GPXについて妄想を語ろう。
カワサキにおけるGPXの存在位置。
言うなれば、GPX版「知ってるつもり」か「そのとき歴史が動いた」
K100RSが入院中なので(2007年6月ごろ)、GPXで精力的に乗りまわっているんですが、・・・・・・やっぱり良いねェGPX。
去年20周年もやったりして一部では人気があるのですが、カワサキ車としては非常に地味な存在で
GPZやZZ−R系のように雑誌の特集で過去を振り返るようなことも無いのはGPXファンとしてちょっと寂しい気がします。
そこで、「無いなら、作ればいいじゃないか!」と、GPXのことを特集記事みたいな形で書き綴ってみようかと。
そしてプラスアルファの内容としてGPX前後の車種も引き合いにだして「どうしてGPXが誕生したか?」の原因も探ってみたり・・・・。
まあ、ほとんどが個人の想像の産物だしマチガイも一杯あるでしょうから、「遊び感覚」で見てください。。
こうでもしないとネタが続かないんです。
まずは「なんでGPXシリーズを作ったか?(特に750R)」
多分、「カワサキがいろんな面で反省して作ったバイク」ではなかろうかと思うのです。
過去の車種構成から見ると、そういった想像が出来るようなところが結構散見出来る・・・・・・・というか想像してしまう。
GPX誕生以前のカワサキでの出来事@。
カワサキはZ1から始まる大型バイクの車種構成の中で、GPZ1100までの空冷エンジン時代はいわゆる「フェザーベット」と
言われるダブルクレードルフレームを使ってました。これはその下の750クラス・・・・Z1のお下がりエンジンを
同じようなフレームに乗っけて使ってたZ2から650ベースのGPZ750Fなんかも・・・・でもほぼ同じ。
パイプ構成は違えども、そのフレーム形状を区分けするなら「ダブルクレードルフレーム」と呼ばれる種類の中に入ります。
※あえて言うなら、カワサキ初大型水冷バイクのZ1300もダブルクレードルフレームみたい。
そして、水冷エンジン時代のGPZ900Rではエンジンもフレームの代わりをさせる「ダイヤモンドフレーム」と呼ばれる形状を
採用します。そのお下がりのGPZ750Rも当然一緒。
その後、スチール角パイプフレームでペリメター型のGPZ1000RXを作り、さらにはその下のクラスでアルミもしくはスチール製
角パイプフレームのGPZ600・400RやKR250を作り、・・・・・・なんか色々と新しい車体構成をチャレンジしてるんです。
アルミ角パイプフレームのKR250
ちなみにGPで走ってたワークスKRのフレームはスチールパイプのダブルクレードルタイプでした。
しかも、ワークスKRとは似ても似つかないデザインなんだよなぁ〜。
アルミ/スチール角パイプのGPZ400・600R。
上のKR250と似てるフレームの取り回し方をしてます。
400の方は、3年連続売り上げ日本一になったらしい。
こんなバイクがねェ。
そして、話題のGPZ900・750R。
色までまったく一緒。
まるでクラ○ンの3000ccと2000cc。
カワサキではそれまでの空冷エンジンから水冷エンジンへ主力エンジンのラインナップが変わったことで、
車体関係も「何か変わったことやらなきゃ」と気張っていろいろと暗中模索してたんでしょう。
そういった「変わったこと」の中に、フロント16インチタイヤとかアンチダイブフロントフォークとかがあったのでは?
しかし、そんな車体(フレーム)構成をカワサキ自身が気に入らなかったのではないのか?。
それまでのダブルクレードルフレームでの車体操縦性に比べたら、どのバイクも何か変だったのでしょう。
いろいろと新しいフレーム形式にチャレンジしたものの、カワサキ自身が納得するようなモノにはならなかったんじゃない?
