@ 大保中台遺跡
遺跡は 金峰山 の奥で、標高 300メー
トル程に位置し、熊が出るとの噂もあり
ビビリましたが、雨も上がり 素晴らしい
紅葉も見ることができました。
標柱はありましたが説明板はなく 縄文
時代の住居跡と すぐに分かる人 は少
ないのではないか と感じました。
⊥
A 光明院獅子頭
明沢地区榊原家に代々伝わる個人所有
の物でした。榊原家は 先祖が奈良出身
の修験者で信言宗という事です。
金峰山の麓で 平になっている場所で水
が出ている付近を全化森といい、天蜜全
化から取った言葉でした。
明沢地区の人達は、沢口神社の御札と
光明院獅子頭を持参、道満峠を越え、
岩手県南部地方の小正月行事 ( 悪事
災難除け ) に出かけたといいます。
当時の人達の生活様式が分かり 興味
をそそられました。
標柱も説明板もありませんでした。
『郷土文化財管理保存状況確認作業 』 を行って 堀田 賢逸
平成18年11月13日、平鹿町歴史研究会は郷土に伝承されている有形、無形の文化財の
現状確認作業を行いました。
この確認作業は、横手市から ’ 平鹿町歴史研究会 ’ に委託された事業で、場所は平鹿町
内の 27箇所 です。
参加者は、柿崎会長、事務局の菊地さん、小杉さん、そして副会長の私の四名です。
私が行った場所で感じたことをご報告したいと思います。
郷土 ( 平鹿町 ) 文化財管理・保存状況確認作業を行いました。【 平鹿町歴史研究会 】
B 三島八幡神社 仁王像
三島八幡神社 仁王像は 何回も見ていた仁王像で
すが、仁王像の事で説明を受けた事は無く、聞いて
なるほどと見直しました。
三島八幡様は多くの人が訪れる場所なので 、説明
書きがあれば最高だろうな と感じました。
仁王様の前に ’ 馬鞍石 ’ があり、馬鞍には 職人
が二十人もいて ’ 石灯籠 ’ を造っていたという説
明を受けただけで 地域が好きになる と思いました。
そこで 私なりに説明板 に書く言葉を次のようにまと
めてみました。
皆さんの ご意見 をいただければ幸いです。
□ 三島八幡神社 仁王像
仁王像は 息を吸う像と息を吐く像 の二体で成り立ち、神社の門番をしていた。
本体は緑色凝灰岩 ( 馬鞍石 ) で、台座に 大隈 の名前がある。
馬鞍には昔、石屋が十軒ほどあり、大隈はその内の一軒である。また 馬鞍 には 竹沢
という芸術家で彫刻が上手な家があり、石灯籠等を造っていた。
緑石凝灰岩 ( 馬鞍石 ) は馬鞍の石切場 から切り出され、石切場は 機械沼 から五分
程度で行くことができる。
仁王像の入っている門は、昭和五十六年八月二十六日の 三十分も続いた強風で門西
の大木が倒れた際、門が壊れ傾いたが仁王像はその肩で支え 門が倒れるのを防いだ。
その後 門は ボルトやすじかい で補強され、板で囲われた。門は栗材でできている。
仁王像は 神仏分離令 で 廃仏毀釈の気運が盛り上がった時、仁王像があまりに大きく
容易に捨てられず、少しの間 待って欲しいと言っているうちに気運が下火になり難を逃れ、
今日に至っている。
C 板碑
明沢 香最寺 にありました。 板碑には 梵字 が彫ってありました。
板碑は東北地方にたくさんあるとのことですが、梵字が解らず勉強が必要と感じました。
D 中山焼甕 ( やきがめ )
慶応四年 ( 1868年 ) 旧角館町白岩
から 木元久吉という人が中山に来て、
瓶、煉瓦等を焼いたのが始まりとのこと。
高速道路を建設した時、焼甕と人形が
出てきたとか、中山焼甕を個人所有して
いる 小松屋さんが、ぶどう畑を開墾した
時、登り窯を発見したとか、足で歩いて
知る。 興味深い地域の事。
楽しい一日となりました。