが、食料難を少しでも助けるために、砂地を利用して、さつま芋を栽培していた。

 流一が部屋の中から覗いてみると、継母はろうそくに火をともして何かしていた。部屋の中に流一のいることに気づいた継母は

「流一さん、ちょっといらっしゃい。いいもの見せて上げるわよ」

 と言った。

 流一は、『いいもの』と聞くと、一瞬ではあったが、小鼻がぴくぴく動いて体が前にのめったが、実母の思いつめた顔を思い出してぐっと身を後ろに引いた。しかし、二度目の継母の声に流一は急いで外に出ていった。

 継母はろうそくの煤で黒くなったガラスのかけらをかざしていた。

「流一さん、見てごらんなさい。お月さまが見えるわよ」

 継母は唇をほころばせて流一にそう言った。

 流一の知っている月は、夜の闇を明るく見せてくれる光だった。自分が歩くと一緒に動き出す。自分が止まると止まってしまう。周囲の景色を墨筆で描いたように見せてくれるのが月だった。

 諏訪湖の水に浮かぶ青白い月光や、周囲に傘を被った春の朧月であった。だから、煤の付いたガラスの中に映っている黒い塊が月とは思えなかった。しかし、昨日の授業が終るとき、担任の先生に、「あした天気だったら日食が見えるはずだから家で見なさい」と教えられていたので、目の前にかざしたガラスの中に見えている黒い塊が月だと信じるほかなかった。

 継母は、日食がどうして起こるのか、学校の先生よりわかりやすく説明してくれた。流一は、優しく話す継母に対して、今まで隔てがましい思いでいたことが悪いことのように思えてきた。それと同時に、本当の母だったら、日食のことも知らないし、たとえ知っていてもこんなふうに上手に説明できないだろうに、と考えていた。

 産みの母との生活と比べ、継母との生活は、体のどこかがいつも張りつめていた点を除けば、日食を並んで見た日から数ヶ月間は幸福な時期だった。

 手を繋いで銭湯にも行った。買物篭を二人で提げて、歌をうたいながら帰ったこともあった。また、父と三人で宝塚へ行って歌劇を見物したり、植物園で父も流一も知らない南洋の植物の説明もしてくれた。

 その優しい継母が、妹になる子をクリスマスに出産してからは次第に流一の手の届かないところへ一歩一歩遠ざかっていった。

 今津の小さな家から甲子園の家に移ったのは、翌年の冬のことだった。そこは今まで住んでいたところより敷地も広く、家も大きかった。

 家の南は目の届く限り、焼け野原だった。大きな邸宅の庭だったらしく、石灯篭や、ほこらの崩れたのが散らばっている中に、鮒や泥鰌がたくさん泳いでいる池もあった。

 何より流一を喜ばせてくれたのは、今では爆撃のために焼け野原になってしまった公園の跡地にある池で釣りができることと、蔦の絡んだ球場を仰ぎ見ることだった。

 流一は甲子園球場の周囲が好きだった。爆撃で焼け野原になっている空地には木こそ生えていなかったが、荒廃してはいるけれど、そこには自然がたくさんあった。池へ行くと、鮒が面白いほど釣れたし、泥亀もいた。親戚の妙が簡単に掴まえたギンヤンマもたくさんいた。三キロほど行くと狭いけれど水のきれいな浜にも行けた。

 球場の周辺では、今津にいたときには見たこともない進駐軍のジープや隊列を組んだアメリカ兵の姿を見ることもできた。

 三年生になると、今津の小学校から成尾の小学校へ移った。毎年のように学校が変るため、流一は学校に馴れることで気をつかい、学業にあまり身が入らなかった。そのため、成績のほうは芳しいとは言えない状態だった。

 甲子園の家の周囲は流一の家のように、どこからか出て来た家族がほとんどだったので、流一と同い年の子供たちが多かった。その中で、同級生の二人が流一の遊び友達となった。

 その二人をとおして、次第に二人三人と友達が増えていったが、どの子も勉強より外で遊ぶことに夢中だったので、自然、流一も戸外を好むようになった。

 甲子園に夏がやってきた。球場が特に賑わうのは何と言っても阪神・巨人戦だった。阪神電鉄の甲子園の駅から球場まで人の列が続き、球場から漏れてくる人々の歓声は、球場が揺れるほどのどよめきとなって、流一の家にまで伝わってきた。

 球場を取り巻くように並んでいる人たちの中には一人二人と列を離れて、並んでいる人たちを尻目に、爆風で傷ついた外壁の裂け目に足を掛け、さっさと窓枠に掴まって場内へ入り込んでしまう元気者もいた。それをまねて、窓枠に手をかけたところを見つかり、足を引っ張られて地面に尻餅をつく者までが現われるほどだった。