納得するようなモノにはならなかったけど、『まあ、こんなモンやろ』ってな感じで市場には出しちゃった。
そして、世間(日本)ではそんなバイクと「カワサキらしい」と評価してたと・・・・・・・・。
GPX誕生以前のカワサキでの出来事A。
けれども、そんな世間(日本)の評価とは関係なく世界中のカワサキディーラーからはいろんな注文が付いたんでしょう。
GPZ1100の代わりに水冷GPZ900Rが出たときには多分・・・・・・・
何で900ccなんて中途半端なバイク作るんだよぉ!早く1000ccのバイク作れよぉ〜!
・・・・って注文がついて、GPZ1000RXが出たんでしょう。ただ、ちょっと急いで作りすぎたバイクみたい。
それはGPZ900Rに比べたら余りにも「カワサキすぎる」仕上げを見れば想像できます。
粗いフレームの溶接跡や無神経なほど細かなカウル分割面やデザインと機能のチグハグな様子を見ると・・・・・・・・
GPZ1000RXの誕生をアニメオタクっぽく例えるなら
腐ってやがる!!・・・・・・早すぎたんだ!(某ナウシカより)
ただ、GPZ1000RXのデザインを見ると後のGPXシリーズのデザインを先行させたデザインになってるんで、
※ よく調べたら発売順にGPZ900R→GPZ1000RX→GPX750R→ZX−10って順序でした。
エンジンやフレームで頑張るだけでなく、デザイン的にも頑張ったモノにしようとしてたみたい。
うん、ガンパリは認めよう。
GPX750Rのシート下にもある吸気用と思われるルーバー。
GPXとZX−10は実際エアクリーナーの近くにあるのですが、
GPZ1000RXは全くつかえないモノになってます
(ステアリング下あたりからシュノーケルみたいのでエアクリーナーに吸気してます)
構造的には似て無くても、デザインはGPX系のを取り入れてます。
GPX誕生以前のカワサキでの出来事B。
こういったことが起こっていたと想像出来る80年代前半のカワサキ。
同時期に起きた出来事として、レース界からの撤退劇がありました。
82年にKR500でチャレンジしてたGP500から撤退、83年にUSカワサキがアメリカAMAでのレースから撤退。
辛うじて、耐久レースメインで活動してたフランス・カワサキが残ってたくらいでした。
そのレース撤退の影響なのか、GPZ900Rのフレームの開発にはGPチームも参加したと噂され、その形状は、KR500っぽい
フレームに。(KR500はモノコック構造のフレームでしたけど)
KBMによると、開発途中のGPZ900Rのフレームのアンダーループ部分を切ってしまったらしい。
理由が「操縦安定性に納得する結果を得るため」とか。本当か?
KR500だって、結局操縦安定性の面で大した結果も残せずに消えてったのに、そんなフレーム開発した人らを入れたって・・・・
そういったこともあってか、GPZ900・750Rが発表されてもUSカワサキはそれを使わず(使えず)レースから撤退した・・・・・
ようです。
無理してアンダーループを切る必要なかったんじゃないの?
まあ、切らなくてもフレームの基本構造はGPZ1100あたりと似たり寄ったり。
USカワサキでのAMAレース活動を振り返ると、
82年までZ1000MkUやZ1000Jベースの1000ccバイクで参加して、83年に排気量の上限が1000ccから750ccに
変更されてからは、カワサキ唯一の750ccバイクであるGPZ750で参加せざろう得なかったのは有名な話でしょう。
※この排気量変更は世界的な変更事項で、AMAが83年からFIMが84年から適用したみたい。
その83年シーズンが終わってからGPZ900・750Rが発売されたのに(確か84年)、なんでUSカワサキが新しい水冷エンジンの
・・・つまり、GPZ750Rを使わなかったのか?
それは、USカワサキで活躍してたロブ・マジー氏の苦労話を聞いて想像を膨らませると見えてきます。
Z1から進化した車体とエンジンの80年代当時でも古臭いZ1000Jでレースをしてたのに、83年シーズンにあてがわれた
GPZ750は75年設計のZ650からの発展系のバイク。
一方、ライバルのホンダは空冷4気筒のCBから新型水冷V4のVFへバイクを変えて参戦。それも大金にモノ言わせて
大量にVFを参戦させてました。やり方がイヤらしいね。
ってことは、マジー氏は「古いバイクで新型のライバル相手にレースしろ!」って言われたようなもの。
そのマジー氏がGPZ750でレースをした83年シーズン後に
「私の生涯で最もハードで100%以上の努力をし、もう二度と同じことはしたくない」と
言わしめる位の仕事をしたのに、カワサキが84年シーズンに用意できた(他に用意できないでしょう?)750ccバイクが
それまで使ってたGPZ750か新型のGPZ750Rの2種類。
これは想像ですが、カワサキ本社側がUSカワサキのマジー氏に「この新型(GPZ750R)で84年シーズンをレースしてください」と
見せたら、マジー氏は
「私の生涯でさらにハードで120%以上の努力が必要で、また同じことをさせられる」と
思ったんでしょう。で、NO!って返事をしたんじゃないかな?
そりゃそうでしょう。1000ccクラスのデカイ車体に750ccのエンジン。素人目に見てもレース向きじゃありません。
まあ、大人の判断で83年で活動を止めたんじゃない?
80年くらいまでのカワサキのレース活動はGPでもAMAでもかなり活躍してたのに、80年以降はいきなりの下降線。
KR250・350ではダブルクレードルタイプのフレームで活躍してたのに、KR500では「お殿様ご乱心」なモノコック構造の
車体構成で不発に終わり、250・350・500とGP撤退。
AMAでも750cc規定に合い、他社に勝てるようなバイクを用意(生産)しなかったので、これまた撤退。
どうも80年代のカワサキ本社は「レース界の空気が読めなかった」ようです。
何故か分からないけど「どうやればレースに勝つのか」「どんなバイクがレースで必要なのか」ってのを察することをしなかった。
明石ではレース活動≦市販車開発な気持ちがあったんでしょう。
というのも、このころは(80年代中盤)円高の影響や、アメリカの関税(確かハーレー保護のために700cc以上のバイクに
高い関税が掛かってたって話を聞いたことが・・・・)のせいで輸出が伸び悩んでたみたいです。
昔も今もバイクも車も、北米市場・・・・要はアメリカ・・・・での販売成績が重要な要素のようで、皆販売競争に必死で
ここで大量に売ることに色々苦労してたみたい。平たく言えば「アメリカ人好みのバイク」作りが必要だった。
さらには母体の川重の業績も良くなく・・・・当時造船部門が不振だったらしい・・・・資金繰りが厳しかったのも理由か。
だから金のかかるレースから撤退したのかなぁ?
その浮いたお金で談合したとかあったのでしょうか?
唯一レース活動をやってたフランス・カワサキは、そんな明石の状況をどう見ていたのか?
自分達の仕事を続けるためにはどうしても新しい規定にあった750ccバイクが必要だし、そもそもあの750ccじゃ勝てないと
言う切実な現実があったんでしょう。
どっかのプライベーターの「参加することに意義がある」的な参加では無く、「優勝も狙える」参加でないと。
まあ、この排気量変更の影響は他社のワークスチーム・セミワークス的なプライベーターも同様でしょう。
あのヨシムラもスズキにレースで勝てそうな750ccが無かったためか、80年代の一時期レースを休止してたことがあったくらい。
こういったレース活動をやってた一部の熱心な要望や輸出部門がイマイチなのを建て直す意味も込めて、カワサキ本社は
国内では販売出来る最大排気量のバイクとして、海外ではリッタークラスより下の750ccクラスでの要望を満たすバイクとして
新しいバイクを作り出す必要があったんじゃないでしょうか?
で、カワサキ本社で考えた新しいバイクのコンセプトらしきモノ(予想)は
手堅い車体(フレーム)を用いて、レースに転用できる能力をもった750ccエンジンを積む乗りやすい750ccバイク。
って所じゃないか。
詳しくはBS誌88年11月号に載ってるので、そちらをごらんください。