 流一も同級生と一緒に、大人の影に隠れて球場内に潜り込み、熱気でむんむんしている外野の最上段から、阪神・巨人戦を観戦した。

 そうこうしているうちに長い夏休みに入った。流一は、久しぶりに父と継母に連れられて田舎へ帰ってきた。

 上諏訪の駅に降りると、温泉の匂いが鼻孔をくすぐった。流一は継母のパラソルを両手で握り締め、何もかもが懐かしい機関庫裏の路地を走っていった。どぶに渡した木の橋の上に盥を置いて、洗濯する光景も懐かしかった。

 路地の中ほどまで走ってきたとき、盥の水を勢いよくどぶに捨てている女の子の後ろ姿を見て、流一は走るのをやめ、足音を忍ばせて通り過ぎようとした。なぜなら、前の学校の同級生に会うのが恥ずかしかったこともあるが、すぐ後ろからやってくる父たちと、自分との関係を知られるのが何となく嫌だったからだ。

 だが、狭い路地の中では気づかれないように走り抜けることは不可能だった。同級生は「やあ流一さんじゃない。ずいぶん会わないうちに真っ黒になったね」と言って、白い歯を出して嬉しそうに笑った。流一も本当は嬉しかったが、後ろが気になっていたので ―― 自分のほうが昔から黒いくせに。 ――  と、口を少しとがらせて呟きながら、祖父母の家に向かってスピードを上げて走り出した。

 懐かしい通りは一年半前と見たところ何の変化もないように思われた。温泉が流れ込んでいるどぶ川は、今は湯気も見えないが、冬のあいだ、全体からほっほと湯気が立ち昇るはずの光景も前とちっとも変わっていなかった。

 それらをゆっくり眺めながら祖父母の家に行きたかったし、細長い小さな家を外から眺めても見たかった。しかし、同級生の声が自分を追ってくるのを聞いて、家のたたずまいを見る暇もなく玄関へ飛び込んでいった。

 障子も唐紙も外してあるために、奥の八畳まで見通すことができた。

 祖父母は思い思いの姿勢で寝転んでいた。祖父は座蒲団を二つに折って枕にし、片足を一方の立てた膝に乗せてうちわを使っていた。祖母は瀬戸で作った箱枕をして腹の上に座蒲団を乗せて、これもうちわをぱたぱたとあおいでいた。

 流一がいきなり玄関に飛び込んでいったので、二人は大いに驚き、祖父などは少しでも早く流一のところへ来るつもりなのか、畳の上を泳ぐような格好で手足をばたつかせていた。

「どうした!流一は一人で来たのか?」

 やっと玄関に泳ぎついた祖父は、流一を抱き上げながらそう言った。

――どうしてお祖父ちゃんもお祖母ちゃんも知らないのだろうか。三日ほど前に、きょうのことを葉書で出したと父は言っていたのに…。 ――

 その疑問は次の日になってわかった。祖父に早速買ってもらった捕虫網を持ってトンボを取りに出かけようとしているところへ、郵便配達が葉書を届けてくれたのだった。


 流一にとって、一日まるごと自分の自由になる日々が始まった。

 八月一日がきた。諏訪大社の下社でお舟祭りがある日だった。流一は、初めて祖父に祭りへ連れていってもらったという理由からではなく、もっと違った意味で、この日は心に深く刻み込まれた。

 お舟祭りというのは、諏訪大社の神、建御名方富命の妃で、春宮に住む八坂刀売命が秋宮へお渡りになるという行事だった。八月一日に秋宮に渡り、翌年の二月一日に再び春宮へ戻ってくる行事で、遷座祭と呼び、先祖を祝う意味も含まれているが、避暑・避寒の意味もあると伝えられていた。

 流一は、午後になったら祭りに連れていってもらう約束を祖父としていた。だから、午前中はトンボ取りをしようと、高島城の城跡に出かけていった。そこへ行けば、尚彦や義和にも会えるような気がした。

 公園は静かだった。トンボを追って走りまわっていた流一は、一つの発見をした。

 それは、群がり飛ぶトンボの姿より小さく、もっと細い、まるで糸のようなものが無数に空を駆けめぐっていた。それが何であるかたしかめようと目を凝らすと、たちまちその物体も、その上に広がる空までもがくるくると回り始めるのだった。

 流一は繰り返し空を見上げた。密生している桜の葉の隙まから落ちている陽の光の周囲にも、数え切れないほどの虫が飛んでいた。

 公園ばかりでなく、西大手の家に帰る道々でも試してみたが、結果は公園でのそれと同じだった。

 家へ入る前に、猫の額くらいしかない畑の隅に立てられたササギの支柱を見上げてみた。

 竹竿の先にトンボが止まっている。空中を浮遊する虫の影とは違う。トンボの美しい尾が微風に揺れているのも間違いなく見えているのに、それより高いところに舞う虫は、形を異にしたものの集まりのように見えた。

 その事を祖父に言おうか言うまいか流一は迷った。そして祖父には何も言わないことにした。言えば楽しみにしていたお舟祭りに連れていってもらえなくなると思ったし、場合によっては、大阪へ連れ戻されると恐れたからだった。

 午後、流一は祖父に連れられて下諏訪へ出かけていった。秋宮から春宮にかけて、通りは人でいっぱいだった。いろいろな店も出ていた。しかし、浜甲子園の海の近くにヨシズを張って並ぶ店のように、白玉粉を丸めたのに砂糖蜜を掛けたものや、ラムネを売る店は見つからなかった。

 楽しみにしていたお舟祭りも流一にとって不安な思い出にしかならなかった。

 行き帰りのバスの中から見た景色が、公園のときと同様にくるくる回ってばかりいて、しっかり見つめようとすればするほど、見るもの全てが激しく回り出すのだ。

 夕陽がきらめく湖面は、いつも見慣れている姿と違い、どこかいびつだったし、湖畔にあるバルブ工場の煙突も曲がっていた。それらは、今まで経験したことのない現象だった。

 それでも、流一にとって、この夏休みは楽しいことのほうが多かった。ときおり襲ってくるめまいはあったものの、諏訪湖で釣りをしたり、祖父に連れられて映画を見に行ったりした。

 流一は旧盆が過ぎてから大阪へ帰っていった。塩尻まで祖父が送ってくれたが、あとは大阪まで一人で十二時間も汽車に揺られて帰っていった。

 諏訪での楽しい思い出を心につめ込んで帰ってきた反面、高島公園で経験しためまいは甲子園に帰ってからもしばしば流一を襲った。

 流一は自分の身に起こっているこの現象を、父や継母には絶対に言うまいと言い聞かせていた。いつも心のどこかで、『死んでも言うもんか』と思っていた。

 めまいが激しいときは、間もなく自分の目は死んでいくのだろうと思ったし、頭痛のため立っているのも辛いときは、頭がだんだん死んでいくのだろうと思ったものである。運悪く吐き気と戦っているとき、不機嫌な父の目に止まると流一にとって地獄だった。

 父は流一の憂欝そうな顔を見るなり、眼鏡のレンズからはみ出るような目で流一を睨みつけ、口より先に拳が流一の顔を横に払うのだった。憂欝そうな表情の元が体の内部からきていることなど、父は露ほども思っていないのだ。継母への不満としか見てくれていないらしかった。

 それ故、自分の体に起きた変調を知られてなるものかと、父が暴力を奮えば奮うほど、憂欝そうな顔を作り、父の怒りを募らせてやった。そうすれば、一日も早く死ねると思ったので、継母の目を盗んで鏡の前に座り、憂欝な顔を作る練習をした。

 少し口をとがらせ、寄り目にして下から父を見上げるポーズは、大成功だった。父は

「なんだその顔は!」

 と言って、拳ばかりでなく、足までもとばしてきた。

 流一は勝ち誇った思いと、これも父への抵抗として、殴られる下から笑ってみせた。

  継母は、父の乱暴に対し、本心からか流一にはわからなかったが、形として、父の振り上げた腕にしがみついてくれた。父は継母の涙を見ると、荒々しい息を吐きながら流一から離れていった。

―― ふん、お父さんはぼくのお母さんを捨てたくらいだから、この人に惚れとるんや。だもんで、お継母さんの言うことなら何でも聞いてやるんや。 ――

 流一は激しく殴られた痛みの下でそう思い、それなら幾らでも殴ればいい。どうせ生きていたってもうすぐ死ぬに決まっているから殴り殺してくれればいいんだと、拗強の念を募らせていった。

 秋の大運動会の日がやってきた。

 流一は駆けっこに出たが、六人で走って五番目だった。本当は一番になれたのだが、カーブのところで転んでしまい、それでも最後のところで一人だけ抜いて五番になった。

 賞品に鉛筆を一本もらって友達と三年生の仲間のところへもどってくる途中、妹を抱いた継母に会った。

 まさか運動会を見にくるとは夢にも思っていなかったので、遠くから見たとき、若くて綺麗な人が子供を抱いてこちらを見ているようだが誰の母親だろうくらいにしか思っていなかった。

 ところが、近づいてみて、それが継母だと知ったときの驚きは、流一を思わずのけぞらせた。大きく口を開き、目をいっぱいに見開いて、目の前に立って何か声をかけてくれている継母に対し、呆然としていた。

 友達が流一と継母の顔を交互に見比べて、これもぽかんと口を開いているのに気づくと、流一は急に恥ずかしくなった。

 だから、一緒に肩を組んで歩いていた増田が

「栗田のおかあさんは若いんやねえ」

 と、少し羨ましそうに言ったときなど、顔から火の出るほどだった。増田がそう言うと、太田が

「あたりまえや、増田のおかあさんはもうおばあさんやもんなあ」

 と言って、増田の足に自分の足を絡ませた。

 増田と流一は弾みをくらって太田を下に横に倒れ込んだ。と同時に太田が悲鳴を上げて泣き出した。流一と増田は、すぐ起き上がって倒れたままでいる太田を見ると、右の腕の真ん中あたりが少し盛り上がっていた。

 担任の先生に呼ばれてその間の事情をたずねられたが、流一は増田も自分も悪くないと主張した。

「じゃあ太田は自分で自分の腕を折ったのか?」

 と、先生は流一たちを詰問した。流一は

「そうです」

 と応えた。増田は下を向いているだけで何も言わなかった。

「それでは太田は自分でどのようにして腕を折ったか説明しろ」

と先生は流一の肩を押さえて言った。流一は、一方的にこちらを責める先生に対して不服だったので

「それは太田が一番よく知っていると思います」

 とそう言って、先生の目をじっと見つめていた。しばらく流一を睨みつけていた先生は流一から視線を外して

「増田、お前もそう思うか」

 と、今度は増田の肩を掴まえて言った。増田は心細そうに小さく首を縦に振った。

 先生は流一たちを許してくれた。流一は許されて当然だと思っていた。増田が、 「栗田のおかあさんは若いんやねえ」

 と羨ましそうに言った裏に、流一は増田の心の優しさを感じたからこそ、日頃の流一にはみられないような毅然とした態度が取れたのだった。そんな増田をからかう太田の愚かしい態度が許せなかったことも手伝っていたかもしれない。

 甲子園球場の南はアメリカ軍の集中爆撃で全て焼き尽されていた。石炭殻を撒いた空地は流一たちにとって格好な遊び場所になっていた。

 野球ではなく、自然を相手にする遊びを思いついたときは、秋の陽が海の彼方へ沈むまで、たとえ友達がいなくても流一は遊びに興じていた。

 遊びを邪魔するように、アメリカ兵が隊列を組んで行進してくると、急いで電車通りを越えて、住宅のあるほうへ逃げた。そこも焼け野原だったが、球場側と違い、池があったり、小さな流れもある自然だらけの地域だったので、野球が出来なくなったと言って文句を言う友達と違い、流一はそこでも遊びを見つけて大いに楽しんだ。

 夕暮れになると皆は家に帰っていったが、流一は、一人ぽっちになっても球場の外壁にボールをぶつけて遊んだり、池の周囲で、倒れた石灯篭や壊れた煉瓦を相手に遊んだ。

 今では伝い歩きができるようになった妹。細い目を一層細めて頬ずりしている継母。流一は、そんな家に帰っていくことに何か抵抗を感じていたので、家に帰る足は誰よりも遅くなりがちだった。

 それでも進駐軍が日本の女を連れてくると、慌てて逃げ出した。路面電車が通う広い通りを横切り、春には苺の白い花が咲く畑を駆け抜け、家の前まで全速力で走ってくる。だが、触るとトゲの刺さる塀を目の前にすると、すんなり入っていく気にもなれず、いつも塀の外でぐずぐずしていた。

 ときにはアメリカ兵と日本の女がやってきても逃げ出さないこともあった。ほかの兵隊と違い、着ている服も立派だったし、共にいる日本女性に対しても礼儀ただしかった。

 その兵と一緒にいる日本の女の人は、いつ、どこで会っても気になる人だった。着ている服は派手だったが、パンパンのように髪を染めたり、濃い化粧をしていない人だった。

 多くのパンパンは、髪を真っ赤に染め、赤く塗り込んだ唇のあいだからは、いつもガムがのぞいていた。しかし、その人がガムを噛んでいるところなど一度も見なかった。

 背は高く、痩身だった。阪神電鉄の駅を降りたところに少し小高くなった松林がある。流一は、その人が林の中をうつむいて行ったり来たりしている姿を見かけたこともあるし、成尾の市場で買い物をしているのを見かけたこともある。

 流一が少し離れたところから見ていることにも気づかないらしく、遠く焼け野原の彼方に視線を投げていることもあった。




  • 第4回へ続く


  • 浮き草ページへ戻ります


  • サイトトップへ